三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「愛と哀しみのボレロ」

2024年11月29日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「愛と哀しみのボレロ」を観た。
愛と哀しみのボレロ : 作品情報 - 映画.com

愛と哀しみのボレロ : 作品情報 - 映画.com

愛と哀しみのボレロの作品情報。上映スケジュール、映画レビュー、予告動画。フランスのクロード・ルルーシュ監督が1981年に手がけ、ルドルフ・ヌレエフ(バレエダンサー)...

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 第二次大戦から戦後の欧米を舞台にした、それぞれの家族の親子三世代にわたる壮大なドラマである。親子がわかりやすいように、地名が象徴的に使われていたり、大人になった息子と父親、母親と娘などを、同じ俳優が演じていたりする。
 人間は、自己複製のシステムという生命の本質に従って、子供を生む。生まれた子供は、親の人生を測りながら、自分の人生の選択をする。そしてその多くは子供を生む。かくして愛と哀しみの物語は、無限に受け継がれる。
 深い味わいのある名作で、リバイバル上映なのに平日昼間の渋谷の映画館は満席だった。気に入った人は、何度も鑑賞するといいと思う。登場人物の誰に注目するかで見え方が変わるから、鑑賞のたびに新しい感動を味わえるだろう。名作の名作たる所以である。

映画「チネチッタで会いましょう」

2024年11月29日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「チネチッタで会いましょう」を観た。
『チネチッタで会いましょう』公式

『チネチッタで会いましょう』公式

『チネチッタで会いましょう』公式

 映画愛に溢れる人々の作品作りを中核にして、監督とその周辺の人間模様を面白おかしく描き出したコメディである。監督主演のナンニ・モレッティの反骨精神あふれる世界観がとてもユニークで、周囲の人々の気持ちなどまったく考えないところが、昔気質の映画監督らしくてとてもいい。周りの人間のことなど気にしていたら、映画なんぞ作れるものかという気概なのだろう。
 ところが時代は変わっている。映画監督の世界観を実現するためにスタッフや俳優が滅私奉公するようなスタイルは、もう終わったのだ。主人公ジョヴァンニがそのことに気づくのは、映画も終盤になってからで、ラストシーンの意見を求めたら、お湯が沸騰するみたいに侃々諤々の議論が湧き上がる場面だ。
 映画に関わる人々は、それぞれに世界観があり、アイデアがある。自分の世界だけで作るよりも、ずっと視野の広い作品ができあがるかもしれない。その可能性は認めなければならない。おそらくジョヴァンニはそんなふうに思ったのだろう。

 孔子は「耳順」といって、60歳になってやっと他人の言うことに耳を傾けるようになったと「論語」に書いているが、ジョヴァンニ監督は70歳を過ぎて、漸く他人の言葉を聞く気になったようだ。これからはもっといい作品が撮れるに違いない。

 役者陣はなべて好演。ジョヴァンニ監督に振り回されつつも、どこかでそれを楽しむようなところがあって、余裕を感じさせる。中でも性欲モンスターみたいな主演女優を演じた女優さんが凄かった。ここまで振り切った演技を観たのは、2017年製作の邦画「オー・ルーシー!」の寺島しのぶ以来だ。

映画「アングリースクワッド 公務員と7人の詐欺師」

2024年11月24日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「アングリースクワッド 公務員と7人の詐欺師」を観た。
2024年11月22日公開『アングリースクワッド 公務員と7人の詐欺師』公式サイト

2024年11月22日公開『アングリースクワッド 公務員と7人の詐欺師』公式サイト

出演:内野聖陽、岡田将生。監督:上田慎一郎『カメラを止めるな!』。騙して奪って脱税王から10億円を納税させろ!“マジメな公務員 × 天才詐欺師”異色のタッグによる痛快ク...

2024年11月22日公開『アングリースクワッド 公務員と7人の詐欺師』公式サイト

 詐欺師の映画は、古くは「スティング」から、「オーシャンズ・イレブン」や「フォーカス」など、切羽詰まったかのように見えて、最後にうっちゃりのようなどんでん返しを用意しているのが常だ。米テレビドラマの「スパイ大作戦」も、毎回ターゲットを騙していた。
 本作品もそれらの作品の例に漏れず、どんでん返しのどんでん返しを用意している。変な言い方だが、安心してみていられるエンタテインメントだ。

 役者陣はいずれも好演。中でも主演の内野聖陽は、詐欺師の仲間に入ろうとしてなかなかうまくいかないド素人の税務署員という微妙で難解な役柄を、丁度いい按配で演じきった。恐怖あり、不安あり、怒り心頭ありのジェットコースターみたいな精神状態だが、中年男らしく自分を突き放して客観視することで乗り切るあたり、とても上手い。ラストの妄想シーンも迫力があった。

 悪者が善人の顔で世間体を取り繕い、裏では役人や政治家に手を回して権力を味方にする話は、時代劇の越後屋と同じだ。勧善懲悪のドラマは、悪が強大であるほど盛り上がる。ベタではあるが、とても面白かった。

映画「海の沈黙」

2024年11月24日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「海の沈黙」を観た。
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 絵画というと、どうしてもその価格が気になる。我ながら俗物根性が情けないのだが、絵画を見るとどうして価格が気になるのか考えてみたとき、絵画の報道が必ず価格とセットになっていることが影響しているのかも知れないと思った。その報道というのは、盗まれたか、発見されたか、落札されたかのどれかだ。滅多にないが、誰それの絵画が賞を取ったとか、画家が叙勲されたというニュースもある。そしてそのときも、どんな絵を描いていて、その絵はいくらなのかが報道される。絵画の報道は、その価格と不可分になっているようだ。あたかも有名人のゴシップ記事のようである。といっても、自分のスノッブを報道のせいにするのは言い訳がましいか。

 2016年に池袋の東京芸術劇場ギャラリー1で開催された、広島県の画家大前博士さんの作品展「黒い世界と白き眼光」を見に行った。テーマは原爆である。
 抽象画は不案内でなかなか理解し難いのだが、展示されたそれぞれの絵は、とにかく悲惨で凄絶な場面をこれでもかと訴えかけてきた。
 ひとつだけ気になったのは、どの絵にも丸が描かれていることだ。大きな丸、小さな丸、歪んだ丸など、様々な丸が描かれていた。その殆どのモチーフは人間の目だと思われるが、それは被爆者の目だけではなく、描いている自分の目でもあり、また神の目でもあるかのようだ。それぞれの目が見つめる先は、現実であり過去であり未来である。自分の内側であり、外の世界である。何も信じられない、ただ見つめる、そのような目であるように感じられた。
 描かれた丸のもうひとつのモチーフは魂だろうか。人間の意識と無意識と記憶のすべてが魂であるなら、生きている人間にしか魂はない。死体には丸は描かれていなかったように思う。
 堂本剛が主演した映画「まる」の丸は、作品の中では仏教の円相という話だったが、大前博士さんの絵に感じたように、もしかしたら人間の目、あるいは神の目かもしれない。少なくとも、大前博士さんの絵を見るとき、価格のことは少しも頭に浮かばなかった。

 我々は、絵を見るときに価格を気にするように、人を見るときには性別や年齢や職業などを気にする。それはバイアス以外の何物でもない。いい絵はいい絵だし、いい人はいい人なのだが、悪い人もいい人に見えることがある。自分に自信がないから、対象の情報を求めたがる。絵を見極める能力がないことを自覚しているから、価格を気にするしかないのだろう。

 さて本作品は、そんな鑑賞眼のない我々を憐れむように、本物の絵とは何かを問いかけてくる。絵を見るときに、価格や画家の背景やらを何も考えず、ただその絵と向かい合ってほしいと願うのは、すべての画家に共通する願いに違いない。
 本木雅弘の演じる津山竜次の精神が気高すぎて、俗物の当方の理解の範疇を超えていた。あんなふうに浮世のよしなしごとを何も気にせずに生きるのは、ある意味で幸せな生き方だと思った。ただ、相当な精神力が必要だから、多分当方には無理だ。

映画「ドリーム・シナリオ」

2024年11月24日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ドリーム・シナリオ」を観た。
映画『ドリーム・シナリオ』オフィシャルサイト

映画『ドリーム・シナリオ』オフィシャルサイト

11.22 Fri|『ミッドサマー』のA24×アリ・アスター製作×ニコラス・ケイジ主演映画『ドリーム・シナリオ』公式。日常が悪夢へと変わるドリーム・スリラー

映画『ドリーム・シナリオ』オフィシャルサイト

 1974年に出版された筒井康隆の「おれに関する噂」という小説をご存知だろうか。ある一般人の男性が、テレビや新聞といったマスコミから一斉に個人的な事情を報道されてしまう話である。その後は、筒井康隆お得意のスラップスティックの展開があって、唐突に報道が終わって、誰でもない誰かに戻る。

 本作品の場合はマスコミではなくて、他人の夢に登場するのだが、その後の展開は筒井康隆の小説によく似ている。ある個人の情報が社会的に広まるとき、当該の個人には、利益と不利益がもたらされる。有名になるためにはそれなりの実績が必要だが、何もなしに、ただ有名になった場合は、利益よりも不利益のほうが圧倒的に大きい。

 本作品では、夢とは別にSNSがあるようなストーリーになっているが、現実世界ではSNSが夢の代わりを務めている。つまり本作品は、行き過ぎたネット社会では、罪のない誰かを簡単に陥れることができる実態を、夢として象徴的に描いていると言えるのではないか。
 してもいない行動、ありもしない犯罪を一方的に拡散され、ひどい濡れ衣を着せられる。違法行為はしていないから、法的な制裁を受けることはないが、実際の生活では、それと同等の扱いを受けてしまう。
 無条件の信頼関係にあると思っていた家族の態度も急変し、信頼が幻想であったことを思い知らされる。自分の不作為と無辜を主張しようとする主人公の行動は、ことごとく裏目に出る。このあたりのニコラス・ケイジの演技は、名人級だ。

 人間が潜在意識を共有することはないと思うが、被害妄想を共有することはあり得る。その被害妄想によって特定された加害者を相手に、全員が攻撃的な態度をとることも、十分あり得る。集団ヒステリーみたいなものだ。個人が相手ならいじめや村八分となり、相手が国家なら、戦争になる。
 起きてもいないことで被害を訴え、被害者ヅラをして敵を攻撃しようというのは、軍国主義者の常套手段だ。プーチンやネタニヤフのやっていることはまさにそういうことである。ネットで特定の個人に罵詈讒謗を浴びせるのも、病んだ精神性の成せる業だろう。それを助長しているのがネット社会という訳だ。インターネット普及前の世界と、普及後の世界の決定的な違いがそこにある。

 本作品はSFだが、人類がインターネットによって獲得したのは利便性だけでなく、自分で考えることを停止した愚かさでもあることを、いみじくも描き出してみせた。ニコラス・ケイジは主演だけでなく、製作にも名を連ねていることから、おそらくその問題意識を持っているに違いない。
 筒井康隆の小説が発表された50年前は、インターネットはまだ普及していなかった。にもかかわらず個人事情が世の中に晒される危機を描いてみせたのは、小説家の天才的な慧眼だと言っていい。

舞台「太鼓たたいて笛ふいて」

2024年11月23日 | 映画・舞台・コンサート

 新宿のサザンシアター紀伊國屋でこまつ座公演「太鼓たたいて笛ふいて」を観劇。
「放浪記」で一躍有名作家となった林芙美子が、軍部のプロパガンダとなって軍国主義を喧伝した自分の過去について、自嘲するように言った言葉がタイトルとなっている。
「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」という本人の言葉のとおり、波乱万丈の人生を47歳の若さで閉じている。
 前半は気の強さを前面に押し出して強かに生きる若き林芙美子を描くが、NHKの職員から「戦は儲かる」という国家的展望を国民に知らしめる重要な役割としての従軍文士をすすめられたあたりから、林の人生がおかしな方向に向き始める。
 そして訪れた東南アジアで「大東亜共栄圏」の大義名分のもと、日本軍が東アジア各地で行なった冷酷非道な行為を目の当たりにし、世界観が180度変化する。戦争は非人間的だ。
 戦後の6年間は、評論家が「緩慢な自殺」と指摘するほど、身体を酷使して小説を書いた。日本人の悲しみを表現する以外に、彼女の贖罪の道はなかったのだ。
 もともと心臓が弱かった彼女は、昼は元気に過ごしていた6月26日の夜、心臓麻痺で急死する。日は明けて27日になっていた。
 井上ひさしは、単なる悲劇にしたくなかったのだろう、ところどころに歌を入れて、戦前の日本人の戦争に浮かれた愚かさと、図らずもそれに乗っかってしまった林の軽さを描き、国全体が衆愚となっていた実態を表現してみせた。
 役者6名の芝居だが、主演の大竹しのぶをはじめとして、いずれも好演。栗山民也の演出も見事で、終演後は拍手が鳴り止まなかった。
 高度成長期に森光子が林芙美子を演じた「放浪記」では、ひとりの若い女性が強くたくましく生きていく様子が人気を博し、50年近くにわたるロングランとなったが、本作品ではもう少し広い視野から、国家の様相と、その中での表現者の社会的責任を問いただすようだった。井上ひさし自身が自分を顧みるようにして書いた脚本だと思う。


映画「イマジナリー」

2024年11月17日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「イマジナリー」を観た。
映画『イマジナリー』公式サイト

映画『イマジナリー』公式サイト

『M3GAN/ミーガン』 『ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ』のブラムハウス最新作。愛らしいテディベアと友達になった少女とその家族が、不気味な友情と

映画『イマジナリー』公式サイト

 今年(2024年)の8月に公開された邦画「サユリ」もそうだったが、最近のホラー映画は、恐ろしい何者かに一方的に蹂躙されるだけではなく、何らかの反撃を試みようとするところがある。このところのホラー映画の傾向かもしれない。たしかにそのほうが面白い。本作品もそれなりに楽しめた。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という諺があるように、大抵の恐ろしいものは、人間の想像力が作り出したものだ。本作品のコンセプトの通りである。人知の及ばぬ恐ろしい存在という概念は、神の概念にも通じて、ある種の戒めになっている面がある。シャーマンの歴史も含めて、原始共同体では統治に必要な概念だったのかもしれない。

 本作品の登場人物は、庶民ばかりであり、恐ろしいものをちゃんと畏れる。だから作品が成立しているとも言える。しかし人知の及ばぬ恐ろしい存在など、まったく恐れない人々がいる。それは権力の周囲に巣食う妖怪たちで、底知れぬ悪意を持っている。連中に比べたら、ホラー映画に登場する悪意など、まだ可愛いものだ。
 本作品の女性軍がけなげに奮闘する様子を見ながら、ふとそんなことを考えてしまった。

映画「ロボット・ドリームズ」

2024年11月17日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ロボット・ドリームズ」を観た。
映画『ロボット・ドリームズ』オフィシャルサイト

映画『ロボット・ドリームズ』オフィシャルサイト

2024.11|第96回アカデミー賞長編アニメーション映画賞ノミネート その出会いに世界中が恋をした

映画『ロボット・ドリームズ』オフィシャルサイト

 台詞はないが、表情や動作、使っている道具などが十分に語っている。淋しさがあって、出会いがあって、喜びと楽しさがあって、そして別れがある。本作品は、明治の文豪が書いた小説みたいであり、抒情詩のようである。
 明治の文豪といえば、島崎藤村の「惜別の歌」をご存知だろうか。

 わかれといへば むかしより
 このひとのよの つねなるを
 ながるるみずを ながむれば
 ゆめはずかしき なみだかな

 ドッグは泣かない。やるせない別れに心残りはあるが、いまの相棒は大切だし、いまの生活を楽しんでいる。時代は巡る。別れと出会いを繰り返すのだ。中島みゆきの歌詞も思い出した。
 本作品は、時間の流れと人の流れという普遍的なテーマを扱っているだけに、多くのドラマや歌と共通性がある。利己主義者や拝金主義者も登場するが、無償の行為もある。優しさが残っているなら、それでよしとしようじゃないか。そんな作品だった。

映画「アット・ザ・ベンチ」

2024年11月17日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「アット・ザ・ベンチ」を観た。
AT THE BENCH アット・ザ・ベンチ

AT THE BENCH アット・ザ・ベンチ

AT THE BENCH アット・ザ・ベンチ

 目黒区の自由が丘という街によく行くのだが、駅の近くに九品仏川緑道という遊歩道がある。道路の中央が非交通帯になっていて、ベンチが向かい合わせに置いてある。歩き疲れたら座って休めるので、とても助かる。人との待ち合わせにもいいし、老夫婦や若いカップルが仲睦まじく座っているのも微笑ましい。
 渋谷や新宿には、ベンチがない。代々木公園や新宿御苑にはベンチがあるが、駅からはかなり離れていて、用事の途中で休憩するには不向きである。ちょっと疲れたときに休むには、カフェに入るしかない。カフェにはWiFiもあるし、充電するためのコンセントもあるから便利なのだが、いかんせん、いつも混んでいる。
 新宿の区立公園のベンチは、座面が湾曲しているものや、背もたれがないものがあって、巷では「意地悪ベンチ」や「排除ベンチ」などと呼ばれて、すこぶる評判が悪いようだ。中には座面に道路規制のポールがつけられて、そもそも座ることさえ叶わないベンチもある。ベンチは災害時の緊急利用の役割もあり、そういうベンチは緊急時に役に立たないと、災害専門家は指摘している。
 ホームレスが寝床にしたり、スケートボードで壊されたりするのを予防したいという、行政側の思惑はわからないでもない。しかし人が座るベンチから、人を排除することはないだろう。ホームレス対策はシェルターを作るとか、スケートボード税を新設して、そこからスケートボード施設の建設費や維持費を捻出するとか、やり方はあるはずだ。

 街造りは、行政の考え方がストレートに出る施策のひとつである。神宮外苑の銀杏並木を伐採する東京都は、都知事の都民軽視の姿勢がもろにわかる。行政の排除の論理が形になったものが「意地悪ベンチ」だが、そうでないベンチもある。優しさを感じられるベンチだ。それはシンプルなベンチである。頑丈で、背もたれがあって、寝そべることもできる。本作品の多摩川の岸辺のベンチは、多分そういうベンチだと思う。

 人は歳を取り、やがて死ぬ。モノも劣化していき、やがて朽ちて壊れる。条件と偶然、つまり縁起が人とモノを結びつける。本作品のベンチは、登場人物の誰にとっても縁起のいいベンチなのだろう。優しいモノは、優しい人を呼び寄せる。とても楽しく鑑賞できた。

 第2話だけが、唐突に不寛容な一幕だったが、それ以外は人間の優しさの物語である。プラスな話ばかりだと気持ちが悪いから、ネガティブな話を挟んだのかもしれない。悪役を演じた岸井ゆきのには気の毒な構成だった。

映画「ノーヴィス」

2024年11月17日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ノーヴィス」を観た。
「THE NOVICE ノーヴィス」

「THE NOVICE ノーヴィス」

あの『セッション』のクリエイターが挑んだ狂気の物語『THE NOVICE ノーヴィス』11/1(金)ROADSHOW

「THE NOVICE ノーヴィス」公式サイト

 イギリスの詩人ウィスタン・ヒュー・オーデンの「見る前に跳べ」の中に次の一節がある。

気の利いた社交界の振舞もまんざら悪くはない、
だがひと気のないところで悦ぶことは
泣くよりももっと、もっと、むずかしい。
誰も見ている人はいない、でもあなたは跳ばなくてはなりません。
(深瀬基博:訳)

 流石に高名な詩人だけあって、言葉の多義性は目を見張るものがあるし、深瀬基博さんの翻訳も大したものだ。ただ、難解な部分もあるので、この一節だけを読んでも、詩の全体は理解できないかもしれない。簡単に言うと、人間は社会的動物だから、他人に認めてもらえないと生きていけない、しかしひとりで決めて、ひとりで行動に移さなければならないときがある、危険を顧みずに、躊躇なく行動しなければならないのだ、というような意味だと思う。

 ポイントは「ひと気のないところで悦ぶ」というところで、本作品の主人公アレックス・ダルとは正反対である。アレックスの不幸は、極端な承認欲求と極端な負けず嫌いという性格よりも、ひとりで悦ぶことができない点にある。常に他人と自分を比較したがるのは人の常だが、大抵の場合、不幸な結果しか招かない。自足しない人生は、常に戦いの人生であり、自足しない国家は、常に戦争の国家だ。

 原因は哲学の欠如にある。自分で考えて、自分で価値を創造するとき、他人との比較の基準も自分の価値観となるが、自分の哲学がない人間は、独自の判断基準がないから、勢い、世の中のパラダイムに従ってしまう。金持ちで、有名人の知人がいて、容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能を頂点として、劣る者を蔑み、優れる者を羨む。
 つまり戦争や紛争、人間関係の軋みを生むのは、常に俗物根性なのだ。人類の歴史から戦争が絶えたことがないのは、人類がいつまで経っても俗物根性から脱しきれないからである。

 一方で、俗物根性同士が手を組むことも多い。利害の一致というやつだ。ボート部だから息を合わせないと勝てないが、それは勝って他人よりも優位な自分に満足したいという、下世話な欲求が動機である。誰かを助けるために頑張るわけではない。誰かを助けたい人間は、決して戦争を始めない。
 アレックスはみんなの代表である。実に典型的な俗物だが、ぶっちゃけキャラが過ぎる。自分の俗物根性をオブラートで包んで、スポーツを美化したい人たちからすれば、あけすけなアレックスは身も蓋もない存在だ。差別は親切のフリをして行なうのがオシャレなのに、敵意剥き出しでは嘘が成立しない。
 とはいえ、アレックスの存在が、下世話な人々の人間関係に風穴を開けたことはたしかだろう。女子ボート部には、嫉妬と差別と馴れ合いが渦巻いている。彼女たちの真実は、アレックスがその典型を演じてみせた、ゴリゴリの利己主義者なのだ。互いに息を合わせるのも利己主義者同士の悪巧みのレベルである。誰も幸せになれないし、誰のことも救えない。