hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

リンドウの切手

2020-10-19 05:00:00 | 切手
『切手シリーズ』その80。1961年10月2日に発行された花シリーズの10月の花はリンドウである。リンドウは漢字で書くと『竜胆』となる。この由来はリンドウの根は健胃薬として広く知られているが、その苦さが熊胆(くまのい)よりも苦いことからその名前がついた。熊本県と長野県では県花に指定していてこのために以下のとおり、この両県での切手の発行が多い。

1985年5月に国土緑化で熊本県で全国植樹祭が開催されたことを記念して、リンドウと阿蘇山、柿の木という図案の50円切手が発行されている。 

その後の国土緑化では10面シートが発行されていてその中の1枚として2010年には神奈川県、2016年には長野県、2017年には富山県でもリンドウの図案が使われている。

1999年に熊本県で開催された第54回国民体育大会の図案は『ゴルフとリンドウ』、熊本県の県の花であるリンドウが50円の切手の左上に描かれている。

ふるさと切手では1990年4月に発行された47都道府県の花で熊本県,長野県の花として発行されている。

1999年7月は岩手県、2005年4月は長野県、2005年5月は山梨県、2005年6月は九州の花の中で熊本県の花として発行されている。

2008年6月には『ふるさとの花シリーズ』第1集の長野県の花として2種類が発行。
2009年7月には『ふるさとの花シリーズ』第4集の熊本県の花として1種類が発行。

リンドウは県の花となっている長野県、熊本県はもちろん、日本中で咲く花であることがよくわかる。

日本橋郵便局

2020-10-05 05:00:00 | 切手
『切手シリーズ』その79。日本初の郵便局はどこにあるのか。つい先日まで私は東京中央郵便局だと勘違いしていた。しかし、実際に近代郵便制度が始まった(明治4年3月)際に駅逓司(その後の郵政省にあたる機関)と郵便役所(東京中央郵便局の前身)が設置されたのは現在の日本橋郵便局のある所である。

当初は魚類御用屋敷を転用していたが、2年後の明治7年4月に新たな駅逓庁は完成、2階建ての擬洋風建築となった。錦絵にもなるほどの建築で見に来る者があとをたたなかったという。しかし、明治21年2月に火災で焼失してしまう。



その後明治25年に新たな庁舎は作られたが、明治36年に東京郵便電信局が東京中央郵便局と東京中央電信局に分割、さらに東京郵便局などの改組を経て昭和6年に東京駅丸の内南口に東京中央郵便局の新庁舎が完成した。

一方、日本橋郵便局が発足したのは大正6年、その後は集配局としての役割を担ってきた。昭和37年には『郵便発祥地』の石碑が建てられ、さらに日本郵便制度の創始者である前島密の胸像が併せて飾られた。なお、現存している記念碑は平成15年に郵政民営化後刷新されたものである。



さらに昭和46年には郵便創業100周年を記念したポストも置かれた。



因みに現在の建物は昭和48年に作られたものであり、もうすぐ50周年を迎える。中央郵便局としての機能は失われてはいるが、現在でも年賀状の出発配達式は元旦の朝、近代郵便の発祥地である日本橋郵便局で行われている。

また、お隣の日本橋南郵便局には古いポストにあたる書状集箱(都市用)が置かれている。

日本橋には魚市場、銀行、人力車、親子丼、甘納豆、ハヤシライス、稲荷寿司など多くの発祥地と言われるものがあり、その地を他にも訪ねることにしたい。

国勢調査の記念切手

2020-09-23 05:00:00 | 切手
『切手シリーズ』その78。国勢調査の制度が始まってちょうど100年、その記念切手が発行される。第1回が1920年、今回で21回目となる。国勢調査は統計法という法律を根拠法(ほかに国勢調査令、国勢調査規則も定められている)に5年ごとに行われ、うち5年目が小規模調査、10年毎に大規模調査が行われてきた。因みに第1回の日本の人口は55.9百万人だったが、前回の2015年の調査では127百万人、ただ、その前の2010年調査から百万人ほど人口は減ってきている。

第1回国勢調査が行われた1920年にはこれを記念して1銭5厘と3銭の同じデザインの記念切手が発行された。そのデザインはカタログによると『大化元年の国勢調査にあたった国司・想像図)』とある。これに関して調べると総務省統計図書館の方が書いた資料に『帝室博物館・高橋健自の考証、図案は逓信博物館の樋畑雪湖の作』とある。さらに日本郵便切手史論には当時の国司の衣装を再現してモデルを作成した写真が残っているのである。また、字は正倉院古文書中大宝年間の戸籍の中より拾字したらしい。

第2回国勢調査が行われたのが1930年、この時も記念切手が発行されているが、デザインは『日本地図(当時)』とある。見るべきは描かれている地図。今の日本地図よりかなり広い。日露戦争後に日本が領土を広げ、朝鮮半島、南樺太、千島列島、台湾などにも領土を示す色が塗られているのである。

次に記念切手が発行されたのは第10回国勢調査が行われた1965年9月。10円切手の図案は『日の丸と人口を示すこけし』と何を意味しているのかよくわからないものであった。因みにこの辺りの記念切手は評価も低く、売価で20円しかしない。

1995年にはなぜか唐突に『第16回国勢調査記念』という記念切手が発行されている。国体のように毎回発行されるのであればわかるが、不思議なタイミング。しかも『16と国勢調査の字をデザイン化したもの』という芸のないものである。

そして9月1日に『国勢調査100年』を記念して5種類の記念切手が発行、また、シートも変形でうち1枚には国勢調査を推し進めた杉享二、大隈重信、原敬の三人の肖像が描かれている。

つまり、今回も含めて5回も記念切手が発行される重要な出来事であるが、国民の認識は低い。しかし、その重要性をより認識して今回調査に臨むこととしたい。

日本のスポーツ切手②

2020-04-25 05:00:00 | 切手


『切手シリーズ』その77。日本のスポーツ切手の続き、前回は国体切手を取り上げたが、戦後日本の復興も進み、最初に行われたスポーツ大会がアジア大会である。第1回は1951年インドのニューデリーで開催され、4年ごと(第1回大会は1950年開催予定だったが1年遅れたため、第2回マニラ大会は1954年開催)に開かれ、第3回は1958年5月に東京で開催された。

切手は4種類で5円は国立競技場、10円は聖火とever onwardが入ったマーク、14円はランナー、24円はダイビングが描かれている。

その後、日本では12回大会が1994年9月に広島で開催され、その際には3枚の切手(図案はセパタクロー、3000m障害、シンクロ)が発行されている。

東京オリンピックはまずは募金として5円のハガキ料金に5円の寄付金付の切手が1961年10月から1964年6月まで6回に分けて3〜4種ずつさらに小型シートも発行されたのである。

枚数が多いため、現在も価格は高くないが32種目の競技が正方形の中に円を描き、90度回転させた素晴らしいデザインである。計算すると寄付金だけで6億3千万円にもなっている。

そして1964年に発行された東京オリンピックの記念切手は5種類、5円は聖火、10円は国立競技場、30円は日本武道館、40円は代々木第一体育館、50円は駒沢体育館。小型シートもタトウ付きで発行されたのだが、なぜか5円のみが9月9日、他の切手は10月10日の開会式当日発行された。

蛇足だが、8月1日には首都高速道路開業、10月1日には東海道新幹線開業の切手も発行されている。(以下、次回)


日本のスポーツ切手①

2020-04-15 05:00:00 | 切手


『切手シリーズ』その76。このシリーズも昨年2月以来だから久しぶりとなる。東京オリンピックも1年延期となってしまったが、『日本切手とスポーツ』というテーマで考えてみた。日本切手とスポーツを考える上で欠くことができないものは『国民体育大会』(国体)である。


戦前には明治神宮大会というものはあったが記念切手は発行されていない。また、第1回国民体育大会(近畿五輪)が1946年8月に開催されたが、この時も発行されず、初めて切手が発行されたのが1947年10月の第2回(石川国体)からである。その際はハードル、ダイビング、円盤投げ、バレーボールの4種類が発行された。これが日本のスポーツ切手第1号である。


そこから数えること73年になるが、毎回切手が発行され続けている。(記念切手として発行されたのは2001年の56回大会までで、それ以前の44〜46回、57回以降はふるさと切手として発行)これだけ長いシリーズは年賀切手以外にはない。


国体切手は第2〜5回は4枚ずつ、第6〜21回までは2種類の凹版単色切手が発行されていたが、第22回からは多色刷りとなり、さらに開催地に因むもの(植物など)があしらわれた。




面白いのは国体にあってオリンピックにない種目も切手に描かれている。まずは1952年第7回大会の山岳競技、1963年第18回大会の相撲などである。


国体以外のスポーツ切手の第1号は1954年1月に開催されたスピードスケートの世界選手権に因む切手。


その後、1954年5月にレスリング、56年4月に卓球、5月に柔道の世界選手権に因む切手が発行されたのである。


また、昔の切手を見ると今とはスタイルがかなり変わっている種目もある。1949年発行の第4回冬期国体のスキージャンプ、この頃は手を前に出して飛ぶのが主流であった。


しかし、1971年2月発行の札幌冬期オリンピックの図案では同じ種目では手は体の横にぴったりと付けてスキー板はまっすぐくっついたまま飛んでいる。


ご存知とは思うが、今のジャンプは次の写真のように先を八の字に開くのが常識となっているのだ。(以下、次回)


『日の丸』を描いた切手

2014-02-09 08:33:05 | 切手

切手シリーズ その7。記念切手の中の日の丸。オリンピックになると日本人は『日の丸』と『君が代』が急に好きになるような気がする。そうした中で記念切手に描かれた日の丸を追ってみたい。

最初は1921年(大正10)4月に発行された『郵便創始50年』の11/2銭と3銭の2種類。当初の郵便旗、日の丸、当時の郵便旗が並んで描かれているが、日の丸の扱いは小さい。

戦後最初に日の丸の切手が出たのは、1951年(昭和26)9月の『(サンフランシスコ)平和条約調印』の8円切手。濃い青の中にはためく日の丸が大きく描かれている。因みに2円と24円は菊の花が描かれている。

次は1964年10月発行の『東京オリンピック』の小型シートだが、切手ではなく周りに描かれているのみである。
よく見ないと日の丸と分からないのが1965年(昭和40)9月の『第10回国勢調査』の10円切手で日の丸の中に人を表すコケシが並んでいるのだが、言われないと日の丸が分からない。

次は1975年(昭和50)10月の『昭和天皇訪米』の20円切手。緑の地に日の丸とハナミズキ。もう一枚は星条旗に桜という大胆な構図である。
1986年(昭和61)10月日本の歌シリーズ第6集でズバリ『日の丸』の50円切手が出されている。

他にも例えばオリンピック記念の切手などをよくみれば日の丸はあるかも知れないが、小生が認識しているのはこの程度。切手の中では『富士山』『地球』『日本地図』『世界地図』などに比べると少ししか出ていない気がする。