outdoor life by mizota

ヨットでのクルージング日本の名山に登るキャンピングカー旅ダイビング野鳥撮影ジギング等溝田正行がした事する事を報告します

寛げる野外生活とは・・

2007年08月13日 15時52分56秒 | 長期のヨット生活
暑い日本列島を更に熱くする甲子園の熱戦が続いていますが今日の二回戦に出場した地元代表「徳島商業」は惜しくも初戦敗退

昨日の午後、きみちゃんみさちゃん八十氏角出氏が昼過ぎに揃い、少し飲みながら「躁」や「鬱」「ウナギ釣り」「みみず」から「子宮」に至る会話はやはり20年前の若かった時代にはなかった「時の経過」が現れた悲しくもせつなく且つ苦笑いと大笑いの愉しい一時でした 

そのあと僕のホームページを僕がまだ航海中に作ってくれていた「小林さん」が阿波踊りレース参加のために来ているケンチョピアへ。 「プリマドンナ」はレース艇でオーナーは小林さんではなく、来年定年の「海外クルージング」に出たいと思っていたことがある人でした ヨットを持つと殆どの人は海外クルージングを一度は夢見るんですよね 

メンバーの4人に僕が加わり、ウナギの白焼きを魚に宴会が始まりましたが小林さんは少し呑めるものの他の人たちは殆ど飲めない 結局僕は大酒飲みですから遠慮なく呑んで喋って、次にホロホロへ移動してまた喋っていました

話の内容は「海外クルージングのすすめ」&「フィリピンにおける老人ヨッティと若い女性について」という極めて高尚かつ下半身的なものでした。

そんな中で来年定年を迎えるという前述のオーナーが言った「家に帰るとホッとする」との言葉でした。 いつも答えていることをその時言う機会がなかったのですが・・・


僕はヨットに帰っても、キャンピングカーに帰ってもホッとします。 ところがどんないいホテルに泊ってもほっとしません。 このオーナーが数日ヨットででて家に帰ればホッとするのはヨットがまだホテルのような状態だからだと思うのです。


人がホッとできる環境と言うのはベットの良し悪しや、外観、設備、気温の良し悪しではありません。 「欲しい物が傍にある」「したいことがすぐ出来る」「食べたいものが食べれる」この3点が重要だと思います。

このオーナーが乗っている艇はレース艇で殆ど荷物が載っていません。娯楽用品もなく調理用品やそれに付帯するものもありません。 ただ寝ることが出来るだけでレースを愉しむことは出来てもクルージングヨットに載っている、それらのもののほかに大事な「夢や心」も載っていないように見えました。

そんなヨットで「ホッと」出来たらお化けです。 ホッとできる環境には多くの荷物が必要です。僕の場合、キャンピングカーやヨットには当面読みたいと思ったら読めるだけの本、テレビ、電話、パソコン、インターネット接続器、釣り道具、潜水用品、スキー板、テニスラケット、ゴルフクラブ、ローラースケート、スケートボード、山登り用品、野球用品、トランプ、花札、将棋、ノコギリからカンナなどの大工用品、各種工具、などなど自宅に居ても変わらないだけの「モノ」があればそこで何日でも何年でも快適に「ホッと」した状態すなわち「寛いで」暮らせるものだからそんなものをドッサリと積んでいますだから数ヶ月や数年に渡る旅が疲れもなく愉しく暮らせているのです。


ヨットであってもキャンピングカーであっても長期間にわたって
人が「寛げる」条件は「欲しい物、したいことがすぐ出来る」環境です。もしも貴方が海外クルージングをしたいと思ったら近くの港に停泊してでも数ヶ月暮らし、したいと思った事に必要な「物」を持ち込む事をお勧めします。 少し足りない程度はそれほど苦にならないものですが「人の心」に必要なのは「多量の緊急食料」でなく「多量のおもちゃ」であることをお忘れなく 






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変人ですからヨットで寝てます

2007年06月19日 09時24分35秒 | 長期のヨット生活
昨夜は大雨の中ヨットに帰って寝ました。そして「家とヨットの違い」ではっきりと気付いていなかったことが見つかったのです
そう大げさに言うほどのことではないでしょうが・・大きな差。 家の中に居ると大雨が降っていても殆ど知らなかったり気付かずに
います。殆どの場合、雨が強くなると風も強くなります。ヨットの中で寝ていると雨の強さは直接濡れているほどに感じます。透明な
ハッチに落ちる雨は目で見えますしデッキに落ちる雨音はしっかり聞こえます。マストを支えているスティが切る風の音。 言い換えると
ヨットの生活は「自然と一体」気象に接している生活です。


だから「厳しい」と言えない事もありませんが「家」という自然から隔離された場所は確かに「安心」出来る場所ではありますが人と呼
ばれている動物が動物である限り、持ち続けなければならない「モノ」まで失っていくような気がしました で・・・失うとどうなる
かと言われるとその殆どは「お金で解決できる」ような気がしないでもありません。 最近の「人」(老若男女を問わず)に「欲しいもの
は何?」と聞くと「お金」と答えるそうですが(昔は何か特定できる物を答えていたそうです)それは安心できる場所で暮らしすぎて
「自力で生きる力」を失った温室育ちの動物。言い換えれば日本と言う国の檻の中で餌を与えられて育ってきた結果のように思ったりしました。


そういう僕も今の状況で生きる場合お金が無ければ生きていけない人なんですが・・でも世界が焼け野原となっても無人島に流れ着いても
(ある程度の大きさがあれば)生き抜いていく自信はあります。 多分嬉々として食料確保のために罠を作ったり水を集めたり適切な場所
に住居を構えたりするでしょう でも現実にそんなことは無いでしょうから結局は動物が持ち続けなければ能力を持つより「お金」を
持つほうが実用的ですよね。 寂しいけど・・ でも・・でもです。僕はそんなことを大事にして生き続けたいと思っているのです


僕が家で寝るよりヨットやキャンピングカーで寝るのが好きなのを不思議がって良く質問されます。「どうして?」と。 また長い航海
を終えて家に戻ったから「やはり家のベッドは良いでしょう」と言ってくれる人が居ますが、やはりヨットやキャンピングカーで寝るほ
うがいいのです。 何故かと問われると僕自身「明確」な答えは解りませんがヨットやキャンピングカーの中で布団やベッドに入ったあと
「ふふっ」と心の何処からとも無く嬉しさがこみ上げてくるのです 家の場合はそれが全くありません。確かに家のベッドは硬さも暖か
さも優れていますが、なんか当たり前というか「寝るという仕事をしているみたい」に感じるのです
どこかの細胞が一つか二つ足りないか多いか??まあ一言で言えば「変人」となるのでしょうが・・・


今日の午後はラジオ局の人が来て土曜日の番組の打ち合わせ予定です。それまでの時間、その後の時間と日本に居ると「人との約束」を
中心に一日中何かをする計画を立てるから「忙しい」  誰かか突然来てくれると即計画は中止して呑んだり話したり出来るからこれは
ヨット生活の延長で大いに結構、大好きな生活です そんな具合で誰も来なかったら車の税金が払えてなかったのを払いに行って納税
証明をもらったり、郵便を出したりと事務的な事を午前中に、午後はヨットの船検に必要な工作的なことをしようと考えています
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続、フィリピンより・・・

2007年03月03日 16時21分42秒 | 長期のヨット生活
二十年近く前に沖縄の宮古島に行ったら道路わきの看板にこう書かれていました。
「小学生のお通りはやめましょう。・・警察署」お通りとは泡盛の回し飲みなんですが・・・「凄い!」と感嘆しました。 お通りはまだいいけど「自殺」だけはやめて頑張って欲しいと願っています


土曜日のネグロス島バイスベイは朝少し雨が降りました。今日の朝食は定番の上に「焼いた海老」が4匹付いてご機嫌でした
11時ごろより快晴となって現在も山際にしか雲がない晴天で6枚のソーラーパネルは大活躍をしています。
  実のところは「少し多すぎた」と思ったりしています確かに安心して一日中インターネットに繋げる
電気量はあるのですがどちらかと言えば「余る」のです。 ホロホロには80リットルの「給湯器」が付いています。この湯はエンジンを
掛けたときに暖めて造って保存しているのですがシャワーに使って二日で無くなります。電気が足りない場合はエンジンを掛けることに
よって充電と湯沸しの両方が出来るのですが・・・今は湯沸しの為だけに二日に一度エンジンを掛けなければなりません。  まあ何事
も「ピッタリ」とはいかないものですが・・・

昨日の続きですが・・
良い心の土から芽生えた木を育てる為の水と太陽、そのどちらにするのが適当かどうかどうか解りませんが一番大事なものは「感謝の心」
だと思うのですが・・どうでしょうか・・・

ホロホロが寄港した国で一番貧しく餓死者まで出ていた国はアフリカ大陸にあるイスラム教徒が多い国でした。
殆どの宗教が「何かに感謝」していると思うのですがイスラム教徒は一日に数回、太陽に向かって礼拝をします。
その中で「神に感謝」するのですが・・一口に「神」と言いますが具体的には他の宗教と同じように「現在に感謝」するわけです。
 食べ物が殆ど無くても「いくらかでも口に入る事」を感謝し、傷口にウジが湧いても生きていることに感謝し、空気が吸えるこ
とに感謝し、友達がいる事に感謝し、太陽が昇り、月が昇ることなどに感謝します。  それを見ていてこの人たちは「感謝することで生きている」と思ったもの
でした。そして信じられないくらい明るいのです


 実際にこの国「スーダン」には色々な種族が住んでいます。種族によっては宗教を持たない人たちもいます。 その部族の中
には商売をして経済的には少し裕福に思える人たちも居ますが、あまり裕福でない人たちは「動物」を連想させる場面もみました。
「感謝」することを知っている人達と「宗教を持たない人達」の差は歴然としていました。宗教を勧めるのではありませんが同じように
毎日一度でも数回でも「現状に感謝」することが無宗教者の多い日本では忘れられているような気がしてなりません。
それだけでなく「獲物を狙う動物」に近くなっているようにさえ思える事がありませんでしょうか・・・


確かに貧しい国ほど「宗教が生きている」ようなところがあって「宗教をしているから貧しいのか」「貧しいから宗教をするのか」
「たまたま宗教があるのか」その辺はわかりませんが「感謝」していれば少なくても「けだもの」にならずに済むような気がするのです。


もう一つのもの、それは「奉仕の心」でないかと思います。「誰かのために何かをする」これがどうしても必要な気がします。一般的な
宗教でも「奉仕」と言っています。ただしそれは「教会に・・喜捨・・」であったりするわけですが・・それでも本人が納得すれば良い訳です。
これは各人がそれぞれ見つけるべき問題だと思います

「感謝」することで「在る物」を見直し「満ち足りた気分」になったほうが「無い物」を得ようとするより世の中のためになるような気がしています。
今日はこれで置きます。いよいよ修身か宗教になってきていますが一人でも自殺する人や愉しくない日々を
過ごす人が居なくなることを願って書いていますのでもう少し辛抱してくださいね。明日は続きではありますがもう少し「役に立つ?」
ことも書いてみたいと思います。  
アウトドアライフのブログが・・・どうなってしまったのか

 
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失うもの・・

2007年03月02日 12時08分15秒 | 長期のヨット生活
昨日の夜は季節風も少し弱くなりました
「涼しく」て気持ちよく薄い布団を被って寝ています。そして感じたことなんですが・・・

南の国の島影や入り江、湾内に停泊しているホロホロで寝ている時、殆ど全ての窓やハッチは網戸にして開け放たれています。
当然風が吹き抜けるのですが殆どの場所では「非常にいい空気」が吹き抜けていきます。これは日本でなら田舎でなければ味わえないし
なにより限られた短い季節だけのものです。(花粉も飛ぶし・・)  日本に帰ると決めた今、残り少ないクルージング生活をしながら十年以上続けてきたこの生活の中で「失う物」を考えてみるとこの「吹き抜ける風」が意外に大きな喜びだったことを感じています




昨日からの続きは・・・長くなりそうなのです
幸せだから「自殺したい」と言う人は居ないように思います。自殺する人が考えるのは「生きているより死んだほうがいい」と思うか
「死んだほうが楽になる」と判断するからでしょう。 確かに死ぬのは一時的苦痛で済むかもしれません。死後の世界を知りませんから
、自殺した人も事故で死んだ人も老衰の人も全く同じように「何もない世界」に行くのか「地獄や極楽」に行くのか「魂だけがこの世を漂
うのか」解りませんが・・・


僕がしていることを見て「いつ死んでも悔いはないだろう」と言ってくれる人が居ますがそれは「大間違い」です。仕事をしていた頃に
何度か死にそうになったことがあります。その度ごとに死に対する恐怖は大きくなりましたし、今まあ割りに好きなように暮らしていると
益々「死にたくない」気持ちが強くなります。しかし残念ながら生まれた限り誰ものゴールは死でしかありません動物も草も木もやがて
は全て死ぬ運命にあるのですから・・

ただ同じ死ぬにしても「生きている間」を愉しくしたり、苦しくしたりと人はコントロールが出来ると思います。そして愉しい方向に
コントロールする技術があればどんな境遇に対しても「自殺」などは考えなくても、それなりに愉しく死ぬ時まで過ごせると思うのです


食べ物も生きていく量に足りなく、栄養だのビタミンだの言っている余裕もなく、ただ腹が膨れるだけのモノを口に入れたいだろうと思う
人達、怪我をして傷口にウジが住み着きそのウジが動くと痛いと言っていた人。そんな人たちに自殺する人が居ないだけでなく、愉しそう
に、なをかつ人のことを思いやって生きていたのを見て「心の持ち方の大切さ」を感じました。 そんなことから「このように考えたら・
・・」と思うことを書いてみます


「幸せ」が果実だとしましょう。実になる前は「花」です。花が咲くのは「木」で木が生えているのは「土」です。
いい土壌の土から良い木が育ち、よい木から良い花が咲き良い果実をつけるのは植物に限っての事ではないように思います。すっかり忘れ
ていますが昔はそんな事を勉強していた時代がありました・・土壌は非常に大事でした。悪い土では立派な実はなりませんでした。

そして考えてみると「幸せがなる木」にはどんな土壌がいいのでしょうか。僕が思うのは「良い土」に見合うのは「良い心」しかないと
思います。世界の平和や皆の幸せを願う殆ど誰もが持っている心でいいのだと思います。その良い心から木が芽生え育つ為に絶対に必要な
のが「水」と「太陽」だと思います。 水と太陽に変わるものは何でしょうか・・・


それは次回にして今日はこれで置きますので考えて見てください。ただ僕が思ったことが正しいかどうかは解りませんが・・・
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近くのヨッティは今・・・

2007年02月23日 12時23分47秒 | 長期のヨット生活
ネグロス島サウスバイスベイに一隻だけなが~い間停泊しているホロホロ3世は4月初めに徳島から堀一家が来るまでここを動く予定はありません

バイスに根が生えてしまった感がありますが毎日それなりに愉しんでおります。今日はロングクルージングをしている他のヨットの事を少し書いてみます。とは言ってもここ最近連絡をとっているヨットは三隻だけですが・・・


以前フィリピンの海を約3ヶ月一緒にクルージングした和歌山のヨット「ラー三世」から一週間ほど前「セバナコーブに着いた」と連絡がありました。
2004年?フィリピンからボルネオ島を経由してシンガポールからマラッカ海峡を北上してタイのプーケット島まで。そしてあの津波で
マリーナに入っていたからヨットはダメージを受けてしまう それを修理しランカウイ島からプーケット島の間を一年のうち約5ヶ月クル
ージング、後は日本で山に登ったりして過ごしていた。 セバナコーブはシンガポールの近くにあるマレーシア領で、そこまで引き返してきたことになります。来年はマレー半島の東側をクルージングしようかインドネシア方面をクルージングしようかと思案中のようです。一昨日の連絡ではヨットの片づけがほぼ終ったのでヨット
をそのマリーナに預けて27日には日本に帰るそうです。「日本の食べ物は美味しいよ」と僕を急かせるメールが入ってきました。

ホロホロの場合もそうでしたが飛行機を使う場合「帰る」と決めると一日も早く帰りたくなったものです。ヨットの場合は季節を待たないと出航できませんが・・・


そのセバナコーブとはマリーナなんですがそこにもう一隻日本のヨット「たかまみ」が置いてあります。原田夫妻はイギリスでヨットを建造して地中海から大西洋、カリブ海から米大陸をトレーラーに載せてヨットを太平洋岸へ移動しアラスカに行ってから南下し太平洋の島々を巡ってオーストラリアからインドネシアそしてタイのプーケットでしばらく過ごした後ホロホロと会って一ヶ月余り一緒にクルージング。その間にシンガポールまで南下。 その後僕はマレー半島の東側をクルージングしてインドネシアの島々を経てボルネオ島へ、そしてフィリピンに入ったのですが・・「たかまみ」夫妻はその間ずっと「セバナコーブ」と鎌倉の自宅を行ったり来たりの生活となっています。現在は日本です


最後の一隻は同じフィリピンにいる「パパラギ」のI氏です。独身でフィリピンに来ているI氏は僕が知っている限りで一番「浮かれている」ヨッティでありますスカイプにも最近の彼女の写真が・・・なにしろ若い美人の女性を次々に・・僕と同年代だけれど、あの調子なら今に「30歳は老化するだろう」と思っているのですが・・・会うたびに元気になっています。 先日のメールでは近々パラワン島にクルージングに出ると書かれていましたが・・・腰が抜けたのかまだボンボノンに居るような気がします


写真は夕方になるとホロホロから見えるサトウキビ畑を焼く煙です。写真をクリックすると大きく見えます

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ドゥマゲティへ・・・

2007年02月20日 21時44分24秒 | 長期のヨット生活
昨日の夜タタさんから電話貰いましたやはりその様な理由で大統領が来ることになって忙しかったようです。それで今日ソーラーパネルを買いに行こうと誘ってくれたのですがビザの延長にドゥマゲティへ行くことになってたんで・・次回に延ばしてもらいました。 それにしても忙しいのに良く気に掛けてくれるのに感謝です
そしてビザは4月27日まで延長できました。買い物して帰ってきたら結構遅くなって・・・ブログのアップが遅れてすみません



最近「のびる」ものがやたら気になります。鼻の下も伸びるがこれは正常か性情で気にならないのですが上から言えば「眉毛」が伸びる。45歳
位から毎月一度は鏡を見ながら1センチほど切っているのですが、もし切らなかったら何処まで伸びるのか気になります。切らずにいると「年寄
り」みたいでイヤなのですが試して見たい気もしないではありません。

次に伸びるものは「顎の肉と頬の肉」と言うか皮と言うか、とにかく髭を剃る時顎の周辺の肉を掴んで引っ張るとエリマキトカゲのように
なる。 うつむくと人相が変わり「うわ~っ!」自分の顔が怖い。 床に鏡は絶対要らないと思う。

次に伸びるのは裸で俯くと「ギャ~ッ!」「乳」が垂れ伸びる。それがまた極めて格好が悪い。とても写真を公開したりは出来ない。
太っていたときはそれほどでなかったような気もするのだが・・・  まあ悲しい姿です。

腹も伸びて垂れる。

最後に伸びるのは「ヒザの前の肉」これも必要以上に出てきて垂れている。

裸で立っていたりうつ伏せで吊り下げられている姿を見られたら恥ずかしくて生きていけない状態になっている。もし一目でも見た人は眠
ると「うなされる」ようになるだろう。

上を向いて寝ているときだけは全ての肉も皮もほぼ正常位置に留まっていてどうにか「普通の人間」になれる。
 天井に鏡をつけて写し、それを見ながら安心して眠りにつかないと不安で眠れない日が近づいているような気がする。
人間は「中身だ」と言うけれど、やはり外見も必要ですよね~・・でもこうなったからといって死ぬまで寝ているわけにもいかない。何か良い方法はないかと調べて
いたら「体形補正下着」と言うのがマ○コと言う会社から売り出されているのを発見しました。 

これがなかなか優れもので説明を見る限り納得できる。太腿の肉を移動させて「かっこいいツンとした尻」をつくる。腹や腰周り、腋の周
りの肉と皮は全てバストにもって行くからよだれが出そうな体形となる。とにかく歳をとると体は硬くなりますが体の肉と皮は何処までも
移動するようになるのです。 うっかりナンパして下着を外したら・・・こわい~!

ところがさすがに顔だけは下着がない。マスクでも被るしか方法はないだろう。

60歳以上の人は体験しているから「全く」と納得してくれると思うのですが・・まだその歳になっていない方々、脅すわけではありませ
んが「鏡に写った自分が怖い」日がいつの日か来ることを覚悟しておいてくださいね。


新作格言・・・・「人は老いて引力を感じ、上を向いて寝ているときだけ人に戻れる」


こんなことを書くと有難いことに心配してメールをくれる人が居てほんとに申し訳ないです確かに歯も、目も具合はイマイチです。胃も時々具合悪くなります。でも何があってもどうなってもそれなりに自分を観察しながら愉しむようにしています。今回の事なんかは、ほんとに考えようによったら自分の体が変化すると言うか妖怪に近づいているというか・・・とにかくこんな面白くて可笑しいことってそうそうないな~と愉しんでいますので(時にちょっと落ち込むこともあるけど・・)あまり心配なさらないでくださいね
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目が・・・

2007年02月13日 11時55分52秒 | 長期のヨット生活
穏やかなサウスバイスベイです。昨日はブログを更新した後テンダーの穴に当て板をしました(エポキシボンドで貼り付けた) まだ前の空気室に入った水が抜けずに残っているでどうしょうかと考えています



ロンドンに住む50歳の男性がいつものように朝食を取ろうと椅子に座って台所の妻に「おはよう」と挨拶をした。振り返って「おはよう」
と返す妻の顔を見て目を擦った。なんと妻の鼻が「マン・」の形だった。後で起きてきた娘の顔をみて目を見張った。娘の鼻も「マ・コ」
になっていたがそれは若いモノだった。 おかしいやら嬉しいやら愉しいやらだがそんなことを口に出すのも気が引ける。出勤の為に外に
出ると道行く人々の鼻も皆「マン・」になっていた


ニンマリした男性は会社で「気になっていた若い女性」の顔が見たくなって会社に急いで女性を探したが見つからない。なにしろ皆
の鼻が「マン・」だからそこばかりが目に入って誰が誰だか解らない。 仕事が始まってデスクに座って初めて解ったがそこを離れるとも
う見分けがつかない。 これは愉し過ぎるが仕事が進まない。 仕方なく病院で検査をしたら脳腫瘍だったそうである。 


なんでこんな話を思い出したかと言えば夕べの夜中に目を覚ました。今は三日月で外はそれほど明るくない。キャビンの中にはスイッチが
入っている印の小さなライトが三つ点いている。一つがグリーンで二つは赤である。以前はその一つ一つが5つか6つに見えたり5センチ
ほどに長く見えたりしていたのが昨夜は「ソレ」に見えたのだ。もちろん目を擦った。しかし変わらず「ソレ」だったのだしかし緑と真っ赤ではそれほど愉しくない。


当然朝起きてすぐ美由紀の顔を見たが鼻は「少し上を向いていたが鼻」だった。僕の場合中学生の時に言うのも気持ちが悪くなるような目の怪我をしたことがあ
る。急いで小松島の病院に行ったが見えるようになるか失明か「半々」でたとえ今は見えるようになっても数年か数十年のうちに見えなく
なると言われていた。近年の医学の進歩で手術すれば治る様になっているが今は徐々に視力は落ちてぼんやりしか見えない。どうしても片
側の目に頼る上に洋上の太陽は強いから普通以上に目に負担がかかる。にもかかわらず本を読みパソコンに向かうから多分同年代の人より
目はかなり悪いとおもう


そこで僕よりかなり先輩で良くブログを見てくれているBagus松井さんとピアニスト大澤さんにその歳の目の状態をお聞きして今後の
参考にしたいと考えたのですが・・・よろしくお願いします。

また他に異常に見える方が居ましたら書き込みしてください。
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ボタ餅

2007年02月08日 12時08分49秒 | 長期のヨット生活
いい天気でソーラーパネルが頑張ってくれています


今日は食べ物のことを書いて見ます
海外に長く出ていると時々「辛抱できない程」食べたくなる「日本食」を思い出す。 一度食べたいと思い始めると「諦める」のはかなり
困難で近くでそれが手に入らないとなると「似たようなもの」でも作ろうとかんがえる

ホロホロの場合は長く外国に出ていても、食料庫には日本の食材がドッサリ載っている。だから殆ど毎日日本の味の食事をしているのだが
、世界一周中に「どうしても食べたい」ものが出来た。思い出深いのが「蒲鉾と竹輪」で寝ても醒めても思い出して困った

ヨットで外国に出ている人たちは殆どがアマチュア無線グループの「シーガルネット」か「オケラネット」に所属していて毎日現在地の報
告や天気、体調などを知らせている。病気や困ったことが起きると相談すると日本に居る人たちが「専門家」に問い合わせて「答え」をく
れるどちらも歴史あるボランティア団体で海外在住の人から外国航路の貨物船やマグロ船の船長や通信士も居るから世界の何処に居ても
毎日日本と連絡が取れる仕組みになっていた(今も同じです)

インド洋上かアラビア海上だったと思うが、とにかく「竹輪と蒲鉾」が食べたくて仕方ない。そこで「シーガルネット」で作り方を調べて
くれるように頼んだ。 引き受けてくれた「河野氏」は蒲鉾屋に電話して「外国の海の上に居る船が・・」と言って「企業秘密」を聞き
翌日に「レシピ」を知らせてくれた


大海で釣れる魚はカツオ、マグロが主で「赤身魚」なのですが蒲鉾や竹輪には「白身魚」を使います。 ここで大きな違いが出来てしまう
のですが「釣れないのは仕方ない」からカツオで作ることにしました。ミンチにするのはマナイタの上に身を置いて包丁で根気良く叩いて
潰すしかありません。それに片栗粉や塩を混ぜて出来上がった竹輪や蒲鉾を見たときは涙が出ました


形はほぼ同じでした。味はかなり違っていましたがそのまま生食い、酒の肴や味噌汁の具などに活躍しました。


こんな事を思い出したのは「ボタ餅」(オハギ)が喰いたくなって昨日作ったんです。 フィリピンにもアズキはあります。色は黄緑です
が・・一キロ30ペソを500グラム買いました。モチゴメも一キロ32ペソで買いました。朝から小豆は水に浸して夕方膨らんで来たの
を見て圧力鍋で炊き、鍋に出して砂糖を加えながら潰して「ツブアン」完成。もち米に普通の米を混ぜて炊きあがったのを少し潰して
「餅」完成。 ツブアンを周りをに巻くと「ボタ餅」完成。  甘すぎたけどうまかった~~

一ペソは2.5円です。
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ある出航者の・・

2007年01月29日 15時24分47秒 | 長期のヨット生活
昨日、一昨日の土日は歩いて市場へ買出しに行ったり、ヨットでゆっくり本を読んだりして過ごしていました。体調は良く夕方になると辛
抱出来ずに呑んでいます。夕べは頑張って夕方呑まなかったのですが・・11時になって遂に甘くて強いのをちょっぴりやってしまいまし
た。

インターネットカフェが停電で新兵器のエアーカードは動いたり止まったり


これは僕が実際に出会って話を聞いたことで「実話」です。  夢を実行に移しただけ、何もしなかった人よりは「遥かに充実した価値ある
時間を経験した」と思うのですが・・ いろんな面で甘かったと言えなくもないお話しです。 
まあ人生、完璧は無理ですし・・このような結末も後で人に話すとすれば愉しいものかも知れませんが・・・

その主人公S氏は1980年の68歳まで「海運業」をしていました。海運業と言っても自分の船を持って自分は営業したり時には船長と
して乗り込むと言った会社にはなっているものの個人営業のように日本沿岸で貨物輸送をするのが先代からの家業でした。  海で育ち海
で生きてきたS氏の夢は「ヨットで南太平洋の島々を巡る」ことでした。 時代はバブルに向かっている時期、国内を運航する貨物船には
権利があってその権利が「高く」取り引きされている時でした。年齢的にも「見切り時」と考えたS氏は「権利を売り」それで乗組員の退
職金も払い、残ったお金でヨットを買い、余るお金で死ぬまでゴーギャンの如く南太平洋の島々を放浪しようと考えたのです。


1981年、南太平洋を死ぬまで放浪する予算として持っていたお金は3500万円。当時にするとかなりの大金です。自分の寿命を自分の
父親より5年長く78歳として割り算すれば一年に350万円。国民年金は日本に残る奥さんに。充分過ぎると思える予算で南太平洋で贅
沢に一年を過ごして計算してみると220万円?しか使えてない。 まあ行って見れば解りますがお金を使おうと思ってもタヒチを除けば他は
物価が安く、また使うと言っても日本のように何でも揃っていないのです。そこでS氏はオーストラリアでアパートを借り、車も買ってハリ
ケーンシーズン(南太平洋は11月から4月まで)を普通ヨッティは自分のヨットを整備しつつヨットの中で生活するのだが、上架、改造、
船底塗装、整備も人に頼み、日本のヨットオーナーのように暮らしたそうです。 ロングクルージングヨットを人に任せて整備して思うよう
になっていたと言う話は絶対に無いと断言できるのですがその通り、それが引き金になったように次々と故障(人に任せると何故か確実にそ
うなる)しかし一度人が手を入れるとその人にしか解らなくなる。


そして3年・・「もしかすると・・」と自分が余りに元気なことに疑問を持ち始めたそうです。これは80以上生きるかも知れない・・いや
いや我が家の家系は80は超えんだろう。その自問自答の結果、生存予定年数を3年増やした。当然年間予算も変更しなければならないが一
度広げてしまった生活は荷物も増えていてヨットに乗らずアパートを引き払うことが難しい。色々考え節約しながら2年が過ぎたが「どうし
ても死にそうにない」吸うタバコの量を増やし(体に悪いから)そこでまとまったお金が掛かっていた毎年のヨットの整備をとりあえず一年
だけ中止して航海に出るのも中止した。(6年過ぎて航海そのもにに対する思いが落ちてきたのだろうと僕は判断した)整備をしないで一シ
ーズン過ごすと3倍は仕事量が増える。そうなると益々ヨットから離れ時に日本に戻ってくるようになった。そのような状態が続きヨットは
雨水がエンジンまで浸かるほど入り再起不能に近く、お金も帰りの運賃しか無くなってしまったと話してくれたS氏は姿勢、顔色も良く全く
老化を感じさせないほど元気で身軽にホロホロにも乗り込める81歳でした。 「日本に帰って海運の営業でもしようか・・」と話しつつ
「あのヨットも日本にのって帰りたいんやけど・・」やはり思い出がイッパイ載っているんだろうけど・・「そりゃ無理やでぇ」口には出さ
なかったけど・・・


その後氏がオーストラリアのアパートを引き払い日本に帰ったことは風の便りで聞きましたが・・海運の営業をしたのか・・死んだという話
は聞こえてこないから、今も生きているのだろう。94歳のはずである。


これを検証すると・・一番に南太平洋の島々をヨットで巡って何がしたかったかが明白で無かったと言うか「そこで何をするか」の計画が
はっきりしていないように思う。(ただ漠然と夢を見ていたのではもちません。具体的な計画が必要)
 年金収入で生活できない人(預金を食い潰していく場合)は自分の寿命をかなり長めに見ておかないと金銭的不足が生
じることがある。
   人間の習性、同じようなことを続けられる年限は7年ほどと言うのが解っていなかった。 自分が仕事をしていない「意義」を充分
に把握していなかった。 現状の生活を喜んでくれる人が近くに居なかった。などが挙げれるように思います。 そして大きな失敗にな
らず「笑い話」に出来たのは「日本に住む家と奥さんが残っていた」からと思いました。


前回の文章のなかで・・・不足していた文として最近は結婚する年齢が高くなって「定年」になっても「子育て」が終っていない家庭が多く
なっています。 生んだからには学校を卒業するまで働くなどで責任を持って出来るだけの援助はするべきでしょう。
それより後までするのはただの馬鹿です。僕もしましたが・・・ 人も企業も植物も助けるほどにひ弱になります。本人が望む教育を
受けさせたら後は放って置くのが一番でしょう。 これについては自分の二人の子供を見ると自信が薄れるのですが・・・人生は「全て思い
通り」と言うのは「自分だけ」のことで「子も含め他人はなかなか僕の思い通り」にはなりません。当然ですが・・・


次回は引き続きフィリピンに住む「ある退職者」について書いてみます。この人は成功?  いやいや・・「セイコウ」??
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ジンクス

2007年01月24日 11時49分15秒 | 長期のヨット生活
それがいつ頃から始まったかと聞かれると非常に曖昧な答えしか出来ないが30年以上になるのは確かなようだ。そんな訳で毎年一月の中
ごろは、今年は何が起きるのかと少々心配な日々となる その心配が多少誘発する起爆剤になるのかも知れないが「体調を崩してきた」
または「怪我をしてきた」

今年もかと思っていたがそれ以前に少し具合が悪かったものの無事に誕生日を越えることが出来た 考えてみれば年末から年始に掛けて
は「宴会」の機会が多く、暴飲暴食の日々となる。そこへ以前は毎年正月に家族で海外に出かけていたから、それらの疲れが出てくるとき
だったのだろうと思う

ヨットで旅立ってからは年末年始の宴会も無くなって「マイペース」なのに「それが続いていた」 これはもしかすると「自分で作ってい
る」のかも知れない。「来るぞ、来るぞ」と身構えてしまって・・・そして今は誕生日の頃は最悪の体調と観念してしまっている

ただ毎年誕生日の頃に「体調を崩す」から年末年始を少しは気遣って過ごすようにはなったが追いかけてくる年令がそれを追い越すことも
あり未だにこの「ジンクス」は生きているだから誕生日を越えると「生き延びた」と思ってホッとする
今は正にその時なのです


昨日の続きでフローレス島のことです。海の水は島人のトイレになりながらも結構きれいでここの名産は「天然の塩」でした海の水を桶
に掬ってきて広いマス形の鍋で沸かしますグツグツと煮る事で塩分濃度が高くなり少し粘りが出てくると竹で編んだジョウゴ形の簾にそ
の煮立った海水をゆっくり掛けますそうすると塩が固まって簾にくっつくのです。気長い作業で一日かかって10キロほどの塩を作りま
 「日本へ輸出する」と村人が言っていましたが何でも輸出している場合「日本へ・・・」と聞くから信じていませんでした

ところが徳島のスーパーで本当にフローレス島の天然塩を見つけたんです  なつかしかった~・・・色んな風景が蘇って・・・高かったから買いはしませんでしたが・・・


地元はともかくとして、旅行などで行った事がある土地が舞台の「本」を読んで特別に面白いと感じたことが殆どの人にあるのではないでしょうか
「その地」の説明で情景が頭に浮かんでくるから随分面白さが違います    とんでもなく長く旅を続けているから海外も国内も随分行って、本を読んでいて「時代」の違いがあっても「舞台」となる土地が行ったことがあるのが良く出てきます
本を書く人は実にうまくそれを捕らえていて文章の中に背景を取り入れてくれてあるので色んなことを思い出しながら愉しく読んでしまいます

愉しく読める本が多いから益々本が好きになり読むからまた行きたいところが増えて・・  終わりなく旅をするのかも・・・と思ったりしています

なんで「旅」をしているのかをちょっと考えてみました・・・これは理由の一つでしょう


写真は先日のカピニャハンのお祭りで「船が神輿」となって笛や太鼓を鳴らしながらヨットの周りを回りました  日本とフィリピンは隣同
士。全く似たような風習に愉しくなって写真を写しました
写真をクリックすると大きく見えます。 






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昨日は・・

2007年01月21日 13時41分52秒 | 長期のヨット生活
このところまあまあ穏やかな日が続いているネグロス島バイスです 昨日はバイスの市場へ買出しに行きマングローブクラブ他を買ってきました

これが予想に反してタマゴをイッパイ持っていてまた身も締まって美味なので胃薬を飲んでいる身ながらついついイッパイが二杯になり三杯になり4杯で辛抱しましたが・・

昨日書きましたが昔「人相学」を勉強していた頃、自分に3つの重大な欠陥が「人相上」あるのが解りました かなりショックを受けましたがその一つが「口が卑しい」と言うものでこれは治そうと努力もしませんでしたから今回のような状態になると「なるほど」と納得してしまいます

喰うこと、呑むことの辛抱が出来ないおまけに何でも喰う多分死ぬまで続く問題でしょうね。

他の二つは書きませんが「人相学」の心得がある人が僕を見れば「例外」とするだろうくらい完全に乗り越えていると思っています


今インターネットカフェの隣のファーストフード店で豚マンとラーメンを食べてきました35ペソでしたが・・
ラーメンは「チキンマミー」と言って註文するのですが「インスタントラーメン」の袋を開けて炊いてくれるだけです このようにそのままと言った感じで出て来るのがコーヒーで「地元モノ」と「ネスカフェ」がありネスカフェの方が高いけど注文すると湯が入ったカップの横に一人前分の小袋が置かれています  地元ものはカップの底にタップリ滓が残りますが炊き出しで出てきます


余りにも胃の調子が悪かった3日まえよりタバコを休んでいます
そのせいもあってかかなり良くなってきたような気がするのですが・・・


遊ぶ計画が先へ先へと行ってしまうのですが・・人と約束をしている重大な仕事「ボランティアですが」が残っています20年ほど遊んで何とか案は出来たのですが・・自分でしてたら遊べないから・・これを誰かに頼んで変わりに・・と虫の良いことを考えているのですが・・  それも追々お話ししますが・・
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自家用車のような

2007年01月19日 10時30分33秒 | 長期のヨット生活
今日でホロホロの紹介最後となりますヨットが家とすれば写真の小舟(テンダー)は自家用車のような役目をしていますこのテンダーは
日本を出てから3隻目です。以前の2隻は底だけFRPのゴムボートだったのですが、フィリピンでは手に入らず仕方なく頼んで造ってもら
ったものですベニア板製なので使用不能は時間の問題となっていますエンジン(船外機)も3台目で15馬力から4.5馬力そして3.
5馬力と段々小さくなったのはたまたま手に入るのがそれしかなかったと理由でもし今どんなものでも買えるなら扱いが手頃な5馬力位が一番適当な大きさのように思います このテンダーも以前のテンダーも常に定員は6人で二人が乗って20リットルのポリ缶10個が運べるサイズでもあります

テンダーの主な利用は上陸のためでヨットは喫水が深いのでかなり沖に停めます。日本の漁港のような区切られた直接船が横付けできる設備は有料のマリーナ以外世界中何処にもありませんから99パーセントは自然の入り江や島影にアンカーを入れて振らします そしてテンダーを降ろしてそれに乗って買出しや色んな手続きに行くのです  また場所によってはダイビングに行ったり魚釣りに行ったりマングローブの茂る川を探検したり、他のヨットを訪ねたり水や燃料の入ったポリ缶を運んだりと停泊中はかなり忙しく活躍するのがテンダーでロングクルージングに無くてはならないものです

風が強い時は船尾にこのように繋いでいるテンダーですがこのようにしておくと船底に牡蠣やフジツボが着きますそれで普段はマストの天
辺から下りている「スピンハリヤード」と呼ばれるロープで船体の横に吊り上げています また航海中はデッキの上にそのままの姿で載せ
ています。 舵の後ろに立っているモノは「ウインドベーン」と呼ばれる風の力を利用して舵を切る「自動操舵装置」です。大洋を渡る時に
は大変活躍しますが・・最近使ってないな~・・・・  



こんなことを書くとまた心配をかけそうですが・・

宗教を持っている人を「幸せな人」と思うから家族の者にも「何か見つけるよう」言ってきたしかし最近になって美由紀が友達に誘われ
てそれらしいモノに時々顔を出しているだけで、二人の子供はそれを見つけようと努力もしなかったように見える
何も宗教が持てないままこの年になってしまった僕だが、15歳から20歳までの五年間を振り返ると精神面では「宗教」を求めて彷徨っ
たと言えなくもない。本来「ソウ」だから「このままでは何をしでかすか自分でも解らない」それを止めることが出来るのは「怖れるもの」
「神」「宗教」しかないと思い、色々な宗教の門を叩いたブランド宗教から新興宗教までかなり幅広く首を突っ込んだが残念ながら「信心
」出来る宗教が見つからなかったそしていつの間にか「自分なりの宗教」を自分の中で作ってしまった。僕が見つけた「怖れるもの」「絶対的なもの」は自然だったこのどうにも動かせない自然の力を見て「自分が知れる」そして信心する人が常に目前に「神」を置くように僕は常に自然を前に置いて生きている。 




フィリピンで公共交通機関のバスやトライスクル、船などに乗ると十字を切ってお祈りする人が結構沢山いて驚かされるまたバスやジプニ
ー、トライスクルなどの運転手の近くにはマリア像の写真や聖書の言葉が書かれているのが普通である 日本は世界に類を見ないほどほと
んど無宗教の国だが今までそれほど「脱線」せずに来たのは「昔の名残り」があったからのように思い現在の若者が時代を背負う将来が心配
でもある 幸せについて考える時、多分殆どの人がそうであるだろうと思うが若い頃を思い出す。 小遣いを貯めてそれで欲しいものを
手に入れたあの嬉しさは最高の幸せで痺れるほどだった 現代の若者も子供の時は同じだったかも知れない。 しかし大人になって、見る
と周りの大人もだけど、ずっと色んな事を辛抱してその代わりそれが手に入った時の事を夢見つつお金を貯める必要がなくなり、欲しければ
すぐに手に入る便利だけれど歓びが少ない時代になったと思う カードだのローンであるすぐ手に入るけれどそれは夢や楽しみでなく現実の後始末として支払っていかなければならない。 可愛そうな時代だと思う 


宗教が全ての人に絶対必要とは思わないし、現代の全てが悪いとも思わないけれど、昔の「バチが当たる」時代や夢を手に入れるためにコツ
コツと貯めてほくそえんでいた時代はそれなりに愉しい時代だったように思うのですが・・・今のフィリピンはその境目にある。一部の財産
がある人の間ではローンやカードが利用されているが殆どの人たちは無縁で「貯めてから買う」(ただし現実には殆ど貯まらない)喜びの生活を送っている。そうなると喜びは幸せであるから「金持ち」より「貧しい人」の方が幸せが多いかもしれないと・・・ 質の差はあるかも知れないけど・・・


そして定年退職者と同じ環境の僕も殆ど信用と言うものがないから嬉しいことに「貯めてからしか買えない」と言う幸せな生活が続いてい
る。 (年金を担保に借りる人もいるそうだが・・)  何が書きたかったのか・・・わからんようになってしまった・・宗教はどうなったんじゃい! と思うでしょうが・・これがまた続くのです・・

年寄り臭い文章はダメと・・言われるし思うのだけれど・・

人間この年になると殆どの人がそうである様に・・・頑固
な「石頭」となっている。頭の外が固いのなら怪我が少なくて済みそうだが肝心の「脳みそ」が硬くなっているから人が栄養になる「水や肥料」
をくれても「石」だから吸収できない。せいぜい一時的に塗らすだけのようである。



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両替などに

2007年01月18日 12時36分57秒 | 長期のヨット生活
このところ3日間青空が顔を出しているネグロス島バイス市です昨日はドゥマゲティに行ってました。両替と買出しの為なんですが・・
日本円が弱くて1万円が3940ペソにしかなりませんでした(強い時は5400ペソもあった。一番弱い時は3500ペソだった。) これは1ペソが2.6円になった
ことになります。ナンダカンダと言って遊んでいる僕らは実のところ日本の「良いとこ取り」をしている人種なのです どうしてかと言
えば「企業戦士」達が身を粉にして働き日本経済を発展させ「強い円」にします日本で使ったのでは価値はそれなりしかありませんが海
外で使えばかなりの値打ちで使えます だから日本人の皆が僕らのように暮らされると多分困ることが起きる様に思います 死ぬまで
働いてくれる人達に感謝しつつ死ぬまで遊ぼうと考えているのですから「虫が良い」考えとしか言えません「バチが当たるかも」 でも
もっと頑張って働いて円を強くして欲しいな~・・



有難い数人の友達がブログを見て「最近の文章は悟りの境地」「体重の激減」もう長くは無いのではと心配のメールをくれました早く病
院で調べて貰ったほうが・・と言ってくれるのですが胃は確かに不調ですが全体の体調は軽くなってなかなかいい具合なのです それとフィリピンの病院はこの場面では余り役に立ちません
文章については僕がどこか脳の端っこか襞の間で消えそうなほんの少しのモノを引き出して「さも全体であるが如く」書いているので決し
て悟りの方面には進んでいませんのでご安心ください


写真はホロホロのコクピットをキャビンの階段の途中から写しました大きな丸いのは舵輪(ハンドル)です。その前にテーブルがあって暑い時期はここで朝日や夕陽を見ながら食事をします天井はテントを張っているのですが写真では見えず、テントより後ろにあるソーラーパネルが見えています左側に横向きに二つ、バックスティ(マストを後ろに引っ張るワイヤー)の両側に縦向きに二つ。一番右はただのベニヤ板で日陰にしています。 ここに新しくもう二つのソーラーパネルを置きたいと考えていますが・・  テーブルの両脇と舵輪の両後ろには大きな船倉があるのですが満杯の状態です ガソリン用20リットル缶3個、発電機、ロープ、エンジンオイルなどなど・・・ アホですから・・



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難民船?

2007年01月16日 11時46分47秒 | 長期のヨット生活
ホロホロのデッキ上をマストの前から写しました誰が見ても難民船と思うでしょ

船内や船倉に収まらない荷物がデッキの上に溢れています海外の海がこんなに穏やかで台風などないことを知らなかった僕は出航時にロープを8巻、1600メートル積み込んだのです。 アホでした。実際に使ったのは200メートルほどで後は「重し」と「場所取り」の仕事しかしていません 他にフェンダー(船を岸壁などに着ける時の緩衝材)が15個これも使っても5個くらい 他に広いスペースを取っているのが20リットルのポリ缶です。清水用が10個軽油用が12個

そんな訳で遠くから見ると「ヨット」だけど近くに来ると「難民船」となっています

マストのすぐ前に縄バシゴが付いていますこれはサンゴ礁の多い南の海でアンカーを打つ場所を探す時に非常に役立っていますこれが無ければ「紅海」などではかなり苦労したと思いますから世界一周の必需品と言えます。

今日は久しぶりにインターネットカフェに来ました新兵器エアーカードはスピードが遅くて・・  10Kbのスピードはクリックしてから画面が出るまで祈り続けなければいけません買ってしまったから使わないと損だし・・


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ご質問ありがとうございます

2007年01月14日 12時52分15秒 | 長期のヨット生活
昨日はまた一日中雨が降ったり止んだりの一日でした質問をしてくれた方があるので、他にも同じ様に思う人も居るかと思い昨日の説明
を少し足します  何時でも疑問があるときにはこのブログやホームページの掲示板に直接書き込んでくれても、また掲示板のmizota を
クリックしてメールでも質問してください。 すぐに返事が出来ない時もありますが出きるだけ早くこの様な形でお答えしますので

まずヨットが「世界で一番自由な乗り物」についてですが、たとえば徳島で韓国釜山に行くと言って出国手続きをしたとしますこの場合
カスタムクリアランスと呼ぶ出航した港と次の寄港予定地を書いた紙を貰いそれを次ぎの港で入港手続きの時に見せるようになっています。
 普通なら瀬戸内海を通り関門海峡を抜け、対馬の横を通り釜山に着くわけですが、これを紀伊水道を抜け鹿児島を回って釜山に行っても
問題はないし、途中で気が変わって台湾に行ってもフィリピンに行っても「風が悪くて」と言えば問題はなにも起きません少し前まで日
本と言う国は船で入国するには事前にビザをとることになっていました。ところが海外から来るヨットは殆どが「緊急入港」で日本に来て
いました「水が不足」「油が不足」「エンジンまたは他の何かの調子が悪い」「体調が悪い」と言えば国連に加盟している国であればどんな国のどんな場所でも合法的に入港できますこれは全ての船に
与えられている権利でもあります。早い話「それは仕方が無いないな~」と思う理由を考え付けば良い訳ですだって命に関わりますから・・出て行けとは言えませんただ「風が悪い」と言う言い訳はヨットならではと思いますが・・・  日本以外の国では何処に行
っても免許も設備も備品も小型の船舶には法的に規制していません。 ただ日本だけは別で未だに寄港地を申告すると言う面倒な規制をし
ているので制裁処置としてアメリカだけは日本のヨットに限り寄港地の規制をしています 

他にたとえば航海中釣りをします。例えトローリングでも漁船がするとなると極めて難しい政府がらみの許可が要ります。しかしヨットで
釣りを業とするとは考えられないので何処の国の沿岸でも好きなように出来ますまあやってみれば解りますが「世界中の何処にでも自分
が好きなように好きなときに」行ける乗り物がヨットで、自転車よりも遥かに自由でなおかつ結構荷物が載りますから長期の世界放浪には
これに勝る乗り物は無いと思います


ただ先日も書きましたが地球上に存在する全ての乗り物の中で「一番乗り心地が悪い」のもヨットだと思います危険ではありませんが・・


日本からフィリピンへヨットで移動する適期は昔の帆船時代も今も全く同じで11月が良いでしょう今は天気図が取れるので台風の発生が
ない事を確認して石垣島を出れば3日か4日でルソン島沿岸に着きます。途中台湾に止まるのも良いでしょう。 僕は今回日本への航海は途
中台湾に立ち寄る予定です



では船内を・・
この写真は前方(船首側)を写しています。白い柱の上にマストが立っています。マストは倒れないように四方からワイヤーで引き付け
ているのでマストが室内に抜け落ちないようにこの柱がある訳です。下は船底の背骨みたいなところに留まっています

柱の左の白く丸いのはコンパスで室内に居ても進行方向が間違ってないか見えます。夜間の大洋横断ではオートパイロットで航海している
ので時々起きたときにこれで確認していました。 コンパスの向こうは二人部屋になっていますが食料庫と釣り道具、薬などの倉庫と化し
ていますベットの下には海図や予備の部品も入ってます。

右側の部屋はトイレとシャワールームでここは生かして使っていますが、良く壊れるトイレはまた最近調子が悪いです

一番奥は二人部屋ですが畳んだ布団を入れたり替えのシーツ、枕などを置いています。ベットの下は広く、予備の潜水機材や海図、カメラ
用品、ロープなどすぐに必要でない色んなものが詰まっています。衣料品は夏物から冬のセーター、ジャンバーまで4つある部屋の押入れ
や引き出しにボロばかり処分に困るほど入っています

もともとホロホロは9人分のベットが4部屋分かれてあるのですが全て倉庫となり寝る所が無くなってメインキャビンのテーブルを外
しそこに布団を敷いて寝ている状態です時々友達が来ると通路の床にマットを敷いて寝たりしてますでも片付ければ二人くらいは何
とかベットで寝れないこともないです

普段アンカーを入れて風に向かって停泊していますから主にこの写真の一番奥の部屋の上にある大きなハッチから風が入りますハルと言
われる船殻に小さな窓が7つ、甲板側に6つのハッチ、それと空気抜きのホールが5つ、これらから空気が出入りしています。熱帯地方の
蚊はマラリアやデング熱を媒介しますので全ての窓やハッチには網戸が入るようになっています


これで船内の説明は終わりで次は外側を案内します。これも驚くような状態ですが・・・
写真をクリックすると大きく見えます。 
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