お寺のオバサンのひとりごと

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福島被災地 支縁の旅 3日目 その1

2015年09月09日 | 行事・案内
 原発事故で避難を余儀なくされた、富岡町のK寺さま(原発から9.7km)が、現在、いわき市(原発から50km)の民家を購入して、寺院活動をしておられます。

 「支縁の旅」3日目は、まず、K寺さまにお参りさせていただき、90才を越えられたご住職からお話を伺いました。

 原発事故直後は、何も知らずに普通に自坊で生活されていたそうです。
 そこへ、避難指示が出て、何が何だかわからないまま避難。避難所に到着すると、まず、放射線量を測定されたそうです。
 放射線というのは、足下に溜まるそうで、まず、足の裏を調べられたとのことです
 
 現在のいわき市の民家に落ち着き、寺院を再開するまでは、避難所、お子さんの所など、転々とされたそうです。
 ご自身、体調を崩され入院されたこともあったそうです。
 同級生の僧侶仲間がとても心配してくれ、その心配してくれていた友人が先にご往生されたこともお話くださいました。
 
 淡々とお話くださいましたが、この4年半の大変なご苦労が偲ばれました。

 K寺さんお参りの後は、いわき市内の海岸部、津波で被害を受けられた地区に回りました。


  

 写真 ↑ の沿岸部は、元は住宅があった所です。

 現在は堤防と、土地の嵩上げ工事が行われています。

 上の写真を含めて、いわき市の塩屋崎灯台展望台からの写真です。
 

   

 まず、灯台まで坂道を登り、さらに灯台の展望台まで階段で上ります。 階段は106段。
Yさんが「煩悩の数より少ない いや、私自身は108どころじゃない煩悩を抱えていそう・・・」
 皆も笑って同意、
「もう2度と来られないだろうから」と、頑張って上りました。

 お天気にも恵まれ、美しい眺め。今は、穏やかな海。

  

  

  

 灯台の入り口案内の女性職員さんは、4年前のあの3月11日も灯台に1人でおられたとのことです。
 地震で、灯台付近は倒壊したと、聞きましたので、「どうやって避難されたのですか」と尋ねましたら、「下とは連絡とれないし、もう、無我夢中で・・・」と仰っていました。

 灯台は、2011年11月30日に再灯火されたそうです。

 ちなみに、塩谷岬の麓には、美空ひばりさんの「みだれ髪」の歌碑があります。

   

 この碑があるあたりは、津波の被害を受けなかったそうです。
コメント (4)
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