映画「カンダハル 突破せよ」を観た。
イスラム教徒が世界的に増えているらしい。イスラム教徒が即テロリストではないことは分かっているが、ハラルを守ってハラムを犯さないという戒律が、結構面倒くさい気がする。豚肉が好きだが、イスラム教徒とは一緒にキムチ鍋をつついたり、餃子を巻いて食べたりすることは出来ない。
イランは正式名称をイランイスラム共和国というくらいで、憲法その他の法律の上にイスラム法がある。イランに生まれたら自動的にイスラム教徒になる訳で、信教の自由などない。イスラム教徒は他人に戒律を守らせるのがよほど好きみたいで、道徳警察が市民を監視して、戒律違反を犯している者を捕らえて罰を与える。
女性はヒジャブの着用が強制されているが、正しい着用の仕方をしていなかったということで、2022年に拘束された女性がその後死亡したことで、抗議のデモが起こった。参加した人の内、数百人が当局に殺されたと報道されている。デモがあまりにも大規模になったので、イラン当局は道徳警察を廃止したという噂があるが、本当かどうかわからない。
イランに生まれなくてよかったと思った日本人女性はたくさんいると思うが、それは日本の状況を知っているからで、イランに生まれてイランの社会しか知らなければ、そんなふうに思わないだろう。21世紀になってからのインターネットの急激な普及で、自国の不自由さを知ったイラン人が多いのかもしれない。
では日本は自由かというと、そうでもない可能性がある。自民党の埼玉県議団が提出した虐待防止条例案は、驚くべき内容だった。子供の世話を片時でも怠ると虐待に当たるというもので、最初は努力義務、将来は罰則も設けるという。シングルマザーは埼玉県から出て行けという条例と言っていい。幸いにも、抗議が殺到して提出を取り下げたようだが、その理由は説明不足らしい。説明不足というのは逆から言えば、理解を得られなかったということで、要するに埼玉県民がバカだから、この素晴しい条例案が理解されなかったという意味だ。どこまでもおごり高ぶった自民党県議団である。
世界銀行の発表によると、日本の合計特殊出生率は1.3で世界186位だが、イランは2.1で102位である。日本よりもイランのほうが、子供に未来があると考えているのか、それとも強姦で子供が増えているのか、または避妊具不足なのか、理由はよくわからない。しかしイスラム教の国は、国民が不幸に見えても人口が増えている事実はある。
もしかしたら、ドストエフスキーの小説の登場人物が言うように、人間は自由を怖れているのかもしれない。自由になって飢えるくらいなら、パンのために喜んで自由を投げ出すと彼は書いた。
つまり、自分で考えて実存を生きるのが辛いから、イスラム教の戒律に従って生きる。自由の重荷を背負わなくていいから、その方が楽である。しかし人間から考えることを取り去ったら、人間性が希薄になる。理性的な面が減少して暴力的になる。ニュースで映される映像のように、やたらに銃を構えている人が多い中東の様子そのままだ。
さて、本作品はそういう不自由なイスラム世界が舞台だ。シーア派とスンニ派の争いの他に、クルド人やダーイッシュ(ISIS)やタリバンもいて、勢力図は混沌としている。そこにCIAも絡んでくるから、もはや収拾がつかない。不幸なのはそこに住む民衆で、人権などありはしない。
ではアメリカに人権があるかというと、黒人をはじめとする有色人種には厳しいし、貧乏人は滅多に這い上がれないという現状だ。しかしそれでも服装は自由で、ヒジュラの被り方で殺されることはない。
CIAのエージェントである主人公のトムにも苦悩はある。自分は他国に来て、本当に人々のためになることをしているのか。今の政情は土地の人々が選んだ状況なのではないか。やっていることは本当にアメリカの国益になるのか。
だが現状は逼迫していて、悩んでいる場合ではない。兎に角脱出するのが先決だ。現場エージェントとしての経験を総動員するトムの逃避行がはじまり、物語は一挙に佳境に突入する。アクション俳優ジェラルド・バトラーの本領発揮である。トムはスーパーマンではなく、戦闘はリアルだ。必ずしもハッピーエンドでないところもいい。
バトラーとリック・ローマン・ウォー監督の相性はかなりいいみたいだ。「エンド・オブ・ステイツ」も「グリーンランド-地球最後の2日間-」も面白かったし、本作品も十分に楽しめた。