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お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

人間関係の仏の智慧

2007年01月19日 | 仏教
 「人はこの世の愛欲のきずなにつながれて生きているが、つきつめてみると、独り生まれ、独り死に、独り来て、独りゆくのである。すなわち、人それぞれの行いによって苦楽の境界にすむ身になるのであって、すべては自分自身がその責任をおわねばならない。だれも、これに代わることはできないのである。」

 これは「仏説無量寿経」の一節です。(「仏説」とは、お釈迦様の説法のこと)

 対人関係に悩むのは、人間の常ですが、結局、「私は、私独りなんです」
 「私独り」とは、精神的な孤独を言っています。

 若い方へ

 よく「誰も私の気持ちをわかってくれない」なんて言いますが、当たり前なんです。家族と言えども、誰一人同じ感覚・感性を持ち得ない。みんな「私独り」、一人ひとり違うのですから。

 私の感情とピッタリ同じように相手に感じて欲しいと期待しても、まず無理。

 私が思うように相手が言動することを期待するから、腹が立つんですよね。

 仏教の智慧では、「あなたの孤独をしっかり受けとめなさい」ということ。

 その上で、私たちができることは、相手に素直に自分の気持ちを話すこと、相手の話を静かに聞くこと。
 
 完全に相手の気持ちを理解することはできないが、相手の気持ちに寄り添うことはできると思います。

 仏教での理想の人間関係は、見返りを期待しない「布施」の人間関係。
 「布施(この場合、相手を思いやる心の布施)」は施しをした方が「してやった」と恩着せがましく思わないこと。決して無理はせずに、できる時に、できることを相手にさせていただく。

 道徳ならば、「誰とでも仲良くしましょう」でしょうが、仏教ではそうじゃないと思う。

 誰とでも仲良くできない私を自覚する。苦手な相手とは、うまく精神的距離間を保って(心の中で「すみませんが、私はあなたが嫌いです。ゴメンナサイ・・」と手を合わせて)距離をおいて付き合う。
 距離を置くとは、シカトや冷たくあしらうことではありません。 特別近づかないけど、普通に接することです。

 生活の場に仏教の心があれば、対人関係の悩みも、ほんのちょっぴり楽になるように思います。
 
コメント (3)
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