如実知見とは、物事をあるがままに見る
ことを言います。
もちろん、これが完璧にできるのは、仏さまだけです。 私たちは、それぞれ生まれ育った自分の価値観でしか、物事を見ることができませんから・・・
でも、如実知見「物事をありのままに見る」という仏の智慧を知ることで、ほんのちょっぴり、今より楽な考え方に転じられるかもしれません。
ひろさちや著「仏教初歩」(すずき出版)で読んで、なるほどと思わされたことがあります。その中のエピソードをご紹介。
ある仏教学者の方の家が、隣家が火元の火災で全焼。大切な研究論文、長年かかって集めた蔵書、全て灰となってしまわれたそうです。
隣家の不注意で自分の大切なものを全て「焼かれた」
と思うと腹立たしくてたまりません。
そこで、その仏教学者さんは、隣家を許してあげるため、研究論文や蔵書は自分で焼いてしまった・・・と思おうとされます。つまり、「焼かれた」のではなく、「焼いた」のだと。
しかし、事実と違うのだから「焼かれたのではなく、焼いた」などとは思えません。
そこで、その仏教学者さんは、ただ「焼けた」という事実だけ受けとることにされたそうです。
「焼かれた」でも「焼いた」でもなく、ただ「焼けた」と。
そう事実をありのままに受け入れることで、心が平静
になられたそうです。
仕返しを考えて怨みだけにイライラして生きるでもなく、「自分は寛大な人間だから許してやろう」と肩に力を入れて努力するでもなく・・・
つらい、悲しい事実ではあるが、あるがままに受け入れられた。
仏教の智慧はスゴイんです。私たちの逆上、動揺を心を慰めてくださる。(心が動揺しなくなる・・という意味ではありません。ちょっぴり、心が軽くなるという意味です)
自分の計らいを捨てて、仏さまに「南無(帰依)・お任せして生きる」とはこういうことじゃないでしょうか?

もちろん、これが完璧にできるのは、仏さまだけです。 私たちは、それぞれ生まれ育った自分の価値観でしか、物事を見ることができませんから・・・
でも、如実知見「物事をありのままに見る」という仏の智慧を知ることで、ほんのちょっぴり、今より楽な考え方に転じられるかもしれません。
ひろさちや著「仏教初歩」(すずき出版)で読んで、なるほどと思わされたことがあります。その中のエピソードをご紹介。
ある仏教学者の方の家が、隣家が火元の火災で全焼。大切な研究論文、長年かかって集めた蔵書、全て灰となってしまわれたそうです。
隣家の不注意で自分の大切なものを全て「焼かれた」

そこで、その仏教学者さんは、隣家を許してあげるため、研究論文や蔵書は自分で焼いてしまった・・・と思おうとされます。つまり、「焼かれた」のではなく、「焼いた」のだと。
しかし、事実と違うのだから「焼かれたのではなく、焼いた」などとは思えません。
そこで、その仏教学者さんは、ただ「焼けた」という事実だけ受けとることにされたそうです。
「焼かれた」でも「焼いた」でもなく、ただ「焼けた」と。
そう事実をありのままに受け入れることで、心が平静

仕返しを考えて怨みだけにイライラして生きるでもなく、「自分は寛大な人間だから許してやろう」と肩に力を入れて努力するでもなく・・・
つらい、悲しい事実ではあるが、あるがままに受け入れられた。
仏教の智慧はスゴイんです。私たちの逆上、動揺を心を慰めてくださる。(心が動揺しなくなる・・という意味ではありません。ちょっぴり、心が軽くなるという意味です)
自分の計らいを捨てて、仏さまに「南無(帰依)・お任せして生きる」とはこういうことじゃないでしょうか?