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お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

その9 無碍の一道(むげのいちどう)

2006年12月02日 | 仏教
 毎朝民放テレビで「きょうの運勢」があり、星座、血液型、何月生まれ・・等 日本人は占い大好きですよね。
 私も仏教にご縁ある以前は、占いをとても気にしていました。
 
 
 きょうの仏教語は「無碍の一道」

 有名な「歎異抄」(たんにしょう・親鸞聖人亡き後、聖人の教えを取り違えた人が増えてきたことを嘆いて正すために、弟子の唯円さんが聖人の言葉を書かれた著書)に出てくる親鸞聖人の言葉です。

 意味は、何事にも、さまたげられない道のこと。

 歎異抄には「念仏者は無碍の一道なり、そのいわれいかんとならば、信心の行者には天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし、罪悪も罪報も感ずること能わず、諸善も及ぶことなきゆえに無碍の一道なり」とあります。

 自分と愛するものは健康で、災害事故にも遭わず、お金もあって・・と我が身の安泰を願うのが人間の常ですが、そのために占いや、まじないに振り回されるのは不自由なことです。
 
 昨日の例えで言えば、人生の確かなカーナビがなく、その場しのぎの同道巡りしている状況。

 私は、仏教に出逢ってからは占いを一切気にしないですむようになりました。
 六曜(大安、仏滅)も、方角も、印相も、墓相も、姓名判断も・・ 

 実家の母が若い頃は姓名判断を大変気にしていて、私の名前もそのために誰も読めないミョーな名前なんですが・・・ この妙な名前のせいで妙な姓の人と結婚し、しかもお寺に入って自分も坊さんになるなんて、数奇な運命 やはり、有り難い名前たっだのか・・・
 いらんことに、30年前私たち母娘は、幼なじみのYさんにまで「姓名判断上、名前が悪い」なんてこと言ったり・・この場をかりてYさん、ごめんなさい
 
 親が子の幸せを願う気持ちは自然な感情ではありますから、全否定はいたしませんが。占いは、ほどほどに・・・

 今の私は、仏の仰せは聞きますが、人間(占い師さん)の言うことは信用しません。

 無碍の一道  仏の教えで充分です。
コメント (2)
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