お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

その11 菩薩(ぼさつ)

2006年12月04日 | 仏教
 昨日、同時刻をご希望の2軒の法事に、住職と手分けしてお参りさせていただきました。
 私がお世話になったのは、お孫さんがウチの娘と同級生のお宅。自宅の駐車スペースが狭いからと、わざわざ送り迎えをしてくれたのは、その孫さんのI君。小学生の頃から長身でかっこよかった彼だが、立派なおちついた青年(社会人)になられていた。
 この頃お参りに行く先々で「私も今流行のブログを始めました」と宣伝している私。昨日も若者たちに、しっかり宣伝。
 もしI君、本当に見てくれていたら「彼女を乗せるべき助手席にオバサンを乗せてもらってお世話になりました」

 さて、きょうの仏教語は「菩薩」

 私、お寺に嫁に来るまで「仏」と「菩薩」の違いを知りませんでした。

 百華苑 刊 浄土真宗聖典普及会編 「解説 礼拝聖典」(浄土真宗の「正信偈」などの解説がされています)によると、

 「菩薩 梵語のボディーサットバの音を写した語。
 仏のさとりを求めて修行すると共に、他をさとりに到達させようと努める求道者。

と、書かれています。

 つまり、仏に近いが、完全にさとりをひらいて仏と完成される一歩手前の方。といったところでしょうか。
 
 阿弥陀仏も以前は、法蔵菩薩という名前の菩薩さまで、仏に成るにあたって、48の誓願(仏と成るからには、こうしたい〔皆を救いたい〕という願いの誓い)をたてられ、成就して阿弥陀仏と成られたということが「仏説無量寿経」に説かれています。

 その第18番目の誓願「わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生まれたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生まれることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません・・・」

を「本願」と称しています。本願寺の名前にもなっている「本願」です。

 浄土三部経「仏説無量寿経」「仏説観無量寿経」「仏説阿弥陀経」の現代語訳が、本願寺出版社から出ています。興味がある方は取り寄せて読んでみて下さい。
コメント (2)
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