世代論というのはどうもうさんくさい。個々の事情から目をそらすための、あるいは議論を強引にシンプルにするための存在なのではないかとすら。
でもやっぱり、世代ごとに特徴はあるよね。わたしは1960年生まれ。妻は1955年生まれで、生まれた場所は遠く離れていても、どちらも戦後教育をどっぷりと浴びてオトナになった。
その結果どうなったかというと、戦前の常識への過剰な(と考える人もいる)嫌悪が植え付けられた気がする。特に「家」というものへの猜疑心は根深い。嫁・姑・長男・家長……うんざりである。だから自分の子にそれらを押しつけるつもりはさらさらない。
が。
わたしが生まれたのは敗戦から15年後、妻にいたっては10年後にすぎない。だから戦前的なものの残滓は確実にわたしたちの世代にある。家の呪縛、親の呪縛から逃れられていないのだ。篠田節子はそのど真ん中でしょ(笑)
「セカンド・チャンス」の主人公は、親の介護のためにキャリアを捨て、独身のまま過ごしてきた女性だ。その母が亡くなる。二十年に及ぶ介護の生活が彼女に何を与えたか。
脂肪、である。
オーバーな言い方をすれば、トドのような体型になってしまい、健診の数値も医者に叱責を受けるレベル。そんな彼女が、ひょんなことからスイミングクラブに加入する。さて、どうなったか。
二度目のチャンス、というタイトルからおわかりのように、五十代になった彼女は泳ぐことで人生が変わっていく。親の介護が終わっても、家の代表としての対応を求め続ける親戚たちに、水泳大会出場のほうが家よりもだいじだと(初めて)突っ張る彼女に喝采だ。
単なるスポ根水泳ドラマになっていないのは、彼女自身の“生”の象徴である水泳を邪魔するのが、このように親戚だったり地域だったりする事情が描かれているから。わたしたちの世代って、それを捨てきれずに来たのである。