「人はこの世の愛欲のきずなにつながれて生きているが、つきつめてみると、独り生まれ、独り死に、独り来て、独りゆくのである。すなわち、人それぞれの行いによって苦楽の境界にすむ身になるのであって、すべては自分自身がその責任をおわねばならない。だれも、これに代わることはできないのである。」
これは「仏説無量寿経」の一節です。(「仏説」とは、お釈迦様の説法のこと)
対人関係に悩むのは、人間の常ですが、結局、「私は、私独りなんです」
「私独り」とは、精神的な孤独を言っています。
若い方へ
よく「誰も私の気持ちをわかってくれない
」なんて言いますが、当たり前なんです。家族と言えども、誰一人同じ感覚・感性を持ち得ない。みんな「私独り」、一人ひとり違うのですから。
私の感情とピッタリ同じように相手に感じて欲しいと期待しても、まず無理。
私が思うように相手が言動することを期待するから、
腹が立つんですよね。
仏教の智慧では、「あなたの孤独をしっかり受けとめなさい」ということ。
その上で、私たちができることは、相手に素直に自分の気持ちを話すこと、相手の話を静かに聞くこと。
完全に相手の気持ちを理解することはできないが、相手の気持ちに寄り添うこと
はできると思います。
仏教での理想の人間関係は、見返りを期待しない「布施」の人間関係。
「布施(この場合、相手を思いやる心の布施
)」は施しをした方が「してやった」と恩着せがましく思わないこと。決して無理はせずに、できる時に、できることを相手にさせていただく。
道徳ならば、「誰とでも仲良くしましょう」でしょうが、仏教ではそうじゃないと思う。
誰とでも仲良くできない私を自覚する。苦手な相手とは、うまく精神的距離間を保って(心の中で「すみませんが、私はあなたが嫌いです。ゴメンナサイ・・」と手を合わせて)距離をおいて付き合う。
距離を置くとは、シカトや冷たくあしらうことではありません。
特別近づかないけど、普通に接することです。
生活の場に仏教の心があれば、対人関係の悩み
も、ほんのちょっぴり楽
になるように思います。
これは「仏説無量寿経」の一節です。(「仏説」とは、お釈迦様の説法のこと)
対人関係に悩むのは、人間の常ですが、結局、「私は、私独りなんです」
「私独り」とは、精神的な孤独を言っています。
若い方へ
よく「誰も私の気持ちをわかってくれない

私の感情とピッタリ同じように相手に感じて欲しいと期待しても、まず無理。
私が思うように相手が言動することを期待するから、

仏教の智慧では、「あなたの孤独をしっかり受けとめなさい」ということ。
その上で、私たちができることは、相手に素直に自分の気持ちを話すこと、相手の話を静かに聞くこと。
完全に相手の気持ちを理解することはできないが、相手の気持ちに寄り添うこと

仏教での理想の人間関係は、見返りを期待しない「布施」の人間関係。
「布施(この場合、相手を思いやる心の布施

道徳ならば、「誰とでも仲良くしましょう」でしょうが、仏教ではそうじゃないと思う。
誰とでも仲良くできない私を自覚する。苦手な相手とは、うまく精神的距離間を保って(心の中で「すみませんが、私はあなたが嫌いです。ゴメンナサイ・・」と手を合わせて)距離をおいて付き合う。
距離を置くとは、シカトや冷たくあしらうことではありません。

生活の場に仏教の心があれば、対人関係の悩み

