他の宗教(キリスト教・イスラム教など)が、まず「神ありき」から始まる教えとするならば、仏教はまず「今ここに生きている私」から始まると思います。
四苦八苦の現実の苦悩からの解脱、それが「悟り」。
悟りに目覚めたものが「仏」。
しかし、この世で現実に悟りを得、仏と成られたのはお釈迦様だけ。
我々凡夫には、この世で、この身のまま、真理を「悟る」なんてことは、まず無理・・・(だからこの世では、悟りという結果ではなく、それに向かって生きる仏道が尊い「私の生きる道」だと思っています)
お釈迦様は最初「悟り・仏法」を説くことをためらわれた。悟りの内容を話したところで一般の者には、わからないだろうと。
しかし思い直して、たくさん「仏法」=悟りに到る道 を説いてくださった。
その人、その人に応じて仏道を説いてくださった。だから、たくさんの教法(お経)があります。
その数ある教法の中から、自分だけでなく、人もが「救われる=悟りにいたる 仏道」を選びとって、勧めてくださったのが、各宗派の宗祖の方々。
それぞれ仏法の解釈・味わい方があるとしても、ご本人たちは、あくまでお釈迦様の仏法を勧められたのであり、自分の新説をとなえて「教祖」になったわけではありません。
だから、彼らは「宗祖」であって「教祖」ではないのです。
私は浄土真宗だから、親鸞さん贔屓になるのですが、親鸞さんは極めて謙虚。
人の批判ではなく、自分のことを「罪悪深重の凡夫」と自覚されていた。
教えを請う人を「弟子」などと言わず、皆、仏の前では同朋・仲間だと思われていた・・・生活も取り繕うことなく、本音で生きられた。 ステキ
その方が勧めてくださる教えだから、本物だと思います。素直に頭が下がります。
四苦八苦の現実の苦悩からの解脱、それが「悟り」。
悟りに目覚めたものが「仏」。
しかし、この世で現実に悟りを得、仏と成られたのはお釈迦様だけ。
我々凡夫には、この世で、この身のまま、真理を「悟る」なんてことは、まず無理・・・(だからこの世では、悟りという結果ではなく、それに向かって生きる仏道が尊い「私の生きる道」だと思っています)
お釈迦様は最初「悟り・仏法」を説くことをためらわれた。悟りの内容を話したところで一般の者には、わからないだろうと。
しかし思い直して、たくさん「仏法」=悟りに到る道 を説いてくださった。
その人、その人に応じて仏道を説いてくださった。だから、たくさんの教法(お経)があります。
その数ある教法の中から、自分だけでなく、人もが「救われる=悟りにいたる 仏道」を選びとって、勧めてくださったのが、各宗派の宗祖の方々。
それぞれ仏法の解釈・味わい方があるとしても、ご本人たちは、あくまでお釈迦様の仏法を勧められたのであり、自分の新説をとなえて「教祖」になったわけではありません。

だから、彼らは「宗祖」であって「教祖」ではないのです。
私は浄土真宗だから、親鸞さん贔屓になるのですが、親鸞さんは極めて謙虚。
人の批判ではなく、自分のことを「罪悪深重の凡夫」と自覚されていた。
教えを請う人を「弟子」などと言わず、皆、仏の前では同朋・仲間だと思われていた・・・生活も取り繕うことなく、本音で生きられた。 ステキ

その方が勧めてくださる教えだから、本物だと思います。素直に頭が下がります。