お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

福島被災地 支縁の旅 2日目 その2

2015年09月06日 | Weblog
 会津美里町の楢葉の仮設住宅訪問。
 福島の新聞社の方が取材にみえていましたので、仏教讃歌や「ふるさと」を歌っているところが掲載されたかもしれません。
 
 楢葉の方との交流会の後は、会津若松市内のH寺さんへ。
 
 H寺さんをお借りし、会津若松に避難しておられる大熊町(原発すぐ近くの町で帰宅困難地区)の方々をお招きしての交流会。

 まず、大熊町の方と佐賀の者が混じって座り、昼食会。
 その後、本堂で、東日本大震災関連で、ご往生された方々を偲んで「追悼法要
 今回、佐賀からの4人の男性僧侶が調声をつとめられ、一同「讃仏偈」のおつとめ。

 
   

 その後、仏教讃歌を披露(参加くださった大熊町のほとんどの方が「仏教讃歌」なるものを初めて知ったと言われていました
ここでも「ひとりじゃなかもん」フラダンス。そして、「上を向いて歩こう」など数曲をご一緒に歌いました。

 門徒会館に戻って、抹茶接待。 皆さん、「美味しい」と、喜んでくださいました。
お抹茶って、ホッとする、不思議に心和むものです。
 佐賀から持参した抹茶碗は、そのままプレゼント。(その他、佐賀の特産品:佐賀のり、嬉野茶、有田焼の食器類など ← 全て、今回の参加者が提供 をプレゼント)


 その後は、団長のS寺前住職さんを司会に、パネルディスカッション(意見交換会)
 まず、3名の大熊町の方が体験やお気持ちを話してくださいました。
 
 1,避難訓練は役に立たなかったこと

  行政、消防、警察など、連絡や指示がバラバラ だった。
  オフサイトセンター(緊急事態対策施設)が、場所によって全く機能しなかった(原発から数kmの施設にヨウ素剤など保管してあったが、何もならなかった)

 2,避難場所の難しさ

  昼間の災害だったため、家族はバラバラ。避難場所もいろいろ。あの寒さの中、コンクリート床の倉庫に段ボール1枚で過ごした所も。
 
  食事の配給も2日間でおにぎり1個であったり。ジャムパンばかり大量に来て、3食ジャムパンだったり・・・

  避難場所では、高齢者の枕元で子どもが走り回る。苛立った大人が赤ん坊の泣き声がうるさいとどなる 等など

 1,2は、震災が原因ですが、3は、福島第1原子力発電所事故のせいです。(想定できた地震、津波の対策を東電はとっていなかった)

 3,帰宅困難地区の方は、故郷がなくなった

 家はほとんど壊れていません。一時的な(数日の)避難だと思って、何が何だかわからないまま、家を出られました。
 
 2世代、3世代で住んでいた広々した立派な家、美しい自然、先祖代々の田畑、山林、墓地、近所とのお付き合いも・・・生活の全てを無くされました。
 
 ほとんどの方が、病気(身体も、心の病も)を発症。

 でも、負けてたまるかと気力をふりしぼり、また、あたたい励ましにふれて、何とか生きてきた と、聞かせていただきました。
コメント
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