お寺のオバサンのひとりごと

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いじめ自殺を聞いて

2006年10月30日 | 仏教
 最近立て続けにいじめが原因と思われる子ども達の自殺が相次ぎ、毎日、暗い重い気持ちになっています。
 
 思春期の未熟な子ども達同士のトラブル、ケンカは当然あるでしょうが、それがその場限りでおさまらず、しつこいイジメ、無視、人格否定につながり、深刻になっています。
 
 今朝テレビで瀬戸内寂聴さんが発言されていましたが、「どうして、自分がされてイヤなことを平気で人にしてしまうのか・・・想像力というものが、まるでない」 罪の意識もなく相手をからかい、イジメる。自分の感情をたれ流しにする。それが、どんなに残酷で恥ずかしいことなのかわからない子ども(大人も?)が増えてしまったのでしょうか。

 一人ひとり姿形も、考え方も異なるのに、個々を尊重することができない社会。「みんなといっしょ」でなきゃいけない世界。それにはずれたらイジメられる世界って生きツライですよね。

 「阿弥陀経」に青色青光(しょうしきしょうこう)・黄色黄光(おうしきおうこう)・赤色赤光(しゃくしきしゃっこう)・白色白光(びゃくしきびゃっこう)微妙香潔(みみょうこうけつ)と説かれるくだりがあります。

「青色の花には青の光、黄色の花には黄色の光・・・そして、いずれも気高いきよらかな香りを放っている」

 それぞれ、個が輝く世界が仏教の世界です。そして、お互いが相手を尊重し、お互いが支え合い、感謝する世界です。
 自分の狭い思いこみの価値観が仏の智慧にふれて「恥ずかしい」と気づかされる世界です。
 
 人間として根本である一番大切なこころの問題が家庭の中で何も教えられていないのが、悲しい事件の多発の原因であるように思います。
 
 ウチの子も中学生の時、ツライ時期があったのですが、自分のことで精一杯の未熟な母親(私)は、なかなか気づいてやることができませんでした。思春期の子どもは、自分の弱いところを親には見せたがりません。黙っているから、わからない。
 お弁当を残してくるようになった。何となく表情が暗く、元気がない。お腹が痛くなったり、頭痛がしたり、体調もおかしくなってくる・・・ある時自分のことではなく、友達の話のようにして私に話し、やっと我が子の問題に気づいたのだったと記憶しています。

 しばらく自信喪失、対人関係に微妙な影を引きずっていた我が子は、脳天気なダメ母にもかかわらず、自分で乗りこえて、人間的にも成長してくれました。

 愛するわが子へ、これからも生きてゆく中でツライことがたくさんあるでしょうが、たくましく明るく生きぬいてね
 


 
コメント (7)
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