久しぶりに「わたし怒ってます」シリーズを。ご飯を食べながら新聞を読むのはわたしの妻がもっとも忌むことだけれど、「うまい店ピンポイント」でもお分かりのように、わたしは何かを読まずに食べるという習慣がない。
で、今日は朝日新聞。オピニオン欄の「異議あり」に高崎経済大准教授の國分功一郎氏が、哲学から見た菅直人として
「なぜ批判されたのか、その理由ははっきりしないと感じていました。それに私は菅首相は評価すべき発想の持ち主であるとも考えているんです」
とする“異議”を掲載。ホッブズらの社会契約論へのカウンターとしてヒュームの“人間はそんなにエゴイストか”という疑問があり“共感という感情を制度で拡張することが必要ではないか”“菅直人がやってきたことは常識外れではあるけれども、市民の行政参加への道を制度によって開こうとしたのではないか”とのオピニオンだ。
この意見(異見だと朝日は押しこめたいようだが)について、『聞き手』である秋山惣一郎という記者の『合いの手』が泣かせるのだ。思わず箸を置きましたね。
『えっ?場当たり的、思いつきだけの菅さんのどこを評価するのですか』
『菅さんが何か制度を提唱したという記憶がありません。ましてや思想なんてとんでもないと思います』
『常に政治に参加できるのなら、すぐに菅さんを降ろしてますよ』
とどめは“取材を終えて”の一撃。
『我々は今、秩序に従って自制的に生きている。しかし菅首相は自然権を振り回し、ひとりホッブズ的な世界を生きていた。このまったく理解不能だったリーダーの振るまいに、説明がつく気がする』
聞き手が語り手の意見をまったく忖度せず、自説を強弁している。國分准教授はこの記事をどう感じたのだろう。
無理して好意的に解釈すれば、これは一種の読み物として面白くするためのふいごだったのかもしれない。だとすればこれはあまりに出来の悪いふいごだし、退陣への道が見えてきた首相を、だからこそ今叩いてしまえという品のない茶々にすぎない。
署名記事とはまことにフェアなシロモノだ。わたしは秋山という“常識外れ”の記者の名前を決して忘れないし、朝日新聞の傲慢さも忘れはしない。いやはや。