関西の芸能界について、どうもいまひとつよくわからない。特に今回のような騒ぎになると、吉本とはいったい何なのかなあと不思議に思う。
わたしは“彼”の引退は不可避だったと思う。会社として、吉本がとった行動はまずもって正しい。しかしそれは記者会見において語られた『メールの存在』云々のせいではない(あんなもの、大阪府警が持ち出したにきまっている)。
芸能人はみんな陰では暴力団とつながっている、と吐き捨てるのはたやすい。美空ひばりの例をひくまでもなく。あの天才歌手と神戸の興行会社の関わりは誰もが認めるところだし。
吉本が、所属タレントと組織暴力の関わりで常に頭を痛めてきたのは事実。コンプライアンスを求めていると主張しているのもホントだとしよう(誰も信じてはいないんだろうけど)。わたしは、彼のような金の成る木を切り捨ててもスキャンダルを嫌った吉本をそれでも支持する。中田カウスの件でほとほと懲りたのが背景にあったのは確実だけどね。
ちょうど桂米朝の芸談「米朝よもやま噺」を読み終えたところ。そのなかに、吉本を大会社に育て上げた林正之助に関する部分があった。
『昭和30年代の民間放送の開局も我々(落語家)にとっては追い風になったな。ある日、林正之助さんがキタの(うめだ)花月の舞台袖の椅子に腰掛けて、高座を見ながら“落語がもう一遍銭になるとは思わなんだな”とつぶやきはった』
一度完璧に死んだ上方落語界。その背景に、漫才の方が落語よりもうかると冷徹に考えた吉本の判断があったことは有名な話。今回もそうだ。菱の代紋とかかわっている芸人を守るよりも、ここは(漫才だの落語だのテレビだのを超えて)切り捨てるべきだと判断したのだろう。
問題は引退した彼の方だ。あの会見以降は一般人なのだから何も言ってくれるなという姿勢は彼の小心さを物語る。反映して「○○さん」と呼んでいるメディアまであるぞ。わたしが危惧するのは、あれほど親分肌だった彼が、子飼いのタレントたちに菱の関係者を紹介していなかったはずがないということの方なのだが。
でもここに至ってわたしは断言する。反撥する向きもあるようだけど、彼って、実はものすごく面白かったのだと。以下次号。