『都営荒川線電停からの散歩』その4。電車に乗り、荒川七丁目・町屋駅前・町屋二丁目・東尾久三丁目を通り、熊野前電停で下車。『熊野前』は日暮里舎人ライナーの同名の駅への乗換もできる。
それでは名前にある『熊野』神社はどこにと降りたが、ここには熊野神社はない。路線の開業は1913年なのだが、熊野神社そのものは明治初期に廃社、尾久八幡神社に合祀されていたのである。もちろん、当時も地名としては存在しなかった。
そこで隣の『宮ノ前』電停まで歩く。電停の名前になっている『宮』は尾久八幡神社のことだが、まさにその前に電停はある。
尾久八幡神社の縁起は1312年に尾久の地が鎌倉の鶴岡八幡宮に寄進された頃に遡ると言われ、1385年には社殿が建てられた記録がある。ちょうど七五三の時期で親子連れの参拝者がいた。
再び電車に乗り、荒川車庫前で下車する。本来ならば『荒川遊園地前』で下車するつもりだったが、現在は改装中のため、諦めた。
荒川車庫前で降りると目の前に車庫があり、さらに『都電思い出広場』があるが、閉園中のため、外から写メを撮る。
中には5500系電車と7500系電車が展示。5500系電車はPCCカーとも呼ばれ、アメリカのウエスティング社とGE社の技術を導入し、1953年にナニワ工機で製造された。防振防音に優れ、1系統(品川駅前〜銀座4丁目〜上野駅前)限定で運用された。
7500系は1962年に導入された新型車で当初は青山車庫に配属。荒川線の存続が決まり、ワンマンカーに改造されて7504は2001年12月まで活躍した。
また、営業所に行くと中には8両ほどの電車が整備中でこちらも眺めることができた。(以下次回)