hokutoのきまぐれ散歩

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小網神社〜久しぶりに日本橋七福神を巡る④

2024-01-13 05:00:00 | 日記
『日本橋七福神を巡る』④、4社目は小網神社である。前の事務所があったところから100mのところにあった神社でよく近くを通っていたが、10年前はイベント開催時を除くとあまり参拝する人の多い神社ではなかったが、近年平日昼でも行列を整理する警備員がいるほどの混雑ぶりである。

由緒は1466年(文正元年)に悪疫が流行、人々が困り果てていると網師の翁が海上で網にかかった稲穂を持って神社を訪れ、穂を神に供えれば疫病が治るといい、去っていった。当時の宮司がいいつけ通り神前に稲穂を供えると村の悪疫が収まり、村人が歓喜した。

その噂は広まり、太田道灌がこの話を聞き、折に触れては当社に参拝し、土地を寄贈した。さらに周辺も神社名にちなみ小網町となったのである。よく日本橋小網町にあるから小網神社と覚えている人がいるが、これは真逆である。

小網神社は強運厄除の神として信仰されているが、このエピソードとして太平洋戦争で氏子が出征した時もお守りを受けた若者は全員生還、また東京大空襲でも社殿は戦災を免れている。ほかにも同じような話が多く残されていてかなりご利益があるようで、そのため崇拝する人も多いと言われている。

境内は広いとは言えないが、当社と同じ境内にあった小網院万福寿寺に安置されていた弁天様が廃仏毀釈後に同社に遷座され、東京銭洗い弁天として信奉されている。ただ、コロナ前にはあった柄杓やザルは撤去され、手の中に銭をいれ、これを洗うことになっている。

この神社の御利益を芸能人が宣伝したからとも言われているが、特に旧暦の正月(1月下旬)とどぶろく祭りでしか頒布されないすすきみみずく守りの時は多くの人が出るようである。

御朱印は神社のものと弁財天のものと2種類ある。とにかく混んでいる神社で境内も狭いことから、もしお参りされるのであれば時間に余裕のある時がよいとおもわれる。









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