事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

オレたちひょうきん族

2011-08-29 | 芸能ネタ

Hyokinzoku 「MANZAIブーム」はこちら

1981年の秋にスタートした「オレたちひょうきん族」はあらゆる意味で画期的だった。なんといっても裏には化け物番組TBS「8時だよ!全員集合!」があったのだから、なまじっかの手段では勝負にならない。いくら漫才ブームのさなかとはいえ、よほどの工夫が必要だったはず。

だってネタを披露するだけの番組では失敗すると、日テレが土曜7時半からの90分番組「爆笑ヒット大進撃!!」で実証してくれていたので。なんでわたしがそんな低視聴率番組をおぼえているかというと、番組のなかの「ラブハンター」というコーナーに高校の同級生が出演したからである。

ま、それはともかくひょうきん族。勇壮な「ウィリアム・テル序曲」で幕をあけるこの番組で、タケちゃんマン(ビートたけし)の敵であるブラックデビル(明石家さんま)が、実は初回は高田純次だった、というネタがトリビアで採りあげられたりしたのでお若い方々もご存じだろう。明石家さんまが本当の意味でブレイクしたのはこの番組においてであり、彼とビートたけしがツートップ。紳助・鶴太郎・山田邦子がその次のラインにいたという印象。

でもこの番組がこれまでの演芸番組と違ったのは、スタッフたちが前面に出てきたということ。プロデューサーの故横澤彪(あきら……のちに吉本興業へ)、やディレクターの三宅恵介などは、ヘタなタレントよりも記憶に残っている。面白ければなんでもいいという当時のフジテレビ(鹿内春雄が主導していた)のムードが牽引していたのだろう。

タレントの側がこの番組で顕著だったのは、みずからを“売り物”として醒めた目で見ていたことではないだろうか。

タケちゃんマンの格好をしたたけしには確実に『照れ』があったし、およそそれまでの芸人のなかで、テレビのなかで恥ずかしがっている存在などおよそなかったはずで、そのあたりのクールさが若い視聴者にうけた原因だったと思う。

ボーナスをはたいて買ったビデオデッキで録画し、何度も何度も観たっけなあ。最高だったのはアミダばばあ初登場の回で……あ、なかなか紳助の話にならないけれど、ここからラジオの話につながるのです。以下次号

コメント (2)
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