三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

根岸ステークス 3連単

2007年01月28日 | 競馬
 昨日は堅い決着だったので取りガミになってしまいました。気を取り直して今日は東京の11レース根岸ステークスの馬券を買います。
 まずは例によって消去法で買わない馬を決めていきます。
前走負けすぎの
 1番 トウショウギア
 4番 セレスダイナミック
 10番 ビッググラス

ダート未勝利の
 5番 ダイワバンディット
 15番 インセンティブガイ

前々走のダートで負けすぎの
 3番 ヒシハイグレード
東京コースが向いていない感じの
 13番 マルカフレンチ
武蔵野ステークスでの比較から
 14番 ニホンピロサート
1400メートルが短すぎる
 11番 スナークファルコン
前走のときも思いましたがやっぱりローテーションのきつすぎる
 9番 リミットレスビッド

残り6頭ですが、ここから絞るのが難しいので、東京コースも得意、1400メートルも6勝しているシーキングザベストがここは次のフェブラリーSへの叩き台としても実力からして3着を外すことは考えづらいので、点数は多くなりますが、
12番シーキングザベストを軸に、
2番、6番、7番、8番、16番の5頭を相手の
3連単マルチ馬券を買います。


東京新聞杯 馬券

2007年01月27日 | 競馬
 休職中だった頃に比べるとブログの更新は結構しんどいものです。仕事をしながらしかも頻繁に更新なさっている方々には頭の下がる思いです。帰宅してお風呂を浴びてから、ビールを飲む前にやればいいのですが、はじめると大体1時間くらいはかかるのでつい億劫になってしまって先にビールを飲んじゃいます。すると眠くなって寝てしまい、起きたら出勤という毎日が続いて、なかなか更新できないというのが怠惰な私の精一杯の言い訳といったところでしょうか。

 さて、本日の競馬は東京新聞杯。いまいちな馬が揃いましたが、このレースを1番人気で勝った馬はその後結構活躍しているんですね。ギャロップダイナ、トウショウマリオ、トロットサンダー、キングヘイロー、ハットトリックなどです。1番人気がずっこけやすいのもこのレースの特徴です。今年はおそらくエアシェイディが1番人気でしょうが、どうなることでしょうか。

 よくわからないので、前走と中山コース実績と連帯率から、

4番 エアシェイディ
10番 ブラックバースピン
12番 スズカフェニックス

 それに追い込み一発に期待して

6番 ホッコーソレソレー

の4頭に絞りました。4、6、10、12の馬単と3連単、それに3連複の各ボックスを可愛く2,000円ずつ買います。


オテアライ ハケン 不二家

2007年01月19日 | 政治・社会・会社

 企業の経営者には社会的責任があり、企業の規模が大きくなるにつれて責任も重くなり範囲も広がっていきます。大企業の経営者ともなれば、その発言や行動が社会的政治的な影響力を及ぼし、場合によっては国際関係を変化しうることを常に自覚していなければなりません。
 という、私たち庶民にとっては当り前のように思える理屈ですが、当の経営者の方々はあまりそんなふうには考えないようです。有名な圧力団体のオテアライとかいう会長さんは、社会的責任どころかご自分の会社では偽装請負という違法行為によって労働者を安くこき使い、巨額の利益を出しています。オテアライさんは日本の法人税の実効税率が20%もないことを当然ご存じだと推察申し上げますが、にもかかわらず日本の法人税は高過ぎるから下げるように政治的圧力をかけていまして、なかなかちゃっかりしています。それにしてもいったいどれだけ儲ければ気がすむのでしょうか?
 このオテアライさんのすごいところは、それでなくても偽装請負をやって人件費を極限まで削って無慈悲に労働者を働かせているのに、まだ飽き足らずに今度は正社員からも人件費を削ろうと自律的労働時間制度の法制化を画策してきました。ここまで徹底していると、誠に見上げた根性であると、半ば呆れつつ、感心してしまいます。この制度は英語でホワイトカラーイグゼンプションと表示されることが多いように、アメリカの意向をそのまま実行しようというものです。郵政民営化と全く同じ構図です。世界中から嫌われているアメリカの意向に従うことが日本にどれほど不利益をもたらすかなど考えもしないでただ従うのは頭がどうかしているとしか思えません。
 同じように頭がどうかしているとしか思えないのが、ハケン会社経営の奥谷禮子とかいう人で、この人はホワイトカラーイグゼンプションに賛成どころか、労働基準法も労働基準監督署も要らないと言っています。さらに土日祝日も不要で、労働者は一日24時間365日を好きなように働けばいいと、出来るはずもないことを前提に、労働者に不平や不満があるなら民法で解決できると言っております。民法で解決できるくらいならサービス残業や過労死や過労自殺はなかったであろうことを理解できないんですね。

 こんな人たちが会社を経営できる構造があるということです。それは安倍ちゃんが総理大臣になれる構造と同じで、命令されると従ってしまったり、物事を丸く収めようとしたり、強権と暴力を恐れたりする、そういう意識構造が社会の根底にあるということです。

 そしてその意識構造というのは、裏を返せば強権と暴力の側に立ちたいという願望にもなります。不二家に対するバッシングは自分の日頃の行いを省みない無知な庶民にとってはここぞとばかりにストレスを発散できるからでしょう。どうにもならないくらい低レベルな話です。

 休日に訪れたレストランで、店員の態度が悪いといって周囲の迷惑を顧みずに怒鳴りまくっている中年男がいました。この人が日頃どれだけ立派な行いをしているのか知りませんが、店にはいって来た時の横柄な態度といったら、それはすごいものでした。もちろん店員さんはそれなりに対応しようとしていましたが、多分顔に出ちゃったんでしょうね。訓練不足ではありますが、そうはいっても普通の人の感覚なら顔に出るだろうなと思えるくらい、中年男の態度は異常に不愉快なものでした。こんな客がいてかわいそうだなと思いました。

 無論、不二家もかつての雪印と同じように、同情の余地などまったくありませんが、直接に迷惑をこうむったわけでもないそこらへんの有象無象が批判するのは、このレストランの中年男とまったく同じで、非常に低レベルだと思います。
 日本人は一体どうしちゃったんでしょうね? それとも昔からこの程度だったのかな?


シンザン記念 馬券

2007年01月08日 | 競馬
 シンザン記念はやっぱりアグネスタキオン産駒の一騎打ちと予想します。テレビで調教のビデオを見ましたが、ダイワスカーレットは牡馬顔負けの力強い走りをしていました。この時期の牝馬だから調子が難しいかと思っていましたが、この調教なら大丈夫そうです。というわけで、久しぶりに馬連の一点買いをします。

 7番-8番 5万円。

5番が気になりますが、スローで上がり勝負なら、2頭の瞬発力が抜けているでしょう。


荒れる成人式は必要か?

2007年01月07日 | 政治・社会・会社

 残念ながらガーネットステークスは外してしまいました。ハナを叩けなければ1文の価値もないサンアディユや、前走エニフステークスで完敗しているエイシンボーダンを残す代わりに、リミットレスビッドやそれと好勝負していたニホンピロサートを切ってしまったのが敗因です。
 悔しかったので残っているレースを見ると、京都の万葉レースというわかりやすいレースがありましたが、残り時間わずかだったので直感的に1番チャクラと2番バイロイト、10番トウカイトリックの3頭に絞って、馬単と3連単のボックスを買いました。堅いところだったので、両方的中してもわずかにプラスになっただけでしたが、ガーネットステークスの負けは取り戻すことができましたので、少しホッとしました。
 明日のシンザン記念はアグネスタキオン産駒の2頭で決まりそうな気もしますが、明け3歳のこの時期の牝馬は調子の良し悪しが読みにくくて、こけるとしたらダイワスカーレットの方かなという気がしています。

 さて、今日のニュースで荒れた成人式の模様が放映されていました。まだそんなことがあったのか、というのが正直な感想で、一度でも成人式が荒廃したら、その自治体では二度と成人式をしないものだとばかり思っていました。数年前に、全国的に成人式が荒れた時期があって、その機会に、成人式を開催する意義そのものが見直されたといいますか、成人式の存在理由に疑問が生じていたはずです。ですから住民から強い要望があるとか、新成人たちの署名と荒らさないための誓約書が集まったとか、そういうことでもない限り、首長としては成人式をしないのが賢明な選択です。荒れた成人式があった一方で、破産した夕張市での成人式は、若者を元気づける意味合いで成人式の意義があったと言えるでしょう。このような成人式を除いて、成人式など、思い切ってやめてしまうのがよろしいと思います。

 儀式というと最近では思い浮かぶのが北朝鮮の閲兵式や安倍ちゃんの自衛隊の閲兵式です。したり顔で敬礼する安倍ちゃんと金正日が同じ穴のムジナに見えるのは私だけではないでしょう。卒業式で君が代を歌わない教師と歌わなかった生徒の担任教師を処分した石原慎太郎も同じです。だから卒業式も入学式も、要するに共同体がおこなう儀式というものは共同体への帰属意識をどこかで強制する傾向があって、ろくなものではありません。成人式も同じです。成人式を荒らす馬鹿どもはたしかに死んでくれた方が世の中のためかもしれませんが、彼らの薄っぺらな脳みそでも、彼らがひどい労働環境に置かれているのが成人式で共同体への帰属意識を強制しようとする権力のせいであることくらいは、わかっているのです。だから偉そうに演説している禿頭を壇上から引き摺り下ろしたい衝動に駆られるのです。もちろん彼らはそんなこと意識してはいません。ただ目立ちたいとか鬱憤晴らしとかの低レベルな理由です。しかし彼らも身を守る本能はあります。そういう行動が同世代から圧倒的な反感を買って袋叩きに遭うかもしれないとすれば、彼らはおとなしくしているでしょう。成人式を荒らすアホ餓鬼の極小の脳みそでも、荒らす行動が同世代に受け入れられることがわかっているのです。だから成人式を荒らす。それは荒らす環境と土壌を安倍ちゃんが整えているからなのです。もし彼らの労働環境や生活条件が向上したら、成人式も荒れなくなるでしょう。
 しかしそのようなことに安倍ちゃんが思い至ることは永遠にありません。なんといってもタカ派ですからね、それはもう儀式大好きです。儀式大好きな子供を育てて、日本全国の子供を整列させて、閲兵式のようにしたり顔で敬礼するのが夢なんじゃないでしょうか。でも今の政策を進めていくと、未来に夢がもてないから誰も子供を作らなくなって、敬礼したくても相手がいなくなるかもしれませんよ。いずれにしろ、来年の参院選で自民党公明党が惨敗するかどうかにかかっています。もし与党が勝つようなことがあれば、日本人は歴史上もっとも自虐趣味の国民としてギネスブックに登録されるでしょう。しかも本当にそうなりそうな予感がします。これは多分、馬券の予感よりもずっと当りそうです。


ガーネットステークス

2007年01月07日 | 競馬
 おかげさまで今年一発目の馬券は馬単16,910円を的中して、幸先のいいスタートを切ることができました。あまり調子に乗らずに平常心ですすめていきたいと思います。
 ということで三日間連続開催の正月競馬ですが、メインは今日のガーネットステークス。例によって消去法で消していきます。

前走で負けすぎの
 1番 アグネスジェダイ
 2番 ダイワメンフィス
 5番 セレスダイナミック
 10番 エイシンセイテン
 15番 カフェボストニアン
ダート未勝利で苦しそうな
 6番 ダイワパッション

と、ここまで消したところで、次にこれと言って消してしまうほどの材料がどの馬にもないことに気がつきました。難解なレースです。買うのをやめたくなります。荒れそうな予感もします。そういうときは荒れそうな予感だけが当って、馬券は当たらないというのがこれまでの経験でした。気を取り直して、無理やりに消していきます。

前走13番人気で13着、人気を裏切らない
 4番 プレシャスカフェ (中山ダート巧者で捨てがたいが)
去年の夏からずっと使い詰めでローテーションのきつすぎる59キロの
 7番 リミットレスビッド
そのリミットレスビッドにどう見ても完敗している
 12番 ニホンピロサート
このメンバーだとハナを叩けそうにない
 11番 サチノスイーティー

残り6頭
 3番 8番 9番 13番 14番 16番 の馬単ボックスを少しだけ買いました。もう発走です。


京都金杯

2007年01月06日 | 競馬
 今年の競馬はちょっと目先を変えまして、京都の金杯からスタートすることにします。まずは例によって消去法で、来そうにない馬を消していきます。

普通に考えて、前走で勝ち馬から1秒以上離された馬はやはり苦しい。
 10番 グレイトジャーニー
 11番 キネティクス
冬場の休み明けはやっぱり絞りきれない感があります。
 3番 テイエムプリキュア 2歳チャンピオンですが、ここはまだ無理そう。
芝で勝ったことのない馬。
 1番 ビッググラス
同じコースのマイルチャンピオンシップで大きく負けた馬。
 5番 マルカシェンク
 16番 ニューベリー
距離が長そうな
 8番 コスモシンドラー
重馬場が不得意な
 13番 タマモホットプレイ
京都得意だが最近ズブくなってマイルが短そうな
 6番 ペールギュント
前走より1.5キロ増量の
 9番 サクラメガワンダー 前走は展開がはまったのとペリエの力。
1キロ増量で福永→鮫島の
 15番 フサイチリシャール

ということで残りは5頭
 2番 スズカフェニックス
 4番 ホッコーソレソレー
 7番 エイシンドーバー
 12番 マイネルスケルツィ
 14番 キンシャサノキセキ

このうち、いい狙いになりそうなのは前走から3キロ減で、蛯名がわざわざ乗りに行くエイシンドーバーと、この辺で重賞を勝ってもよさそうな9月生まれのキンシャサノキセキ。富士ステークスの結果から切ってしまいたいマイネルスケルツィですが、柴田善臣が乗りに行くのと少しずつ体重が減って元に戻ってきて、それにつれて成績も良くなっているので、ここでは残すことにしました。馬券は迷うのも嫌なので、馬単のボックスにします。様子見で少しだけ。


自殺のすすめ

2007年01月02日 | 政治・社会・会社

 記念すべき新年の一発目のタイトルにしてはあまり穏やかではありませんが、朝日新聞のニュースサイトの中で「いじめられている君へ」または「いじめている君へ」と題して何人かの有名人が意見を寄せているのを読んで、どうも違和感を感じてしまったので、ひとこと申し上げます。

http://www.asahi.com/edu/ijime/

 それぞれの方々の意見について個別に言及するつもりはありません。ただ、不思議なことにどなたも、どうすればいじめられなくなるかについては何も言っておりません。また、いまを我慢すればいずれ道は開ける、という論調も共通しています。そして誰もが自殺を否定しています。もし私が中学生で、去年の4月からずっといじめられているとしたら、これらの意見を読んで納得するだろうかと考えると、とてもそうは思えません。どうしてでしょうか。

 家庭における暴力的な父親は、その家庭を暴力で支配していることは間違いありません。教室でのいじめっ子は、いじめっ子であることで教室を支配していることもまた、間違いありません。いじめられている子どもにとって、いじめっ子は暴力的な父親と同様、支配者の側にあります。そして、この構図を社会全体についても同じだと考えるのです。つまり、地位や権力、あるいは実際の暴力によって社会を支配している人間たちがいる。そういう人間たちによって支配されている社会は、いじめっ子が支配する教室となんら変わるところがないのです。いじめられている子どもは、社会全体が自分を蹂躙していると感じるのです。社会そのものがいじめっ子の側、自分の敵なのです。そんな社会で有名になった人、出世した人たちは、いじめられている子どもにとって、決して自分の味方ではありません。だからそういう人たちから、

 もう少し我慢しなさい
 決して悪気があってやっているわけではないの
 学校に行かなくてもいい、逃げてもいい
 家庭でいじめられていたら、家を飛び出してもいい
 決して復讐はしないで
 しかし自殺しないで

 と言われても、虚しく響くだけ、憎悪と敵意を感じるだけです。まるで自分をいじめているいじめっ子の親から、言われているようです。
「ゴメンネ、悪気があってやったんじゃないのよ。だから勘弁してね。仕返しなんか考えないでね。元気を出してね。死のうなんて思わないでね」
 そう言われて元気よくうなずく子どもがいますか?

 ワタミの渡邉美樹さんがテレビで「殴られて育った子どもは人を殴るようになる」と言っていました。この人がどんな思想の持ち主かは知りませんが、この言葉に限っては、正鵠を得ています。12月2日のブログにも書きましたが、私はこれまでの人生で人に殴られることはほとんどなかったのに、このところ仕事で社長にときどき殴られています。最初はビックリしたものですが、不思議なことに、だんだん殴られることが平気になってくるんですね。殴られても平気になると、人を殴るのに抵抗を感じなくなると思います。自分でも危険だなと思っているので、絶対に人に暴力を振るったりしないように、常日頃から戒めています。何をどう弁解しても、人を殴る人間、人に暴力を振るう人間はクズであることに間違いはありません。そして現代社会はクズによって支配されています。

 クズの子どもがいじめっ子になります。いじめられる子どもは暴力的なことに慣れていないので、従わざるを得ず、ここでいじめの構図が完成します。あとはいじめっ子がいじめたいだけいじめる毎日が来る日も来る日も続くのです。いじめられる子どもにとっては地獄の日々と言っていいでしょう。そういう子どもに向かって、もう少し我慢しろとか、人生は長い、いじめられる時間なんてそれに比べればほんの少しの時間だとか、そんなふうに言ってしまうと、言われた子どもは、お前がいじめられていることなんて大した問題じゃないんだ、と言われているように感じます。その無責任さ加減は、公約を守らないことなんて大した問題じゃないんだ、と言ってのけたどこかの総理大臣みたいです。そして、大した問題じゃないように言っておきながら、自殺はいかんよ、と釘を刺します。自殺を考えるのは本人にとって大した問題じゃないんでしょうか? 普通に考えれば、子どもにとって毎日いじめられていることは自殺を考えるほど切実な問題であるわけで、これからの人生が、現にいじめられている毎日に比べてたいそう優っている幸せな人生だと思えるなら、自殺しないでしょう。そう思えないから自殺する。社会に希望がない、執著するものが見出せない、そういう現実を、いじめられる子どもは冷静に見ているのです。だから自殺する。

 たとえば宝くじを10万円分も買った人がいます。その人はどんなに不幸な目にあっても、宝くじの当選発表より前に自殺することはないでしょう。数億円の現金はほとんどの問題を解決するからです。
 子どもたちにもこの宝くじに該当する何かがあれば自殺しないでしょう。ないから自殺するのです。学校にもない、家庭にもない、社会にももちろんない。

 いじめられてる子どもは暴力に慣れていません。だから武器を与えたり反撃を入れ知恵しても有効に使えなかったり、場合によってはいじめっ子の家を燃やしてしまうような極端な行動に走ってしまうでしょう。反撃や復讐を提案するのは有効ではありません。もともとそういうことをしたくない、またはできないからいじめられているわけです。
 いじめられている子どもに、支配している側の論理を押し付けてはいけません。いまの体制を肯定することを前提にしてはいけないのです。と言うよりも、社会全体にいじめの構造が蔓延しているわけで、いじめられている子どもの内面の問題ではないことをはっきりした方がいいでしょう。

 人間は社会的な動物で、自己の生の充実を生そのものの目的としており、そして生の充実は他者との係わり合いの中でしか求めることができないというややこしくも不幸な生き物です。子どもも例外ではありません。子どもが新しい洋服を買ってもらう。するとどんなにひどいいじめに遭っていたとしても、その新しい洋服を着るまで自殺することはありません。しかし、その新しい洋服を着ても、誰も見てくれないとしたらどうでしょうか? そのときは新しい洋服に袖を通す前に死んでしまうでしょう。
 もし子どもに、話を聞いてくれる相手、新しい洋服を可愛いと言って褒めてくれる相手、ゲームをクリアしたらすごいと心から感心してくれる相手がたったひとりでもいたら、その子は自殺することはありません。
 大企業優先の政策では、大部分の人が余裕をなくしています。生活に追われ、弱者を振り返ることができない世の中です。誰が子どもの相手をちゃんとできるでしょうか。ごく一部の恵まれた人たちだけです。大人たちに再チャレンジのチャンスなどないのと同じように、子どもたちにも未来はないのです。

 下手にありもしない理想の未来を並べるよりも、現実を告げましょう。いじめられている子どもたちは、将来にわたっていじめられるのです。そういう政治ですし、そういう政治家を選んだのは私たち有権者自身なのです。子どもたちに自殺するなと言う権利は、私たちの誰にもありません。