お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

天空の蜂

2015年09月25日 | 雑感
「お彼岸の法要が終わったら・・・」と楽しみにしていた

映画「天空の蜂

を観てきました。

東野圭吾さんの原作はもちろんですが、いや~ 映画も面白かった~

舞台は、高速増殖炉(原発)

 日本国中の原発を停止しなければ、乗っ取った無人大型ヘリコプター、しかも大量の爆薬を積んだヘリコプターを高速増殖炉に落とす と、犯人から要求が・・・というお話。


 今、自分が都合よく生きることにしか関心がなく、人の傷みや不都合な事実には、無関心、しかも、そのことに、全く罪の意識もなく生きている「私」1人ひとりが問われる、原作であり、映画だと思います。

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自死をどう思うか?

2015年09月25日 | 仏教
本願寺派の仏教婦人会の季刊誌「めぐみ」秋号 写真 ↓ 

 

 この「めぐみ」の中で、A先生が「自死をどう思うか?」
学生さんに問いかけられた記事が掲載されています。

 若者から出た意見は

 「生きる権利があるように、死ぬ権利もある」
 「個人の問題」
 「自分の いのち なのだから、どうしようと自由」

 堕胎に関しては、
 「お腹の赤ちゃんは人間じゃないから中絶を認めて良い」

などと言う、聞いてびっくり、、悲しくなる意見があったようです。

 「いのち」を私物化している若者が多いということでしょうか

 何一つ、自分で作ったものはない、完全な賜りもの が、「いのち」なのに・・・

 自分が気づかないだけであって、今まで直接にも間接にも、一体、何千人、何万人、何千万人の方々にお世話になって生きてきたのか、どれほどの動植物の「いのち」を頂いて生かされてきたのか

 私が、今、生きているのは奇跡(思議を越えた不可思議)であるのに・・・

 私は「自死」された方を責める気持ちは全くありません。
それぞれ、事情があり、大変苦しまれた結果だからです。
私だって、何らかの縁によっては「自死」しかねない身です。

 ただ、いのちは「私」の物、私がどうしようと、私の勝手 という考えは、仏の教えから、かけ離れた感性です。
また、赤ちゃんも男女が「作る」ものでもなく、尊い「賜りもの」で、
命は、なにものにも代えがたいもの(A先生がアンダーラインで強調されておられます)だと、気づかせていただくのが
本当の「いのち」の受け取り方であろうと、文章を拝読しつつ、しみじみ思いました。


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