三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「オッペンハイマー」

2024年03月31日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「オッペンハイマー」を観た。
映画『オッペンハイマー』公式|3月29日(金)公開

映画『オッペンハイマー』公式|3月29日(金)公開

映画『オッペンハイマー』公式|3月29日(金)公開

 ロバート・オッペンハイマーの伝記である。若い天才物理学者が30代でマンハッタン計画の責任者に任命されてから、開発した原子爆弾2発が実際に使われるまでの話が主体だが、並行して、マッカーシーが主導した赤狩りで尋問を受けたときが描かれる。ルイス・ストローズの公聴会の部分は、オッペンハイマーが尋問を受けた話の補完のような役割だ。
 学生時代、理論には優れているものの、実験が不得手であった過去が紹介されているのは、地上での等速直線運動の観測系における実験物理学に嫌気が差して、理論物理学に傾倒していく様子を描くためだと思う。実験下手の過去を、世界最大の物理学実験である原爆実験に対比させる狙いもあったかもしれない。

 思索の人らしく、終始冷静な態度を崩さない。感情を露わにしたのは、終戦後にトルーマン大統領と面会した場面だ。「私の手は血に塗れているようだ」と話すと、トルーマンは問題を単純化し、原爆の製造者は責められない、責められるのはそれを落とした人間だと言い放つ。そしてオッペンハイマーを泣き虫だと決めつける。トルーマンは、自分が無慈悲で想像力の欠如した人間だと自ら露呈した訳だ。
 オッペンハイマーの苦悩の複雑さは、単純化できるものではない。言い訳はたくさん考えられる。世界には優秀な物理学者がたくさんいて、自分が開発しなくても、誰かが原爆を作っただろう。原爆を作ったのは、核分裂の連鎖反応が百万分の1秒という短時間で確実に起きることを確かめるためでもあった。原爆実験をすることでその威力に恐れをなして、逆に原爆が使われないようにするのが目的だった。抑止力としての役割に過ぎないのだ。自分の役割は原爆を作ることで、使うことではない。などだ。
 しかし原爆投下のあとに調査に入った米軍の撮影した映像を見て、あまりの悲惨さにおののくシーンがある。どんな言い訳をしても、自分がこの大量殺戮に加担したのは間違いない事実だ。原爆が使われる前には、爆発で直接的に死ぬ人数、放射能に被曝して短期間のうちに死ぬ人数まで計算していたし、その数字はほとんど合っていた。これで自分の手が血に塗れていないとは決して言えない。

 問題を単純化して白と黒を分けるのが好きなのは、世界中どこの国民も同じだ。複雑さを複雑さのままで理解しようとする人は少ない。アメリカの政治家や官僚も同じで、アメリカが善で日本が悪、だから原爆は善という単純な理屈を信じ、戦後は、資本主義が善で共産主義が悪という独善が猛威をふるった。共産主義国との共存を模索したJ・F・ケネディは、反共という独善の犠牲者だ。
 本作品のテーマは、オッペンハイマーの苦悩を余さず伝えるだけではないと思う。戦禍で国民が悲惨な目に遭っても、過去を忘れ、年寄の話を無視して戦争を繰り返す人類に対する、ひとつの警鐘でもあるのだろう。人類はいつまで無自覚なアホであり続けるのか。

映画「美と殺戮のすべて」

2024年03月31日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「美と殺戮のすべて」を観た。
映画『美と殺戮のすべて』オフィシャルサイト

映画『美と殺戮のすべて』オフィシャルサイト

3.29 Fri Roadshow|アカデミー賞®受賞『シチズン・フォー スノーデンの暴露』ローラ・ポイトラス監督最新作 ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞獲得 アカデミー賞®ノミネート...

映画『美と殺戮のすべて』オフィシャルサイト

 あまり面白い作品ではない。ナン・ゴールディンという写真家が自分を語る一方、麻薬中毒になった過去から、合法の麻薬で死んだ人たちの弔いのように、麻薬で莫大な利益を上げた会社と戦う様子を描く。
 出てくるゴールディンの写真は退廃的で、人間の欲望を表現するが、優しさが欠落しているから、見ていて楽しくない。アメリカの負の部分をさらけ出すのが目的なら、十分果たしていると思うが、負の中に正もあるのが現実で、逆ももちろんある。現実の複雑さを表現していない写真に、あまり意味があるとは思えない。失礼ながら、世界的な巨匠という評価は意味不明だ。

 本作品が日本公開された2024年3月29日は、小林製薬が製造したサプリメントの健康被害がニュースになっている真っ最中で、会社側の初期対応のまずさなどから、簡単には収束しそうにない。小林製薬は、当該の「紅麹コレステヘルプ」とは別に、原料としての紅麹を販売していて、二次取引等を含めると、数万社に流通しているらしい。影響は甚大だ。

 本作品に登場する鎮痛剤「オキシコンチン」は、オキシコドンという鎮痛剤の商品名らしい。販売しているのはパーデューファーマという製薬会社で、サックラーという大金持ちの一族が経営している。この薬の販売で大儲けして、芸術や教育関連に多額の寄付をしてきたようだ。

 アメリカ人は痛みに対する耐性が、日本人に比べてはるかに弱いと言われている。逆に言えば、強力な鎮痛剤が一般的によく使われているということだ。日本では自然分娩が主流の出産も、無痛分娩が普通らしい。
 強力な鎮痛剤の多くは麻薬である。オキシコンチンも麻薬だ。過剰摂取すれば、肉体や精神に悪影響を及ぼす。日本でも販売されているが、社会問題にはなっていない。同じく麻薬であるモルヒネと同様に、医師の処方箋に従って処方された薬を用法や用量を守っていれば大丈夫なのだろう。

 アメリカで被害者が多発しているのは、安易に薬品を摂取するという下地があることが大きく影響している気がする。サックラー家を弁護するつもりは毛頭ないが、処方した医師にも、乱用した患者にも、責任がまったくないわけではないし、オキシコドンを承認したFDAにもかなりの責任がある。すべてを製造者のせいにしてしまう主張には、違和感を覚えざるを得なかった。

映画「市子」

2024年03月28日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「市子」を観た。
12/8(金)公開『市子』公式サイト

12/8(金)公開『市子』公式サイト

映画『市子』公式サイト。絶賛公開中。プロポーズを受けた翌日に、突然姿を消した――過酷な宿命を背負った女性・川辺市子の壮絶な人生を描く、杉咲 花最新主演作!

12/8(金)公開『市子』公式サイト

 予告編からして、かなり重そうな内容だったので鑑賞を先送りにしていたが、若葉竜也の「ペナルティループ」を観て、こちらも観る気になった。
 本作品の長谷川役の演技もよかったのだが、それよりも市子の存在感が圧倒的で、他の人間が霞んでしまった。抱えている宿命の大きさに怯むことなく、強く生き延びようとする市子を、杉咲花は見事に演じきったと思う。
 市子にとって、正しいとか正しくないとかは関係ない。役人とか警官とかに捕まって自由を奪われるのも嫌だ。利用できるものは何でも利用する。行動は大胆で、迷いがない。周囲の人間はその悪魔性に恐れをなすが、悪魔というよりも、野生動物が常識人を装っている印象だ。

 シーンは時代を行き来するので、その度に市子の年齢を計算しながら鑑賞した。映画の現在が2015年で28歳という長谷川の発言と小学生時代を語る女性の発言から、当方なりの計算を時代順に並べてみる。
 1987年 誕生
 1999年 12歳 小学校3年生
 2008年 21歳 高校3年生
 2015年 28歳 現在

 日本における戸籍の問題は、2022年の邦画「ある男」の中心テーマになっていた。戸籍によって差別されることを避けるために違う戸籍を手に入れた話だ。日本では、戸籍の変更はDNA鑑定等の科学的な証拠を必要とせず、印章とその印鑑証明があれば、簡単にできる。
 しかし嫡出子の300日問題はややこしくて、これまでは離婚後300日以内に誕生した子は、前夫の嫡出子とみなされるから、前夫との関係を絶ちたい母親は、出生届を出さないことがある。そうならないためには前夫から嫡出否認を申し出て貰うしかない。前夫と連絡さえ取りたくない母親には無理というものだ。
 それが今年(2024年)の1月から、民法が変更になる。嫡出否認が母と子からも申し出ることができるようになるのだ。DNA鑑定も使われるようになった。

 日本の戸籍制度は抜け道が多い。だからマイナンバーカードを普及させようと躍起になっているのだが、誕生の際にDNAを登録するほうが合理的だという気がする。もちろん賛否はある。共同体を信用できない人は、究極の個人情報であるDNAを国家に管理されたくないだろうし、犯罪者にとっては犯人の特定が容易になってしまうという不利がある。警察にとっては有利だろうが、悪用される可能性も大きいし、徴兵に使われてはたまらない。
 共同体を信じられるかどうか、日本国憲法の基本的人権の尊重が守られるかどうかが、誕生時DNA登録のキーとなる。DNA鑑定による個人識別の精度が相当に高くなった現状を踏まえれば、戸籍制度の改善と合わせて、議論していく必要のあるテーマだと思う。

 市子は文字通り、不幸の星の下に生まれた。マイナスからの出発だから、人並みの体験にさえ、幸せを覚える。しかし自分を不幸とは思っていない。助けてほしくもない。一緒にやろうと言ってくれるのが嬉しい。そこにはじめて対等の関係がある。市子は、自分の存在を肯定するために生きてきた。助けてやるという言葉は、市子を否定する言葉だ。だから激しく反発する。
 日本国憲法には、すべての国民は個人として尊重されなければならないと記されている。生まれてきただけで、肯定されなければならないのだ。
 家制度が廃止されて、戦後間もなく新しく戸籍法が制定されたが、まだ家制度の名残があって、門地にこだわっている。300日問題もそのひとつだ。今回の改正ですべてが解決される訳ではない。新しい市子を生み出さないための不断の努力と、門地や人種や国籍にこだわる差別主義者たちの精神の変革が、継続的に必要だ。

映画「戦雲‐いくさふむ‐」

2024年03月27日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「戦雲‐いくさふむ‐」を観た。
映画『戦雲 -いくさふむ-』公式サイト|三上智恵監督最新作

映画『戦雲 -いくさふむ-』公式サイト|三上智恵監督最新作

 三上智恵監督の沖縄に関する作品は、東京ではたいていポレポレ東中野で上映されている。いずれの映画も、理屈よりも住民の気持ちに寄り添った作品で、全国ロードショーとまではいかなくても、もう少し話題になっていい。単館上映ではもったいないほど、たくさんの人々の協力で出来上がっている。本作品もポレポレ東中野で鑑賞した。例によって観客は年配ばかりだった。

 小泉純一郎以降の自民党総裁が首相を務める日本政府が、国民を助ける政策を少しも実施せず、むしろ国民を困らせる迷惑な政策ばかりを実施していることには、もう慣れてしまった。
 民主党が政権交代を果たしたときの鳩山由紀夫政権のときだけが、唯一まともで、沖縄の米軍基地について「最低でも県外」と、総理大臣としてはじめて普通のことを主張した。するとアメリカと日本の検察によって辞任に追い込まれた。
 日本とアメリカの利権が一致しているのが沖縄の基地開発だから、反対するなんてとんでもないという訳だ。総理大臣が自ら主張しても潰されるくらいだから、一般人の反対運動など、蚊ほどの影響力もない。
 反対運動はボランティアなのに対して、弾圧する側は仕事でやっている。罵声を浴びせられようと、権力は自分たちの側にある。ちょっとでも手を出してきたらすかさず逮捕して、有罪判決を下して刑務所に入れればいい。

 長いこと続いた自民党の傀儡政権のおかげで、日本の自治独立は完全に骨抜きにされてしまい、アメリカの言いなりの政治家だけが政権を担っている。民主主義者よりも国家主義者が圧倒的に多い。ロシアに似ている。ロシアの大統領選挙は、投開票で明らかに不正が行なわれていて、日本でも同じような不正がないとは言えない。まさかそこまでしないだろうというのが普通の感覚だが、まさかのことが起きる時代である。
 万が一、日本の選挙が公正に行なわれているとすれば、日本の有権者は、民主主義よりも国家主義の政治を望んでいるということになる。不正選挙よりも、そちらのほうがずっとあり得ない気がするが、まさかの時代だ。再び戦争に突き進みたい有権者が多数を占めている可能性も、ゼロではない。
 
 日米合同委員会という組織をご存知だろうか。メンバーは主に日本政府高官と米軍と米大使で構成されている。アメリカの意向を伝える場である。議事録が非公開のブラックな組織で、この組織が日本の政治を牛耳っていると、れいわ新選組の山本太郎が国会で指摘したことがある。しかしマスコミが取り上げなかったから、この組織のことを知る人は少ない。マスコミも牛耳られているという訳だ。
 鳩山由紀夫が違法行為でもないことで総理大臣を辞任したのに対し、モリカケサクラでおなじみの脱法の宰相は、平然と総理大臣に居座り続けた。アメリカの後ろ盾はそれほど大きいということだ。アメリカのポチでなければ政権を維持できないのである。

 次の選挙で岸田文雄や菅義偉が落選して、自民党が下野しない限り、日本が戦争に突き進むのは止められない。それも、一度や二度の政権交代では日本の政治が変わることはない。政権が交代しても、事務方と呼ばれる官僚たちが同じだからである。民主党政権時代、アメリカが政権を支持しなかったから、官僚たちはすぐに自民党政権に戻ると確信して、政権に非協力的だった。

 アメリカに堂々と異論を唱えることができる総理大臣が選挙で選ばれ続けない限り、日本に未来はない。日本の有権者にそれだけの覚悟があるかというと、あやしいものだ。

映画「ペナルティループ」

2024年03月26日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ペナルティループ」を観た。
映画『ペナルティループ』公式サイト|3月22日(金)全国公開

映画『ペナルティループ』公式サイト|3月22日(金)全国公開

主演:若葉竜也×脚本・監督:荒木伸二|あなたは、このループに同意しますか?

 

 ストックホルム症候群という言葉をご存知だろうか。ストックホルムの銀行に立て籠った強盗犯たちに人質にされた人々の話だ。犯人たちと長時間を一緒に過ごすうちに人質たちは愛着みたいな感情を抱いたらしい。病気ではなく、一時的な精神状態のことをいう。身動きさえ禁じられた状態から、トイレに行かせてもらったり、食事を与えられたりして、犯人たちに対する感謝の念も生じたようで、そういう気持ちになる可能性は想像できる。
 
 本作品では、伊勢谷友介の殺される側と、若葉竜也の殺す側が、何度も殺したり殺されたりするうちに、なんとなく心が通い合ったような錯覚に陥る。ストックホルム症候群によく似ている。
 殺した翌日のはずが、殺した日と同じ日の朝を迎えてしまう。しかし主人公にはそれほどの驚きがない。この違和感はラスト近くになって明かされる真相によって、ある程度は解消される。しかし登場人物それぞれの正体や背景についての疑問は残ったままだ。
 
 本作品のテーマは、設定のネタバラシよりも、殺す側の気持ちの変化にあるようだ。何度も殺すうちに、主人公には憎悪以外の感情が湧いてくる。相手のことを知りたいと思う気持ちである。どうしてあんなことをしたのか。砂原唯は、どうして殺されなければならなかったのか。
 自分に事情があるように、人にはそれぞれの事情がある。怒りや憎悪は単純な感情だが、人の事情は単純ではない。事情があるということは人間だということだ。つまり他人の事情を認めるということは、その人間性を認めている訳である。すると、怒りや憎悪だけでは割り切れなくなる。
 
 罪を憎んで人を憎まずという諺がある。なかなか理解し難い言葉だが、本作品を観て、この諺の真意が薄っすらと分かるような気がした。人を許すのは難しいことだが、今の世界に必要なのは、まさに他人を許すことだ。もしかしたら、とても深い作品かもしれない。

映画「四月になれば彼女は」

2024年03月24日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「四月になれば彼女は」を観た。
映画『四月になれば彼女は』公式サイト

映画『四月になれば彼女は』公式サイト

大ヒット上映中!川村元気の“愛のベストセラー”がついに実写映画化。

 とてもよかった。精神科医の主人公と、婚約者と、元カノの3人の人間模様が主体なのだが、時間を前後させつつ、徐々に関係性が明らかになっていく。状況が緊迫している訳ではないが、主人公の喪失感と焦燥感が伝わってきて、ストーリーに引き込まれていく。

 社会の息苦しさに、登場人物の誰もが少しずつ病んでいるが、人間はそれが常態だという可能性もある。心身ともに健康な人がいたら、多分ちょっと気持ち悪いだろう。微妙に病んでいる者同士が、少しだけ重なる共通点を見つけながら、理解し合える部分を共有していく。それが現代の恋愛の本質なのかもしれない。

 写真で何を撮りたいか。森七菜のハルは「雨の匂い、街の熱気、人の気持ちとか」と言う。「目に見えないものばかりだね」と佐藤健のフジが笑う。心に残るシーンだった。

映画「Call Jane」(邦題「コール・ジェーン女性たちの秘密の電話」)

2024年03月24日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「Call Jane」(邦題「コール・ジェーン女性たちの秘密の電話」)を観た。
映画『コール・ジェーン -女性たちの秘密の電話-』公式サイト|全国公開中

映画『コール・ジェーン -女性たちの秘密の電話-』公式サイト|全国公開中

人工妊娠中絶が違法だった1960年代米国、女性たちが立ち上がり権利を勝ち得た、実話をもとにしたパワフルな物語!3月22日(金)全国公開!

映画『コール・ジェーン -女性たちの秘密の電話-』公式サイト|全国公開中

 妊娠中絶の是非を巡る議論はずっと続いていて、現在でもかなりの数、法的に認められていない国が存在する。
 宗教的な理由が多く、たとえばイスラム教は中絶を禁止している上に、子作りを奨励している。世界の宗教人口で、イスラム教徒の比率が大きくなる理由のひとつだ。イスラム教の国は、憲法の上にイスラム法がある。キリスト教国でもカトリックの国の中には、バチカンが中絶を殺人だと規定している関係から、たとえ母親の命を守るためであっても、中絶を認めていない国がある。強姦や近親相姦による妊娠でも、中絶を認めない国も多い。
 つまり、妊娠中絶を許可するかどうかは、共同体の都合で恣意的に決められていて、個人の幸せは少しも考慮されていない訳だ。少なくとも女性の人格など、一顧だにされない。
 第二次大戦後の民主化の動きの中で、中絶を認める国は増えたが、根本的な解決は見えてこない。戦争と同じく、人類の課題として、人類滅亡まで続くのだろう。

 問題は、望まない妊娠をしたり、妊娠のせいで生命の危険が迫っている当事者の女性にとっては、中絶ができないことで、人生の大きな不利を被るということだ。共同体の都合を横に置いて、女性の人生だけを考えれば、中絶を禁止するのは理不尽だと言える。推論となるが、中絶を禁止しようとする人の多くは、男性ではなかろうか。共同体の指導者が女性ばかりだったら、中絶を禁止する国は現状ほど多くないと思われる。

 本作品の舞台であるアメリカでは、もともと広く中絶手術が行なわれていたが、白人の医師を中心に反対勢力が強くなり、各州で中絶が禁止された。ヤミ手術が蔓延する一方、合法化の運動も盛んになる。本作品の時代は1968年。その5年後の1973年にアメリカ最高裁で妊娠中絶の権利が認められるが、中絶禁止派は過激に反対運動を展開する。暴力などもあったらしい。武器が広く普及しているアメリカのことだから、被害者が悲惨な目に遭ったことは想像に難くない。

 本作品の主人公ジョイは、弁護士の妻で専業主婦だが、世間知らずで生きてきた分、純粋さを失っていない。望まない妊娠で悲惨な状況にある女性たちを救いたいと願う。ジョイの行動に賛否はあるが、ひとりの女性の勇気ある生き方として認められていい。主演のエリザベス・バンクスは、徐々に自信を深めていくジョイの変化を上手に演じている。シガニー・ウィーバーは安定の存在感だ。

 分かっていることなのだが、世の中というのは不自由だなと、改めて思う。もっと寛容で、もっと優しい世の中になってもよさそうなのだが、強欲な人々の独善が、世の中の自由を制限し、平等を破壊している。しわ寄せは常に弱い人に向かう。女性や病人や老人、そして全部引っくるめて貧乏人だ。一部の人間たちが我が世の春を謳歌するために、多くの人々が冬のまま一生を終える。実に理不尽だ。

映画「DUNE砂の惑星Part2」

2024年03月21日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「DUNE砂の惑星Part2」を観た。
映画『デューン 砂の惑星PART2』公式サイト

映画『デューン 砂の惑星PART2』公式サイト

映画『デューン 砂の惑星PART2』公式サイト。大ヒット上映中!

ワーナー・ブラザース映画

 高度な軍事技術を背景にした巨大で広大な舞台だが、支配層を中心とした登場人物だけのこぢんまりとした物語である。
 一作目のレビューをそのようにまとめたが、続編も同じことが言える。権力闘争と縄張り争いの中で、その他大勢がたくさん死ぬ。争いに勝つためには、武力で敵を圧倒する他に、権威を手に入れる必要がある。日本の戦国時代にどの武将も天皇の権威を味方にしたかったのと同じだ。
 権威には二種類あると、作中で説明されている。武力を背景にした力の権威と、宗教的な指導者、つまり神の権威である。神の権威があれば戦いに負けないと信じられているから、結局は同じことだが、神の権威を信じさせるには武力ではなく奇跡が必要になる。聖書でもイエスがいくつかの奇跡を起こす。

 軍事技術がとても進んでいるのに、世界そのものは権威主義の封建制度によって支配される中世のようだ。人々の多くは、主体的な思考や観察力、ひいては世界観に欠けている。その他大勢がたくさん死ぬためには、人々が無知で盲信的でなければならない。
 現代のありようとよく似ている。軍事や通信は発展を遂げているのに、人間のレベルはそれほど上がっていない。むしろ後退していると言ってもいいかもしれない。民主主義がようやく世界に広がってきたのに、独裁者や国家主義者たちが戦争を起こす。それはそういう思想を支持する人々が多いということだ。政治家のレベルは、思想も、倫理観も、年々低下している。
 文明が進んでも、人類は相変わらずだ。自分または自分たちを特別扱いし、他人をカテゴライズして敵や味方に区別する。共存よりも自分たちだけが繁栄することを望んでいる。これでは争いはいつまでもなくならない。世界平和は寛容と思慮を要件とするが、強欲と無知が支配する人類には、到底達成できるものではない。

 ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督は2016年の「メッセージ」で哲学的な深い世界観を披露した。人類に対するその冷徹な見方は、本作品の登場人物たちも例外とはしていないように思える。ティモシー・シャラメの演じるポールも、聖人君子ではなく、マキャベリアンだ。

 しかしヴィルヌーヴ監督は、本作品ではひたすら物語を紡ぐことに専念したようだ。権力闘争の物語に権威や血統が登場するのは必然である。そうすると万人に理解されやすい。商業主義の大作だから、あまり深く考えるのは野暮かもしれない。IMAXスクリーンで鑑賞すると、大画面に加えて迫力のある音響が体に直接響いてくるから、それなりの迫力で楽しめた。

映画「青春ジャック止められるか、俺たちを」

2024年03月18日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「青春ジャック止められるか、俺たちを」を観た。
映画『青春ジャック2 止められるか、俺たちを2』公式サイト

映画『青春ジャック2 止められるか、俺たちを2』公式サイト

1980 年代。若松孝二が名古屋に作ったミニシアター。映画と映画館に吸い寄せられた若者たちの⻘春群像。応援歌。

映画『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』公式サイト

 白石和彌監督の一作目を鑑賞したのは2018年の10月である。若松孝二という圧倒的なバイタリティに引きずられるようにして生きる若者たちの、青春群像を描いた佳作だった。門脇麦が演じた助監督のめぐみが主人公で、彼女の死から衝撃を受けはするものの、その後も若松組は続いていった。
 一作目の脚本を書いた井上淳一が本作品の監督を務めている。舞台は一作目から15年が経過した1984年で、若い頃の井上監督自身が登場する。若松孝二の門を叩いた井上淳一は、予備校を出て大学に合格したばかりの19歳。若松監督の洗礼を受け、映画の世界が甘くないことを思い知る。

 若松監督は相変わらずバイタリティに溢れ、理屈よりも感性で映画を撮る。生き方も、理屈よりも感性だ。反体制的であり、権力が嫌いなところは相変わらずである。演じた井浦新が一作目とほとんど同じ演技なのは、白石監督に対するオマージュだろう。変えない方がいいのは勿論だが、映画をたくさん作って名声を博しても、若松孝二の生き方が少しもブレなかったところを見せたかったのもあると思う。若松監督への変わらぬ尊敬の念が感じられた。

 東出昌大が凄くいい演技をしていたことに、少なからず驚いた。完全に一皮むけた印象だ。映画好きの支配人として若松監督相手に一歩も引かない役を好演。映研の女子大生を演じた芋生悠も、2020年の映画「ソワレ」のときよりも存在感を増している。

 若松孝二を取り巻く人々の人間模様を描いた点は一作目と同じだが、一作目ほど突き放してはいない。悪意のある人間が登場しないのだ。ベトナム戦争の真っ最中で、企業の殆どがブラックという、日本社会自体が不穏だった一作目とは、状況がかなり異なる。経済的に成長して、まもなくバブルの絶頂期を迎えようとする時代だ。衣食足りて礼節を知る。若松監督にも焼肉を奢る余裕がある。どことなく態度も穏やかだ。このあたりの微妙な違いを、井浦新は見事に演じ分けてみせた。

 若松孝二は同じ人だが、周囲は一作目とは違った青春時代を過ごす。反骨で自由な精神性のそばにいることは、若者の日常のありようとして、とてもいい環境だ。ヒリヒリする毎日が、思い返せば愛しい日々であったということになる。「青春ジャック」というタイトルの通り、若き日の自分たちを優しく包み込むような作品だ。ほのぼのと温かい気持ちになる。

映画「変な家」

2024年03月17日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「変な家」を観た。
映画『変な家』公式サイト

映画『変な家』公式サイト

映画『変な家』公式サイト

「原作はホラーじゃなかったよね」と、終映後の観客が話していた。相手も頷いていたから、おそらく原作はホラーではないのだろう。オカルト小説といったところだろうか。ジャンプスケアが殆どなかったから、製作側もホラー映画を作るつもりはなかったのかもしれないが、それにしては不気味でジワジワとした怖さがあって、それなりに楽しめた。

 お面には不思議な恐ろしさがあるものだなと、改めて思った。本作品で登場するお面は、能面のようなタイプで、ほぼ無表情だ。そもそも能面という言葉そのものに、無表情という意味がある。能は、シテの動きで無表情の能面に表情を纏わせる。観客が能面から感情を受けとめると言ってもいい。
 本作品で、お面を被った人に恐怖を感じるとすれば、それは観客が自分の心に恐怖を生み出しているということだ。人間は未知のもの、理解できないものには自動的に恐怖を覚える。オカルト作品のメカニズムは、そのあたりに秘密があると思う。
 恐怖の根源には不条理がある。究極は死だ。人が死ぬことは周知の事実だが、自分の死は、受け入れがたい不条理である。死は介在的にしか理解できないものだから、自分の死と他人の死は決定的に異なる。
 理不尽な理由で死に追いやられることには、特に恐怖を感じる。戦争や災害はリアルな恐怖で、シリアスにならざるを得ない。一方でオカルトには、そこはかとない滑稽さがあって、本作品でも思わず失笑してしまいそうになったシーンがいくつかあった。あくまでエンタテインメントなのだ。

 俳優陣はなべて好演。間宮祥太朗は上手い。川栄李奈も達者だ。佐藤二朗がおふざけの演技をしなかったのがよかった。オカルトの滑稽さと佐藤二朗のおふざけが相容れないことは、本人も監督も知っているのだろう。