お寺のオバサンのひとりごと

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慈悲

2007年01月23日 | 仏教
 世間では「愛する」ってことが、とてもすばらしい事のように称賛されています。
 でも、仏教では「愛」は煩悩(ぼんのう・心を悩み苦しませること) の一つとします。
 「えっ 人を大切に思うことはいいことなのに、何故それが、煩悩なの」と、驚かれたかもしれません。

 何故、仏教で「愛」を煩悩とするのか・・・・・それは、「愛」には「自分の執着」が混じるからです。

 相手をただ、ただ、大切に思う無償の愛があることを否定しませんが、大抵は、自分が愛しく思う相手を好み、自分が期待するように相手が言動してくれることを望んでいるのであって、突き詰めれば自己愛です。

 だから、自分の「愛する」相手が、自分の思うように言動しないと、逆に憤り憎みます。「自己愛」抜きに、本当に相手を思いやって尊重しているわけではないからです。

 最愛の家族同士でも自分の思い通りに言動してくれないと、遠慮、気遣いがないぶん、よけい腹が立つじゃありませんか

 仏教では、「愛」ではなく「慈悲」を説きます。
 全ての生きとし生けるものに、平等にそそぐ慈しみの心です。
 自分と他人、自分の好き嫌いを超越した、差別のない「慈しみの心」です。

 これは、仏さまだからできる心。そうありたいけど、私には実行不可能な心です。

 私にできるのは、そういう慈悲が尊いと気づかされて生きるだけです。「愛」の名の下に「自己愛」を崇高と讃えないことを知るのみです。その上で私の愛する人たちを思いやって、感謝して言動することです。

「自己愛」のために人を傷つけ、悲しませないように生きてゆきたいと思います。
コメント (2)
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