三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「Die Blumen von Gestern」(邦題「ブルーム・オブ・イエスタデイ」)

2017年10月23日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「Die Blumen von Gestern」(邦題「ブルーム・オブ・イエスタデイ」)を観た。
 http://bloom-of-yesterday.com/

 かつての昭和映画のように暴力的な映画である。主人公は他人が苦手だが、自分を否定するのではなく、むしろ他人を否定し、自分の価値観で他人に暴力を振るう。そしてそんな風にしか他人と接することの出来ない自分を嘆く。ほとんど病気である。
 ホロコーストはドイツ人にとって未だに消化しきれずに心のどこかに引っ掛かり続ける異物のようだ。登場人物の誰もが、自分が加害者の子孫、あるいは被害者の子孫であることに捉われ、そこから一歩も抜け出せない。
 歴史の過ちは常に顧みなければならないが、共同体や祖先の呪縛に縛られ続ける必然性はない筈だ。しかしこの作品の登場人物たちは異常なほど祖先、国家、師弟などの関係性に捉われる。それがドイツの国民性であるとするなら、ヒトラーを生んだ精神性の基盤がそこにある。
 人間は目的や義務をもって生み出される訳ではない。単に生まれるだけだ。物心ついてからは自由な選択が許される。人々の多様な選択を認めるのが民主主義である。ドイツ国民として生まれたからには云々といったパラダイムは、全体主義そのものだ。残念なことに同じパラダイムが日本でも支配的である。日本人として生まれたからには云々という文言は巷に溢れている。全体主義に直結する精神性だ。
 この映画には全体主義的な精神性の持ち主しか登場しない。登場人物の誰にも感情移入できないまま、異常な重苦しさで物語が進む。人間同士の本音の交流がパラダイム同士のぶつかり合いによって蹂躙される構図がこの映画の芯になっている。
 ゲルマン民族の救われない精神構造を見せつけられた感じだ。それは取りも直さず、日本人の救われない精神構造に等しい。もしかしたらどこの国の国民も同じような全体主義的な精神構造なのかもしれない。だとしたら世界は救われない。
 そんな作品だった。


映画「Mal de pierres」(邦題「愛を綴る女」)

2017年10月19日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「Mal de pierres」(邦題「愛を綴る女」)を観た。
 http://aiotsuzuru.com/

 隣席の年配の奥さんが旦那さんに向かって、あなたは電源を切るからいけないのよ、私はいつもマナーモード、これだとかかってきたのが分かるでしょ、と注意していた。上映中に何度も奥さんのスマホのバイブレータが鳴って、周囲の注目を浴びていた。旦那さんは気づかないふりをしているようだった。

 キリストの父ヨセフは、新訳聖書ではマリヤの夫として精霊のお告げを受けて子供にイエスと名付ける役割が与えられてはいるものの、聖書の中でもキリスト教全体としてもあまり脚光を浴びている存在とは言い難い。
 この作品の夫のジョゼ(スペイン語でホセと呼ばれていた)も、暗い映像に加えて正面からスポットを当てられることもなく、とても地味な存在だ。ジョゼはという名前はヘブライ語のヨセフによく似ていることもあって、二人の生き方が重なって見えた。
 マリオン・コティヤールは現代フランスを代表する名女優だが、必要なシーンのためには身体を張る演技も辞さない。その辺りの思い切りのよさは、情熱を大事にするフランス文化の精神性に由来すると言ってよさそうだ。この人の映画は今年だけでも4本観た。

たかが世界の終わり
マリアンヌ
アサシン・クリード
それに本作品

 いずれの作品もキャラクターがまったく違っているのに、何の違和感もなく見事に演じ分ける。まさにカメレオン女優としてのポテンシャルを遺憾なく発揮していると言ってよさそうだ。
 本作では性欲の塊のような極めて情熱的な女性が歳を重ねて人生の真実に気づいていく過程を、屡々噴出する狂気の発露を加えつつ、静かに演じていく。嫉妬もあり、諦めと絶望もある。さらに妄想や幻覚さえも織り混ぜながら、女の人生をこれでもかとばかりさらけ出す。
 そんなマリオン・コティヤールの素晴らしい演技が浮かび上がらせるのが、夫ジョゼの存在だ。聖母マリアを支えたヨセフのように、愛に生きる奔放な妻を無償で支え続ける。
 プロット、シーン、そして主演女優の演技と、三拍子揃った見事な作品である。


映画「亜人」

2017年10月10日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「亜人」を観た。
 http://ajin-movie.com/

 この作品はR指定がないようで、観客の中に結構子供がいた。中の一人が上映中ずっと喋っていたので、微妙に映画に集中できなかった。まあ仕方がない。運が悪かった。
 予告編を見て、怪我をしたら自分を撃ってリセットできるのは分かっていた。アイデアは面白い。戦闘場面が次から次に浮かんでくる。特殊能力を持つ人間が迫害されるという設定はステレオタイプだがわかりやすい。この映画では日本の政官財の癒着したムラ社会を取り上げ、情報を隠蔽し政官財の利益のみを追求する国民不在の政治がさりげなく描かれている。環境設定としてはそれで十分だ。ムラ社会の中での人間関係でも状況次第では立場が危うくなることを官僚役の玉山鉄二がうまく表現している。
 SFアクションとしては、通常ではあり得ない戦闘シーンが実に痛快だ。特に綾野剛の演じる佐藤(ちょっと佐藤健と名前が重なってややこしい)の戦闘能力たるや、半端ではない。警察の特殊部隊との戦闘は、かなりスカッとする。この戦闘シーンだけでもこの映画を見る価値は十分にある。綾野剛の鍛え上げた肉体も見事である。世界観も独特で機知と戦略に満ちている。度胸も十分だ。不安と恐怖を抱え続ける弱い人間からすれば、ある意味うらやましくもある。このキャラクターは非常に面白いので、どこかでもう一度見たいものだ。


映画「Paterson」

2017年10月07日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「Paterson」を観た。
 http://paterson-movie.com/

パターソンのパターソン ニュージャージーのバスの運転手
パターソンのパターソン 妻は気儘なクリエイター
パターソンのパターソン 正直者でお人よし
パターソンのパターソン 実は繊細な詩人

 パターソンの日常はいくつか時代をさかのぼったようにアナログだ。自分の目で見て耳で聞いて本で読んだことだけがこの世界のすべてなのだ。詩人にはデジタルの情報は無用の長物だ。ただし他人がそれを利用することを否定はしない。
 時の流れが止まったかのような平凡な日常を繰り返すパターソンだが、彼自身にとっては決して平凡ではない。毎日いろいろな出逢いがあり発見がある。生きていることが詩作そのものだ。
 パターソンのような精神性の人間が存在していることを伝えるのは、不寛容が蔓延した現代では非常に重要なことだ。意義のある作品である。商業主義のB級映画が主体のアメリカ映画界だが、こういう作品を作れるところにまだまだ奥深さというか、文化としての体力を感じる。
 エミリ・ディキンスンを高評価するところも、アメリカ文学をよく理解していて好感が持てる。双子のメタファーも意味ありげで面白い。


映画「ユリゴコロ」

2017年10月03日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「ユリゴコロ」を観た。
 http://yurigokoro-movie.jp/

 三つ子の魂百までというのは本当だと、この頃つくづく感じる。子どものころに感じた恐怖心は死ぬまで消えない。子供のころに受けた愛情も死ぬまで忘れない。そして子供のころに受けなかった愛情は、死ぬまで持つことはない。
 吉高由里子の演技が秀逸。心に闇を抱える美しい顔が怪しく微笑むシーンはゾクッとする。松坂桃李はややオーバーアクション気味で、周りの演技から少し浮いていた。もしかしたらそれが狙いなのかもしれない。木村多江は熟練の職人の域。この人の演技は間違いがない。
 作品は子供の頃からの心の闇を抱えた女が、その闇を埋めようとするかのように人を殺し、罪悪感よりも充足感が上回って、罪の意識を感じないままに人生を送る話だ。心の闇は最後まで消え去ることはないが、自分には得られなかった拠りどころを、他人の拠りどころになることによって魂の救済を図ろうとする。その試みはうまくいったのだろうか。
 人が生きていくというのはどういうことなのか、命とは何なのか、命にどんな意味があるのかを突きつめる物語だ。そのテーマは、ドストエフスキーの「罪と罰」に通じるものがある。深い作品である。


映画「三度目の殺人」

2017年10月03日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「三度目の殺人」を観た。
 http://gaga.ne.jp/sandome/

 まず広瀬すずの女優としての成長を評価したい。これまでの、好き嫌いや嬉しい悲しい淋しいなどの単一の感情を表現するだけだった演技が、悲しくて辛くて怖いという複雑な情緒に加えて、年代なりの人生観や世界観も合わせて表現できるようになった。
 作品のテーマはひとつではない。裁判という制度そのものに呈する疑問、司法関係者たちによって構成される、所謂司法ムラ社会の実情、真実よりも司法関係者の利害が優先される裁判の進め方など、人が人を裁くという行為がいかに様々な問題を抱えることになったかを炙り出すのがひとつ。
 もうひとつは事件を通じて登場人物がそれぞれの葛藤をそれなりに乗り越えていくことで成熟していくことだ。つまり社会性と人間性の両輪がこの映画を前に進めている。その象徴的な役柄を演じたのが広瀬すずだ。役所広司や斉藤由貴の達者な演技に引っ張り上げられたような、これまでとは見違える演技で、テーマの集中する難解な役柄を見事にこなしていた。
 ひとつひとつの台詞や場面を言葉で分析しようとするのは難しい。それぞれの相関に必ずしも整合性があるわけではないからだ。その整合性のなさをこの世界の混沌としてそのまま理解するのがこの作品の正しい見方だろう。


大政翼賛会再出現の恐ろしい予感

2017年10月02日 | 政治・社会・会社

 暗愚の宰相アベシンゾウによるモリカケ隠しの敵前逃亡解散から、総選挙に突入した。解散に合わせて小池百合子の希望の党が新党の名乗りを上げて、あたかもアベに対抗する一大勢力でもあるかのようにマスコミを操作している。
 しかし小池百合子という政治家の来し方をよく調べれば、アベシンゾウと同じく戦争に向かおうとする超タカ派であることがわかる。戦争を美化する青嵐会出身の政治家なのだ。そんなことを知らなくても、公認の条件として安保法制を支持し、憲法9条を変えることに賛成しなければならないということなら、これはアベ自民党とまったく同じではないか。つまり自民党も希望の党も同じ穴の狢なのだ。自民党に投票したくないからと、間違えて希望の党に投票したら、自民党と合わせて巨大なタカ派政権が誕生することになる。そんな政権ができてしまったら、北朝鮮の脅威をあおって国民を好戦的な雰囲気に導くだろう。戦争へまっしぐらに向かう道だ。誰が見てもヒトラーの手口とまったく同じだ。マスコミはどうして指摘しないのか。
 この選挙は国民が戦争か平和かを選択する選挙になる。平和を望むなら、自民党にも希望の党にも投票してはいけない。共産党や社民党、または枝野幸男や辻元清美などのリベラル派がつくる新党に投票するしかない。もし戦争を望むなら、希望の党に投票することだ。政権が発足したらほどなく徴兵制が始まるだろう。
 戦争とはきれいごとではなく、理不尽な人殺しであることを思い出してほしい。北朝鮮の国民は圧政に苦しんでいる。情報が閉ざされていて、世の中に民主主義というものがあることを知らない。自由や人権というものを知らなければ、親の言いなりになる子供のように反日の意見を言うのも当然だ。そんな無知で気の毒な人々を最新の武器で殺しに行くのが戦争なのだ。そして殺しに行くのは顔のない兵士ではなく、あなたの優しい夫であり息子である。息子を人殺しにしたい人は希望の党に投票すればいい。願いはかなうだろう。

 鳩山由紀夫が総理大臣としてやろうとしたことをご存じか。平和憲法を守り、軍備を放棄し、沖縄から米兵を退去させることだ。それは被爆国としての日本がなすべきことだ。しかしアベ自民党がやってきたことは、それとは逆で、平和憲法を破壊し、アメリカから兵器を買って軍備を増強し、沖縄の米軍基地を拡大し援助する。鳩山由紀夫はCIAの陰謀で挫折した。核兵器を世界から廃絶するというオバマ大統領の悲願は、世界中の抵抗にあって挫折してしまった。しかしアベはトランプとキムジョンウンを味方にして戦争する国にしようとしている。それどころか、核兵器も持とうとして虎視眈々だ。
 世界は軍産複合体の利益のために各地で戦争を起こしている。武器商人のための戦争だ。武器や弾薬は時間で劣化する。使わなければ不良在庫となるのだ。そんな武器商人の資本主義のために無辜の人が何人も死んでいく。理不尽でなくて何だろう。恐ろしいのは、核兵器も劣化するということだ。使わなければ無駄になる。無駄になったウランやプルトニウムをどうするのか。実はそのために原発がある。日本が脱原発できないのは核兵器を持つ野望があるからだ。同じ野望を持つ希望の党は、当然原発をやめるつもりなどない。希望の党ではなく野望の党だ。
 アメリカをはじめとする死の商人の国は、世界で戦争がなくならないようにセールスマンが武器を売り歩く。トランプによるトップセールスもそのひとつだ。さしずめ日本はお得意様だろう。今日も多くの人が武器で死んでいる。明日をそんな世界にしたくないのなら、希望の党や自民党に投票してはいけない。しかし日本の有権者の想像力には期待できない。たぶんこの選挙で再び自民党が勝利するか、または希望の党と一緒になって巨大連立政権を樹立し、翼賛体制を敷くことになるだろう。ことあるごとに先の大戦への反省を口にしてきた天皇はさぞかし悲しむに違いない。日本はもうおしまいだ。


レース結果~スプリンターズS

2017年10月02日 | 競馬

スプリンターズSの結果
1着レッドファルクス  無印
2着レッツゴードンキ  無印
3着ワンスインナムーン ▲

私の印
◎ファインニードル  12着
〇セイウンコウセイ  11着
▲ワンスインナムーン 3着
△ダイアナヘイロー  15着

 1着2着が無印の上に本命対抗が12着と11着ではどうしようもない。馬券としては重症だ。
 レースは前半が33秒9、後半が33秒7の典型的な平均ペース。流れに乗れた馬が勝つ展開だ。ファインニードルは出遅れて3コーナー手前でまくっていった時点で終わっていた。勝ったレッドファルクスは中段の後方から進み、4コーナーでばらけてから満を持しての追い出し。鞍上はデムーロ。ジョッキーの差も大きかった。レッツゴードンキはさらに後方から。先行勢が残りにくい馬場だったのは間違いない。前に行った馬が崩れるなかで、3着に踏ん張ったワンスインナムーンはかなり強い。次に1200m戦に出てきたら迷わず本命にする。
 さて来週は毎日王冠。天皇賞秋に直結するレースだけに注目だ。マカヒキが出てくるようであれば、ダービー馬の格に敬意を表して頭から狙いたい。


スプリンターズS~ファインニードル

2017年10月01日 | 競馬

◎ファインニードル
〇セイウンコウセイ
▲ワンスインナムーン
△ダイアナヘイロー

 4歳馬を狙う。今年順調に使われ、前哨戦のセントウルSを制したファインニードルが本命。G1高松宮記念を勝ったセイウンコウセイが強敵。間が空いている分だけ2番手とした。先行力のある牝馬2頭ワンスインナムーンダイアナヘイローが連下。
 大外のダンスディレクターの差し脚は脅威だが、久々で馬体重が減っていた前走がマイナス材料。ローテーションに不安のあるレッドファルクス、2戦連続で二桁着順のビッグアーサー、ヴィクトリアマイル以来で1200m勝ちのないレッツゴードンキなど、実力馬には今回消えてもらう。

 馬券はを頭の3連単(13-3、6、7)6点勝負