事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「博奕打ち 総長賭博」 (1968 東映)

2015-05-13 | 港座

“これはなんの誇張もなしに「名画」だと思った。何という自然な必然性の糸が、各シークエンスに、綿密に張りめぐらされていることだろう。セリフのはしばしにいたるまで、何という洗練が支配しキザなところが一つもなく、物語の外の世界への絶対の無関心が保たれていることだろう。”
 
……三島由紀夫がこの作品を激賞し、映画評論家たちから無視されていた任侠映画が俄然注目を浴びたのは有名な話。三島の指摘するように、この映画の登場人物たちは、まるで何かにあやつられるように破滅に至る。精緻な脚本の勝利。

書いたのは「仁義なき戦い」二百三高地」などで何度も何度も特集してきた笠原和夫。彼は徹底して取材する人だから、きっと似たような事件は過去にあったのだろう。しかしそれを圧倒的な悲劇に仕立て上げたのはやはり笠原の力量というものだ。

昭和初期、東京で博徒(なんでしょうね)を束ねる総長(加藤武)が脳溢血で倒れ、急いで跡目を決めなければならなくなる。本来であれば総領子分の松田(若山富三郎)が継ぐべきだが、彼は服役中。そこで人格、力量から松田と杯をかわしている中井(鶴田浩二)が推される。しかし中井は固辞。自分は関西から流れてきた傍流にすぎないと。

組織にはオジキ筋と呼ばれる兄弟組織と、総長直属の組織が存在し(グループ企業と子会社みたいなものかな)、彼ら(金子信雄ら)は次善の策としてふたりの“五厘下がり”の子分である石戸(名和宏)を担ぎ上げる。襲名披露の大花会(賭博です)を修善寺で行うことが決まったころ、松田が出所して来て……

若山富三郎の憤激、彼の子分の暴走などは、私生活そのままに見える。自重に自重を重ねた鶴田浩二は、妻の自害などの果てに

「任侠道?そんなものはねえ。俺はただのケチな人殺しだ」

とつぶやくラスト(誰に向かってつぶやくかは意外でした)まで一気呵成。戦前のことで、いかがわしい政治結社が登場するなど、やくざが政治にとりこまれる渦中にあったのかと深読みもできる。鶴田浩二の暗さが、画調と渾然となって観客を魅了。おそれいりました。監督は将軍山下耕作。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする