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お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

仏壇

2007年01月08日 | 仏教
 「仏壇」は、
「亡くなられた家族、先祖をおまつりする入れ物」
「遺族の誰かが代表で仏壇の面倒を見る(お世話をする)もの」

と誤解されておられる方が多いと思います。

 本当は「仏壇」はご本尊を安置して、浄土真宗で言えば「阿弥陀仏」に私の心を合わせる場です。
 家庭に寺の縮小版を置く、ホームチャペル(家庭礼拝場)のようなものです。
 だから、各ご家庭(本家、分家関係なく同様に)にあるのが本当、理想です。

 家庭の心の中心地が、お仏壇。
 
 そうは言っても、「自分に或いは夫につながる先祖に礼拝する気持ちはあるが、阿弥陀仏と言われても遇ったこともないし、感謝の気持ちなんて起こらないし・・・何で阿弥陀仏に手を合わせるのかもわからん

と思われるのが本音かもしれません。

 でも、特定(自分の身内だけ)の故人を礼拝するだけでは、単なる先祖供養。
 仏さまに対して自分の心が何も問題になってないことになります。

 仏教はこの「私」を仏に問い、悟りの仏に、不完全な私を導いてもらう(人生の指導をいただく)教えです。

 「阿弥陀仏」と言われてもピンとこないのでしたら、とりあえず、こう考えてみてください

 亡くなられた最愛の家族・自分の先祖は、今は悟りを開かれて、苦しみも欲もなく最高の心の境地に達して、阿弥陀仏と同じはたらきの尊い仏さまと成られています。

 仏と成られた故人は、生前の思いのまま極楽浄土で安穏としておられるのではなく、阿弥陀仏と同じ悟りと願いをもって私を心配し、私を目覚めさせよう・悟りに導こうと、はたらき続けておられます。

 だから、私自身が、阿弥陀仏の願い(仏法)に耳を傾けることが、故人に対する一番の供養(仏と成られた故人が一番喜ばれること)であり、報恩感謝になるのです。
 いつも、どこでも私を心配し見まもっておられる仏さまを尊いと仰ぐ場がお仏壇なのです。

 
コメント (2)
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