第33回「仁義なき戦い」はこちら。
二・二六事件およびIOC会長接待大作戦という大わらわを「目黒のさんま」でくるむというみごとな回。
まず、226。
首謀者の安藤大尉が銃殺されるときにひとりだけ「秩父宮陛下万歳」と叫んだことから、一種の壬申の乱だったと推論したのは「仁義なき戦い」を書いた笠原和夫さんだ。昭和天皇が最初からこの決起に激怒していたことも傍証かと。
わけがわからないままこの決起に参加していたのが柳家小さん(五代目)だったのは有名な噺、じゃなくて話。高橋是清の死は、萩原健一をもう使えないので是清のあだ名、ダルマの絵で説明したのはむしろクールだった。
ことの真偽はともかく、報道機関を襲撃するのはクーデターの常道とはいえ、どうにもやはり気持ちが悪い。国民にいちばん近いところに暴力で訴える所業が。そういえば現政権はひたすら“どう報じられるか”に拘泥している。執拗なくらいに。
だからこそ、報道にはそれなりの矜恃というものが必要なのに、近ごろの嫌韓騒ぎを見るとどうにもこうにも。それからこれはわたしだけかもしれないけど、自ら“維新”を名乗る連中にろくなのはいないと思いますよ。
つづいてラトゥールIOC会長の接待。嘉納治五郎の能天気な発想で……しかしいざ呼んでみれば、戦災のアントワープで行われたオリンピックのすばらしさを賞揚するなど、やはりみごとなネゴシエーターぶり。「“禁じ手”(ムッソリーニの懐柔)を使ったことはすまなかった」と謝罪するなど、さすが柔道家。
田畑が帯同した接待は、清さんの車引きとしての最後の仕事。寄席では志ん生(当時は金原亭馬生)が目黒のさんまを演じている。実はわたしも若い頃、国道7号線でヒッチハイクをしていた外人女性二人組に
「バウト200イヤーズアゴー」
と目黒のさんまを英語でかましたことがあって、あれはしんどいことではあったなと懐かしく(笑)。
そしてあの有名な殿様のサゲのセリフをオリンピックにからめるあたり、宮藤官九郎のテクニックここに爆発。熊本における大竹しのぶの大芝居で泣かせるなど、大満足の回でした。
第35回「民族の祭典」につづく。