ACのコマーシャル、特にスマップがひとり一言ずつ言った後のトータス松本の関西弁が続くコマーシャルに対して、反発を覚える人はたくさんいらっしゃると思います。私の場合は反発を通り越して、嫌悪感さえ感じるようになりました。そして何故自分が嫌悪感を感じるのか、考えてみました。
日本は強い国
長い道のりになるかもしれんけど
みんなで頑張れば絶対乗り越えられる
そう思う
日本の力を信じてる
何を根拠にこんなことが言えるのかわかりません。わからないままに何度も何度も同じコマーシャルが流されると、いい加減辛くなります。早くやめてほしいと思ってしまう。それは多分、辛い目に遭っているときに他人から何度も何度も「頑張ってください」と言われるのと同じことで、言われる度に「もう頑張りようがありません」と言い返したくなります。
やめてほしいと思ってもそこはテレビ局やら何やらの思惑やら利益やらが絡んでいるのでしょうからそう簡単にはやめるはずもありません。こっちがテレビを見るからいけないのだと思い、なるべくテレビ自体を見ないことにしました。
少しニュアンスは違うかもしれませんが、いまは辛いけれどもいつかは笑い話になる、という意味の歌がたくさんあるなとふと思いました。
ばんばひろふみが歌った「SACHIKO」では「泣いた夜さえいつの日か笑い話になるものさ」というフレーズがあります。
さだまさしの「秋桜」では「苦労はしても笑い話に時が変えるよ心配いらないと笑った」というフレーズがあります。
中島みゆきの「時代」では「あんな時代もあったねときっと笑って話せるわ」というフレーズがあります。
これらの歌詞はトータス松本の根拠のない言い方と違って、経験則に基づいています。時間が経てば喜怒哀楽の感情は風化して、枯れた思い出(笑い話)となるという経験則です。これは誰もが体験して知っていますし「喉元過ぎれば熱さ忘れる」という諺もあります。
最近、歯周病で歯が膿んで5日間ほど疼痛が続きました。どんな痛みか例えると、コンクリートを砕くときに使う「ハツリ」という機械を持った30人くらいの小人が私の歯の骨に向かって一斉にダダダダダダとやっているような痛みでした。痛みどめのボルタレンを飲むと1時間くらいしたら収まるのですが、2~3時間でまた痛くなります。余り続けて飲むとよくないのはわかっていましたが、痛いときに飲んでくださいと言われたことを言い訳にして、3~4時間に1回ほど飲んでいました。貰った8回分は2日目になくなり、冷蔵庫にボルタレンサポという座薬があったのを思い出して使いました。座薬は飲み薬よりも早く効きます。腰痛の治療のときに貰ったのですが、冷蔵庫に保管しておいて本当に助かりました。
かなり辛い5日間でしたが、痛みがなくなるとケロッとして、また歯磨きがおざなりになりそうです。
痛い間は、痛みを忘れるために自分の注意を別のことに向ける努力をしました。小さな努力です。自分の痛みは誰かに振り分けることができません。どこまでも自分で痛みに耐えるしかないのです。
今回の大震災に対しても、結局は各自が自分のできることをするしかありません。それは決して、日本が強い国であるとか、みんなで頑張るとかいうことではないのです。自分にできることとできないことを区別して、できないことをあれこれ言うのではなく、できることを少しずつやっていくということです。
もし、「日本は強い国・・・みんなで頑張れば・・・日本の力を信じてる」という考え方を推し進めていくと、それはかつて歩んだ全体主義の道に逆戻りします。
ACのコマーシャルには、全体主義的な考え方、安倍晋三が好みそうな考え方が満ち満ちています。だからこのコマーシャルに誰もが反発を覚え、または私のように嫌悪感を感じるのです。
不謹慎だとか、非国民だとかいった言葉が大手を振ってまかり通る世の中は、人々の精神が病んでいる世の中です。大震災と原発事故と政治の嘘と空回りで日本は病んでいますが、日本人の精神まで病んでしまわないことを切に願っています。