PART3「読売新聞走る」はこちら。
作家が自作について語ることは日本においてあまり一般的ではなかった。作品ですべてを語るべき、という風潮が長く続いていたから。しかし現在では作家には行動することがむしろ当然のように求められていて、政治的発言も多い。
たとえば村上春樹は地下鉄サリン事件を、物語化する以前にルポルタージュの形で出版しているし、大江健三郎はむかしから政治的アイコンだった。トンネルに入るときに、危機を知らせるカナリアとして作家は存在すると考えられるようになっている。
さてしかし、曽野綾子にしても石原慎太郎にしても、今回とりあげる百田尚樹にしても、彼らの発言はなにより冷静さを欠いている。内向きの、仲間(それは少なからず極右的性向をもっている)に向けた発信が、なにしろ高名な作家なので大きく報じられる。
特に百田の場合、長くテレビの裏方にいてストレスを感じ続けていたせいか、もう(スポンサーや局など)誰にも気を使わなくていい存在に俺はなった、という思いと、脊髄で発言することが許されるツイートというメディアがあいまって、もう何が何やら。
「ただ歴史認識の問題はすごく大事なことで、ちゃんと謝ることが大切だと僕は思う。相手国が『すっきりしたわけじゃないけれど、それだけ謝ってくれたから、わかりました、もういいでしょう』と言うまで謝るしかないんじゃないかな。謝ることは恥ずかしいことではありません。細かい事実はともかく、他国に侵略したという大筋は事実なんだから」
という村上春樹の発言に百田はかみついている。
「小説家なら、相手が『もういい』と言う人間かどうか、見抜けそうなもんだが。それとも本音は『1000年以上謝り続けろ』と言いたいのかな」
「それにしても、村上春樹もそこまで言うなら、自分が韓国に言って謝ってきたらいいのに」
きわめつけは
「そんなこと言うてもノーベル賞はもらわれへんと思うよ」
発言には(そのすべてとは言わないが)人格がどうしてもあらわれる。品性は、短文だからこそ如実に露わになる。この人は結局、「自分は大物だ大物だ大物だ」と坑道で叫び続ける九官鳥のような人なのだろう。彼は無邪気にこうもツイートしている。やれやれ。
すごくいいことを思いついた!もし他国が日本に攻めてきたら、9条教の信者を前線に送り出す。そして他国の軍隊の前に立ち、「こっちには9条があるぞ!立ち去れ!」と叫んでもらう。もし、9条の威力が本物なら、そこで戦争は終わる。世界は奇跡を目の当たりにして、人類の歴史は変わる。
……PART5麻生太郎篇につづく。
本日の1本はジェフ・ブリッジスにオスカーをもたらした「クレイジーハート」。かつての弟子の前座をやることになり、メインアクトを目立たせるために音量をしぼる音響担当にクレームをつけるあたり、細かい。