もちろんたいしたニュースじゃないのはわかっていますが、鹿児島県の中学校バドミントン大会で、眉毛を剃っていたのを理由にすでに終わった試合について、勝ちを負けにされた事件が起きました。7月25日のことです。この事件はいろいろなポイントがあって、分けて考える必要があります。
1.県の中学校体育連盟は大会前にあらかじめ「周囲に不快な感じを与える」格好をしたときは出場を認めないことがある、と各学校に知らせていた。その中には髪を染める、眉毛を剃る、というのも含まれていた。
2.試合が行なわれて団体戦の勝敗が決まった後、負けた方の学校の選手から、勝った方の学校の選手の中に眉毛を剃っているものがいる、という訴えがあった。
3.協議の結果、眉毛を剃っていた選手の試合を勝ちから負けに変更した。
考えられる問題としては、
眉毛を剃って出場した選手が問題
眉毛を剃っている選手を出場させた学校が問題
負けた方の選手が訴え出たことが問題
試合前にチェックしなかったことが問題
試合のルールではないのだから、勝ちを負けにしたことが問題
競技大会に生活指導を持ち込んだことが問題
眉毛を剃った格好を「周囲に不快感を与える」とする感性が問題
と、ちょっと考えただけでもこれだけの問題を列挙できます。さて、事件の本質はどこにあるのでしょうか。
ファッション(流行)は文字通り流行ったり廃れたりするもので、髪型にしても坊主頭が正しくて長髪が間違っている、ということはありません。そこのところをちゃんと理解して、許容範囲を広くしておかないと、ファッションの変遷について行けず、新しいものをすべて排除してしまうような極端な守旧主義に陥ってしまいます。たとえば髪を染めたりピアスをしたりしている人をスポーツ界から追放したら、かなりの割合で優秀な選手を失うことになります。 そこで今回の事件ですが、髪を染める、眉毛を剃るというのを「周囲に不快感を与える」とする理由はただひとつ、鹿児島県の中学校体育連盟が、髪を染める、眉毛を剃ることに不快感を感じているからに他なりません。2004年に高野連が「ヘアカラーの使用や眉毛の剃りこみ」を禁止するよう、各高校に通達したのとも関係があるでしょう。中体連にしても高野連にしても、染髪や剃りこみがよほど嫌いなようです。
人間は新しいもの、珍しいものが好きな反面、新しいシステムや現状とは異なる価値観に拒否反応を示すことがあります。それは、体内に異物が侵入したときに体が起こす反応と似ています。しかし体の場合、侵入してきたものは当然体と相容れないものですから、拒否反応は当然ですが、眉毛を剃った選手はどうでしょうか。拒否反応を起こして排除してしまうべきなのでしょうか。
少し視点を変えて、各人の立場からの言い分を考えてみます。
眉毛を剃って出場した選手の立場からは、
眉毛を剃るのはファッションであって、出場させないのはおかしい
眉毛を剃ったら試合に出場できないとは聞いていない
スポーツとファッションは関係がない
学校の立場からは、
眉毛を剃るのは生徒の勝手であって、学校はそれを禁止できない
中体連の通達はおかしいので選手に伝えなかった
眉毛を剃った選手は主力選手で、出場させざるをえない
試合後に結果を覆すくらいなら何故試合前にチェックしなかったのか
相手選手の立場からは、
学校の指示にしたがって、染髪や剃りこみを行なわなかった
試合中は相手が眉毛を剃っているのに気付かず、試合後に申し出た
または、相手が眉毛を剃っていたので試合に集中できなかった
中体連の立場からは、
髪を染める、眉毛を剃るのは一般的に見た目が変である
そういう選手を出場させるのは大会の品位を落とす
通達したのに、出場させたのは学校側の手落ち
通達に違反していたのだから、試合の結果を負けにしたのは当然
高野連も同じ通達を行なっている
だんだん問題の輪郭がはっきりしてきました。各立場によって見解の違いがあり、違いをはっきりさせないまま大会が行なわれて、結局誰もが納得できない結果になってしまったということです。どこかで誰かが妥協しないと、この問題は解決しません。誰も妥協しなければ、こういった大会を開催しないというのが唯一の解決となってしまいます。
高野連というと甲子園の高校野球ですが、出場不可になった高校もたくさんありまして、その理由は、大半が暴力事件、そして飲酒、喫煙、無免許運転などが続きます。いずれも法律違反が原因です。今回の事件は眉毛を剃っていたという、法律違反とは関係のない、たとえば口紅を塗るのと大差ない行為によるものでした。だからまあ、そう目くじら立てずに、おとなしくバドミントンを頑張っているならそれでいいじゃないか、と思ってしまうんですが、鹿児島県の中体連の方々にとっては、眉毛を剃る、髪を染めるというのがどうしても許せない行為なんでしょうね。眉毛を剃っていたといっても全部ではなく、化粧のプロセスと同じように「細く」剃っていたということと、負けた中学校と中体連の所在地が同じ、ということにはあえて目をつぶるとしても、この中体連の感覚には時代遅れの印象を持たざるを得ません。子供を全員丸坊主にして、背が高い順番に整列させて悦にいるアホな校長のレベルです。戦時中ではないのだから、共同体のために、命を捧げたり人格をスポイルされたりすることはありません。団体のトップ、官庁のトップ、政治のトップ、企業のトップ、そういった人々の感性が、このように旧態依然で狭量であったら、庶民に希望はありません。