『東京の坂、日本の坂』その188。信濃町駅付近の坂巡り①、前回この辺りの坂道を歩いたのが2016年1月。久しぶりにまた、以前は行かなかった坂道も含め歩いてみた。
信濃町駅を降りて権田原方面に向かうとすぐに右に道が分かれて下り坂となるが、これが『千日坂』。有名人の葬儀がよく行われる千日会堂に向かう坂だが、坂の途中にある一行院千日寺に由来する。
坂下の案内板には『但し、1906年に道の付け替えが行われていて今の道は新道。この坂道は言わば新千日坂である』と書かれている。
坂を降りると左に行く道もあるが、私は反対側の上り坂をあがる。この辺りには立派な住宅が点在する。
権田原交差点を左に曲がる。権田原の地名の由来には代官・権田隼人の屋敷地だった、あるいは権田丈之助、権田小三郎とその組下の組屋敷があったなど諸説がある。
明治記念館の角を曲がると東宮御所に繋がる並木道となるが、場所柄制服を着た警察官が多い。その中、写メを撮っていると何故か睨まれているような気がする。
この通りは途中から下り坂となるが、これが『安珍(鎮)坂』。ちょうど東宮警察事務所向かいあたりに標識がある。
それによると名前の由来はかつて坂の前にあった安藤左兵ヱの屋敷内に安鎮大権現の社があったことに由来し、後に安珍坂と書くようになったとある。1994年にビートたけしがこの坂下でミニバイクを運転中に自損事故を起こし、重傷を負ったばしょでもある。(以下、次回)
信濃町駅を降りて権田原方面に向かうとすぐに右に道が分かれて下り坂となるが、これが『千日坂』。有名人の葬儀がよく行われる千日会堂に向かう坂だが、坂の途中にある一行院千日寺に由来する。
坂下の案内板には『但し、1906年に道の付け替えが行われていて今の道は新道。この坂道は言わば新千日坂である』と書かれている。
坂を降りると左に行く道もあるが、私は反対側の上り坂をあがる。この辺りには立派な住宅が点在する。
権田原交差点を左に曲がる。権田原の地名の由来には代官・権田隼人の屋敷地だった、あるいは権田丈之助、権田小三郎とその組下の組屋敷があったなど諸説がある。
明治記念館の角を曲がると東宮御所に繋がる並木道となるが、場所柄制服を着た警察官が多い。その中、写メを撮っていると何故か睨まれているような気がする。
この通りは途中から下り坂となるが、これが『安珍(鎮)坂』。ちょうど東宮警察事務所向かいあたりに標識がある。
それによると名前の由来はかつて坂の前にあった安藤左兵ヱの屋敷内に安鎮大権現の社があったことに由来し、後に安珍坂と書くようになったとある。1994年にビートたけしがこの坂下でミニバイクを運転中に自損事故を起こし、重傷を負ったばしょでもある。(以下、次回)