三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「Mothering Sunday」(邦題「帰らない日曜日」)

2022年05月30日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「Mothering Sunday」(邦題「帰らない日曜日」)を観た。
映画『帰らない日曜日』公式サイト|2022年5月27日(金)全国公開

映画『帰らない日曜日』公式サイト|2022年5月27日(金)全国公開

カズオ・イシグロ絶賛の原作を映画化。1924年、イギリス。 メイドと名家の跡継ぎ―。 人生を一変させた〈秘密の恋〉を描く、愛の物語。5月27日(金)新宿ピカデリー他にて公開。

映画『帰らない日曜日』公式サイト|2022年5月27日(金)全国公開

 孤児院育ちのメイドである主人公ジェイン・フェアチャイルドは「私もメイドの子供かもしれない」と言う。言っている相手は名家の子息であるポール・シェリンガムである。ふたりの格差はこのシーンに集約されている。

 ジェインは両親の名前さえわからない根無し草だ。しかし恋の相手は家柄正しきエスタブリッシュメントである。釣り合う相手ではない。ポールは親から決められた結婚を当然として、ジェインを親友だと呼ぶ。ジェインにとっては悲恋だが、ポールにとっては楽しい思い出だ。しかしポールも単なる能天気なお坊ちゃんではない。笑顔で「グッバイ、ジェイン」と言った最期の言葉の真の意味は、誰にもわからない。

 ジェインが黒人青年ドナルドに語った、作家になった三つのきっかけのうち、ふたつはジェインの口から語られる。生まれてきたこと、それにタイプライターをもらったことだ。三つ目は秘密だというと、哲学者のドナルドは完璧な答えだと感嘆する。しかし本当はドナルドも三つ目を知りたかったに違いない。

 映画は格差の悲劇を描いている訳ではない。むしろ女性の自立を描いている。それが明らかになるのが、ジェインが裸でシェリンガム家を探検するシーンである。巨大な屋敷は権威の象徴である。対するジェインは何も持たない素っ裸である。つまり、ひとりの女性が、その人間力だけで世の中に対峙する様子を象徴しているのだ。ゆっくりと屋敷を見て回る裸のジェインの姿は、堂々として屋敷の威容に負けてはいない。
 この体験と、時刻を同じくして起きた悲劇が、ジェインに大きな喪失感と、強い決意をもたらす。ジェインは文字を紡ぎ、心の中の穴を埋めていく。そうするしか、彼女には生きる術がなかったのだ。三つ目のきっかけはつまり、本作品そのものである。

 ビバルディの「夏」が効果的に使われる。夏は若者にとって遊びの季節だ。しかし夏はいつか終わる。若者はいつの間にか若者でなくなる。だから「夏」はどこか淋しげなメロディに満ちている。「四季」は素晴らしい曲だ。最近の映画では「冬」が使われていることが多い。

 ジェインの青春は辛い時代だった。燃えるような朱夏の体験は、恋の喜びと肉欲の充足をくれた。忘れ難い肉体の悦び。そして喪失。その後は、おそらく孤独で充実した白秋の時期があったに違いない。書いても書いても埋め尽くせない心の穴は、ジェインをタイプライターの前から動かさない。そしてジェインは玄冬の時季を迎えた。小説をたくさん書いた。少しは心の穴を埋められた気がする。ジェインはようやく、青春と朱夏の季節を肯定できるようになったのだ。

映画「トップガン マーヴェリック」

2022年05月29日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「トップガン マーヴェリック」を観た。
映画『トップガン マーヴェリック』公式サイト

映画『トップガン マーヴェリック』公式サイト

トム・クルーズ主演、伝説のスカイ・アクション最新作 新たなる幕開け。大ヒット上映中

映画『トップガン マーヴェリック』公式サイト

 映画の続編の見本のような作品である。前作から経過した36年の月日を上手に描いてみせた。登場人物は歳を取り、戦闘機の開発は日進月歩だ。しかし人の魂は変わることがなく、愛は色褪せない。

 科学の最先端は残念ながら軍事技術である。そしてそれは無人、自動の方向に進んでいる。無人航空機もそのひとつで、映画「ワイルドスピードスカイミッション」に出てきたドローン戦闘機も、既に実現しはじめている。ウクライナのゼレンスキー大統領が2021年の秋に行なった、自国の東部の親ロシア派武装勢力に対する空爆にも、ドローン航空機が使われていた。
 いまのところは遠隔操作のドローンだが、そのうちマッハで飛行する無人の戦闘機が全自動で敵を攻撃するようになるのだろう。そうなると、戦闘機乗りはいらなくなる。
「しかし」とピート・ミッチェル=マーヴェリックは言う「それは今ではない」

 ピートは今だけを生きるリアリストだ。幸福な思い出と一緒に不幸な過去を背負っているが、ひとえに今を楽しむ。そして軍人として任務に正面から向き合う。将来は無人機が任務を遂行するのかもしれないが、今は戦闘機乗りとしての自分にしかできない任務がある。
 任務に障害になる人間関係の不和があれば、誠実に解決を図る。最大の任務は、全員を生きて帰還させることだ。困難なミッションが終了すると同時に、わだかまりは氷解し、愛は再び燃え始める。

 トム・クルーズは歳を取っても相変わらずかっこいい。乗っているバイクがKAWASAKIなのは日本のファンへのサービスだろうか。序盤のダイナーのシーンで、ピートの Where am I?に対して、子供が Earth と答えたのには思わず吹き出してしまった。サービス精神も旺盛なエンタテインメントである。


映画「辻占恋慕」

2022年05月27日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「辻占恋慕」を観た。

 ヒロインの芸名が「月見ゆべし」とはケッサクである。「ゆべし」は全国的にバリエーションのある菓子だが、知名度は団子よりもはるかに下だ。団子は月見の際に供えることで有名なのに対し、ゆべしに有名なシチュエーションはない。つまり、月見団子は誰でも知っているが、月見ゆべしは聞いたことがない。どこまでもマイナーなのだ。
 月見と言えば月見草が連想され、山崎ハコの「織江の唄」を思い出す。映画「青春の門」の主題歌となった歌だ。次の歌詞がある。

 月見草 いいえそげんな花じゃなか
 あれは セイタカアワダチソウ

 作曲は山崎ハコだが、作詞は「青春の門」の原作者の五木寛之さんである。月見草とセイタカアワダチソウは花ひとつを見れば似ても似つかぬ花だが、黄色く群生するところが似ていて、遠くから見ればセイタカアワダチソウと見紛うこともある。本作品のヒロイン月見ゆべしは、遠くから見たら月見草に見えたが、実はセイタカアワダチソウだった。

 映画としての高評価は難しい。登場人物同士のマウンティングに終始しているだけで世界観が欠如しているから、物語に深みがない。月見ゆべしは売れたいのか売れたくないのか、売れるということはどういうことなのか、もし売れることが妥協することなら、それは幸せなことなのか、そういった掘り下げが欲しかった。
 歌唱のシーンが沢山あるが、どの歌も音域が狭く、失礼な言い方だがお経みたいな歌ばかりで、歌のシーンになるたびに、早く終われと願ってしまった。ひとつでもメロディにインパクトのある歌があったら、全く違った映画になったと思う。

 ラストシーンは評価が分かれるところだろう。ただ、信ちゃんの主張が論理的に破綻していることは誰でもわかると思う。ラジオで紹介されたからコンサートに来たという行動が否定されるなら、ほとんどの文化は否定されることになる。文化を支えているのはそれにお金を出す人間であり、何にお金を出すかを決めるきっかけになるのが、ある種のつながりだからである。信ちゃんの論理では、芥川龍之介を読んでいる人が、その師が夏目漱石だと知って漱石の本を買って読むという行動が否定されることになる。
 誰でも生まれたばかりの頃は何も知らない。何かのきっかけで文化に触れるのだ。つまり「きっかけ」を否定することは、人が文化に触れることを否定することである。だから信ちゃんの論理は文化の全否定なのだ。信ちゃんはマウンティングばかりしてきたから、論理的な思考ができない。そしてそれを自覚していない。

 もしかするとそういう上滑りしている若者の幼稚な精神性を描きたかったのかもしれないが、本作品はマウンティングのシーンばかりで、真情を吐露するようなシーンがひとつもなかったから、登場人物の誰にも感情移入できなかった。

映画「グロリアス 世界を動かした女たち」

2022年05月26日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「グロリアス 世界を動かした女たち」を観た。
5.13 Fri.公開 映画『グロリアス 世界を動かした女たち』公式サイト

5.13 Fri.公開 映画『グロリアス 世界を動かした女たち』公式サイト

キノシネマ kino cinéma 配給作品

 女性の人権活動家グロリア・スタイネムの伝記だが、グロリアの人生を描きたいのか、フェミニズム運動の歴史を描きたいのかがはっきりせず、両方とも中途半端になってしまった感がある。加えて、時系列を行ったり来たりするような変なテクニックのせいで、グロリアの人となりがわかりにくくなってしまった。作品に立体感がない。物語が薄っぺらなのだ。かりにも世界のフェミニズム運動を引っ張ってきた女性なのだから、その人生が薄っぺらな筈はない。

 三つ子の魂百まで。グロリアの中には幼い頃の少女がいつまでも住んでいる。それを描くために後半になっても小さなグロリアを登場させているのかもしれないが、幼い記憶や情緒を抱えているのはグロリアだけではない。「三つ子の魂百まで」は、世界中の誰にとっても同じである。敢えて幼少期を描く必要はなかった。

 インドの経験の描き方も浅い。インド共和国はバラモン教の国で、表向きは民主主義の国だとなっているが、内実はカースト制度による差別の国である。最下位のカーストである不可触賤民は、殺されても警察はろくな捜査もしない。バラモン教はリインカーネーション(輪廻)が主要概念だから、不可触賤民の子孫は必ず不可触賤民である。彼らにとって人生は絶望でしかない。
 同じカースト同士の結婚を描いた映画「グレート・インディアン・キッチン」では、結婚した女性が奴隷のように酷使され、生理中は忌み嫌われる。インドではカーストに関係なく、女性に人権などないのだ。グロリアには、そのあたりの強烈な差別を目の当たりにしてほしかった。

 公然と行なわれる差別は、民主主義教育が行き届いていないということに尽きる。インドでは貧しい家庭は子供を学校にやれない。新しい知識がもたらされないから、親の考えがすべてだ。親はカーストが当然だと考えているから、子供もそうなる。自分たちが不可触賤民であるという認識はある。しかし避妊の知識も道具もないから、子供を作ってしまう。不幸の再生産だ。

 グロリアは得意の文章によって、差別に甘んじてしまう人々を啓蒙していきたいと考えたのだと思うが、本作品ではグロリアの決意の瞬間などが描かれず、なんとなくフェミニズム運動に巻き込まれてしまったかのように見える。フェミニズム運動について、逆に悪い印象を与えてしまったのではないかと心配だ。

映画「ドンバス」

2022年05月24日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ドンバス」を観た。
ドンバス : 作品情報 - 映画.com

ドンバス : 作品情報 - 映画.com

ドンバスの作品情報。上映スケジュール、映画レビュー、予告動画。「アウステルリッツ」「粛清裁判」「国葬」などのドキュメンタリーで知られ、発表する作品の多くが世界3大...

映画.com

 19世紀から20世紀にかけてのヨーロッパ史は、軍事技術の発展と戦争の歴史である。第二次大戦の終結をもって一応の落ち着きを得たものの、強欲なスターリンの政策によって東西の冷戦が生まれ、同一民族のドイツは東西に二分された。スターリンの死後もソビエト連邦の人々は、祖国=同志=共産主義というパラダイムに縛られていた。
 それは1989年のベルリンの壁崩壊から1991年のソ連崩壊というエポックを経ても、なお続いているように思える。特にロシア系の住民が住んでいる場所では、祖国=ロシア=同志というパラダイムから抜け出せていない。
 1941年のナチスのソ連侵攻は革命後のロシア人にとって大きな事件であり、東部戦線を戦ってナチスに打ち勝った記憶は、ソビエト連邦にとって最も輝かしい歴史である。ロシア人は祖国ロシアに対立する陣営をことごとくナチと呼ぶ。
 
 プーチンによるクリミア侵攻は、平和だった21世紀のヨーロッパにとって衝撃的な出来事だった。クリミア半島はウクライナ人よりもロシア人が圧倒的に多く、住民がウクライナ政府の統治を望まなかったという背景がある。
 ドンバス地方も同じように住民がロシア系で、祖国=同志=ロシアというパラダイムに心が支配されている。ウクライナ憲法がウクライナ語を唯一の公用語としているせいか、ロシア人には被害者意識がある。クリミアがロシア人による自治区となったことに力を得たのか、ロシア人は武装してドンバス地方を実効支配した。そのための武器はどこから調達したのか。当然ながらプーチンのバックアップがあったはずである。
 
 ドンバス地方の武装勢力に対してドローンを使った砲撃を仕掛けたのがゼレンスキー大統領だ。プーチンはゼレンスキー政権に対して何度も警告を出した。ゼレンスキーはウクライナ人ではなくユダヤ人でロシア人である。ドンバス地方のロシア人にとって裏切られたという気持ちが加わり、怒りを更に増幅させた。そしてプーチンはウクライナに侵攻した。
 
 本作品はドンバス地方を武力によって実効支配しているロシア人の精神性を、茶化してみせたり、醜く描いたりしている。極めつけは結婚式で流れる祖国ロシアの歌だ。祖国=同志=ロシアというパラダイムを相対化して見せている。
 実はゼレンスキーも、何度も祖国という言葉を使っている。もはや祖国というよりも縄張り争いである。暴力団と同じだ。祖国というパラダイムを捨てるか譲歩しない限り、紛争の解決はない。子供でも分かる。ゼレンスキーとプーチンの争いは頭の悪い祖国バカ同士の戦いなのだ。
 にもかかわらず、日本の岸田文雄は「極めて困難な状況の中で、祖国や国民を強い決意と勇気で守り抜こうとする姿に感銘を受けた」と述べている。ウクライナ戦争の状況を何も分かっていないバカである。プーチンを盟友として威張っていたアベシンゾウは更に輪をかけたバカだ。日本の総理大臣はバカしかいないのだろうか。
 
 祖国というのは幻想にすぎない。たまたまそこで生まれただけだ。人間は生まれた土地を離れてどこにでも行く自由がある。土地の支配者は、土地から人々が流出してしまうと困るから、祖国という概念を持ち出して、人々を土地に縛り付けようとする。祖国という言葉は土地の為政者によるプロパガンダなのである。
 本作品は映画としてはあまり面白い作品ではないが、並べられたエピソードの全体をイメージしてみると、祖国という幻想から脱却できない愚かな精神性を笑い飛ばしているように思えた。

映画「ハケンアニメ!」

2022年05月22日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ハケンアニメ!」を観た。
映画『ハケンアニメ!』公式サイト

映画『ハケンアニメ!』公式サイト

映画『ハケンアニメ!』作品情報。アニメ業界で闘う者たちを描いた、熱血エンタテインメント! 大ヒット上映中!

 原作を知らないので、タイトルをもろに勘違いしてしまった。「ハケン」は「派遣」ではなく「覇権」であった訳だ。

 アニメは世界に誇れる日本の文化だが、徐々にその中心が外国に移りつつある。アニメーターの収入は低く、中には中国からの仕事を受けている人もいると聞く。少し前までは日本が中国に仕事を出していたのに、逆転してしまった訳だ。
 アニメーターは長時間労働が当たり前で、業務委託の請負契約だから労働基準法は適用されない。それでもアニメが好きで、アニメの仕事に携わっていたい若者たちは、身を粉にして働く。

 そのような状況を踏まえて本作品を観た。吉岡里帆が演じた主人公斎藤瞳はアニメ制作会社の正社員だから、時間外勤務手当などはきちんと支給されているものと信じるが、もしかしたら正社員という名の請負契約かもしれない。経団連会長を出したトヨタやキヤノンでも行なわれていた偽装請負だ。斉藤瞳はまさかそんなことはないと思うが。

 さて本作品はひとことで言えば、青春お仕事ドラマである。周囲と衝突したり和解したりしながら主人公が成長し、それにともなって仕事の内容も充実していくという王道の物語だ。本作品には中村倫也演じる王子千晴というライバルが登場するが、それもお仕事ドラマにありがちである。

 本作品がユニークなのは、それぞれのプロデューサーの奮闘が描かれていることだ。斎藤瞳の作品には柄本佑の行城、王子千晴の作品には尾野真千子の有科というプロデューサーがそれぞれいて、陰に陽に監督を支える。ふたりのプロデューサーぶりが対照的で、同じく対照的なふたりの監督とともに、四輪となって物語を進めていく。
 監督ふたりの演技もよかったのだが、プロデューサーふたりの演技が更によかった。そのおかげで、単なるお仕事ドラマ以上の立体的な作品になっている。特に有科プロデューサーを演じた尾野真千子の演技は完全に主役を凌駕していて、実は有科プロデューサーが主人公だといってもおかしくないほど圧巻の演技だった。

 本作品によって日本のアニメーターの実情が広く知られて、その立場が向上することを陰ながら願う。

映画「大河への道」

2022年05月21日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「大河への道」を観た。
映画『大河への道』公式サイト | 大ヒット上映中!

映画『大河への道』公式サイト | 大ヒット上映中!

中井貴一、松山ケンイチ、北川景子 原作:立川志の輔 とある“大河ドラマ”の開発チームが発見してしまった、200年前の驚きの秘密とは・・・笑って泣けて、そして日本史の常...

映画『大河への道』公式サイト | 大ヒット上映中!

 いかにも落語が元になった話らしく、笑いと涙の人情物語である。

 中井貴一はコメディアンぶりを存分に発揮しつつ、堂々たる主役を王道に演じている。流石である。松山ケンイチが珍しくおふざけのトリックスターを演じていて、中井貴一の周りをかき回す。こういう役もできるんだと感心した。北川景子はいつもの美人役だが、ちょっと斜に構えていると思いきや、生真面目に役割を引き受けたりする。才女で美人で思いやりがある。与謝野鉄幹の歌「人を恋うる歌」を思い出した。

 千里の道も一歩から。日本列島の海岸線をすべて描き出すという壮大な計画も、日々の細かい作業の積み重ねである。集中力と根気のいる大変な作業であり、それを何年も続ける訳だから、志を持続させる精神力は驚嘆に値する。
 そういった作業をひとりではなく、集団で行なうのだから、気持ちをひとつにする必要がある。仲間をまとめあげた伊能忠敬の指導力の凄さが窺える話だ。波乱万丈の人生を歩んできた忠敬だからこそ出来たのだろうと思う。そして忠敬の死後も、集団の意志のエネルギーは衰えることがなく、機関車のように力強く目的地に向かう。もはや誰も止めることができない。

 本作品を見れば、伊能忠敬をまったく知らなかった人も、その偉業がどれほど凄いものであるかを理解できる。そういうふうに作られた作品なのだ。現代のシーンでは伊能忠敬についての客観的な情報を提示し、当時の場面では測量と書き出しの苦労を描き出す。この両輪で伊能忠敬という人物が立体的に浮かび上がるという寸法だ。
 落語は語りと身振り手振りだけで話をするが、上手な落語では客は話の内容を微に入り細に入り理解することができる。まさに本作品は、映画の形式をとった落語であり、中井貴一が作りたかった作品がそのまま実を結んだように思う。見事なエンタテインメントだ。

映画「生きててよかった」

2022年05月20日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「生きててよかった」を観た。
絶賛公開中!映画『生きててよかった』公式サイト

絶賛公開中!映画『生きててよかった』公式サイト

絶賛公開中!映画『生きててよかった』公式サイト。嘲笑え、闘いに魂を食い尽くされた男の姿を。落ちぶれた元ボクサーが最強に!?ドニー・イェンが認めた本場中国からの逆...

絶賛公開中!映画『生きててよかった』公式サイト

 ロバート・デ・ニーロとクリストファー・ウォーケンが主演した映画「ディア・ハンター」を連想した。あちらは戦争とロシアン・ルーレットで、こちらは格闘技という違いはあるが、いずれも命のやり取りをしていなければ、生きている実感を感じないという話だ。
 地下格闘技には、ルールの沢山ある表の格闘技では得られないカタルシスがある。悪意のこもった鬱憤を晴らすことができるのだ。コロッセオでの格闘に等しい。その後キリスト教が布教するに従って残酷な格闘技は禁止されたが、他人と命がけで戦う恐れ知らずの男たちと、戦いを見るのを楽しむ観客の構図は、世界中で連綿と続いている。

 脇役陣の中には知っている俳優が何人かいたが、主役の創太と幸子の役者は初めて見た。創太役の木幡竜は、体脂肪率が5%ないだろうと思えるほど絞り込んだ身体をしている。たいしたものだが、日焼けサロンで焼いたみたいな肌の黒さは、ちょっと不自然だった。表情に乏しいのは戦うことしか頭にないからで、この演技は悪くない。不器用を絵に描いたような男だが、その分誠実さは人一倍だ。幸子はその誠実さを愛したのだろう。

 幸子役の鎌滝恵利は、すごく綺麗に見えるときとちょっとブスに見えるときがあって、それはいい女優に共通する特徴だ。泣くシーンがよかった。泣くのは複数の感情が胸に迫るからで、悲しさと寂しさに愛しさが加わったときなど、人は無防備な表情で泣く。泣くときに顔が歪むのはわざと泣いているか、邪な感情が加わっているかである。ハラハラと泣けるかどうかで、その時点のその女優の力量がわかる。鎌滝恵利はなかなかいい表情で泣いていた。

 誠実な男がその誠実さ故に野獣のように戦う。自分にできることは戦うことだけだ。ならば戦って、女の愛に応える。しかし愛に飢えた女は愛を与えてくれることを求める。女に必要なのは継続する日常であって、命がけの戦いではない。すれ違う愛に、安全無事な結末はない。ラストはあれでいいと思う。創太は思う存分、生きたのだ。

映画「Vanishing」(邦題「バニシング 未解決事件」)

2022年05月20日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「Vanishing」(邦題「バニシング 未解決事件」)を観た。
映画『バニシング:未解決事件』公式サイト

映画『バニシング:未解決事件』公式サイト

映画『バニシング:未解決事件』公式サイトです。5月13日(金)よりシネマート新宿、シネマート心斎橋ほか全国公開

映画『バニシング:未解決事件』公式サイト

 本作品のオルガ・キュリレンコは、映画「Les traducteurs」(邦題「9人の翻訳家 囚われたベストセラー」)のときのバッチリメイクと打って変わって、薄化粧で登場する。とはいえ、相当の美人であることに変わりはない。ウクライナ出身で、ウクライナ語とロシア語の他に、フランス語と英語とスペイン語とイタリア語が喋れる。
 韓国映画だが、シーンの多くが英語とフランス語で進められる。言語が違うと、ソウルの街が違って見えるのが不思議だ。ハングルの喧騒がエキゾチズムに変化するようである。

 原題は英語のVanishing(失踪)で、大人でも子供でも誘拐して臓器を取り出して売買を行なう秘密組織があるという設定になっている。臓器の提供を受けるのは一部の金持ちや支配層だ。主人公の警察官は、オルガ・キュリレンコ演じる医師から失踪者が殺された目的を告げられ、秘密組織に迫ろうとする。このあたりのシーンはスピード感があって、興味深く鑑賞できた。面白い作品だと思う。

 医学が臓器移植という神をも恐れぬ禁断の所業を発明したのと時を同じくして、臓器売買がはじまったのではないかと、推測している。そして日本でも臓器売買は実際に行なわれているのではないかと当方は疑っている。警察庁発表のデータによると日本の行方不明者は次のようである。
 行方不明者の数 年間80,000人
 9歳以下の数 年間1,200人
 10代の数 年間16,000人
 誘拐事件 年間300件(300人)
 内20歳未満 年間200件(200人)

 大人の行方不明は個人的な事情だとして、9歳以下の子供が個人的な事情で失踪する可能性は少ない。1,200人の内の2/3が事故だとしても、残り400人の行方不明の原因がわからない。20歳未満の誘拐が全部9歳以下だとしても、残り200人は行方不明だが、誘拐事件として立件されていないということになる。
 誘拐犯から脅迫の電話がかかってきても、無視する親はいると思う。テレビドラマでは半狂乱になる親のシーンばかりだが、そうでない親もいるに違いない。「え?誘拐?うちの子を? あ、そう。それで? 何言ってんだお前、金なんかあるかバカ!」と電話を切ってしまうのだ。そして保護者の義務として行方不明届だけは提出する。見えない誘拐事件だ。
 行方不明の子供のほとんどが当日中に保護者のもとに戻ったとしても、確率論的に言えば、戻らないままの子供もいると思う。そこで疑われるのが、臓器売買のためにさらわれた可能性だ。
 臓器移植には相性の問題があるから、同じ日本人の臓器を望む人もいるだろう。コイズミからアベシンゾウに至る自公政権で日本はとことん腐敗したから、貧困ビジネスを営むように臓器売買を営む悪人が出現していてもおかしくない。

 本作は臓器売買という悪行が実際に横行していることを知らせるとともに、臓器移植の是非について改めて問題を提起したという点で、サスペンス以上の価値があると思う。悪くなかった。

映画「流浪の月」

2022年05月17日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「流浪の月」を観た。
映画『流浪の月』 公式サイト

映画『流浪の月』 公式サイト

本屋大賞受賞の傑作小説×監督:李相日が贈る、ある「愛」のかたち。 - 5月13日(金) 全国ロードショー

映画『流浪の月』 公式サイト

 テーマは「居場所」だと思う。本作品の台詞で言えば「逃げる場所」となるのだろうか。逃げる人がいれば、逃げられる人がいる。逃げられる人は、次は逃げない人、逃げる場所のない人をターゲットにしようとする。そうして亮くんは更紗を選び、更紗はそうと知らずに亮くんと付き合う。

 逃げる人が心を許せるのは、自分と同じ逃げる人だ。更紗は文を心の拠り所とし、文は更紗を受け入れる。「居場所」は土地ではなく、一緒にいる人にあったのだ。大人になった更紗は、漸くそれに気づく。文が子供時代の自分の居場所になってくれたように、これからは自分が文の居場所になる。多分、文も再び自分の居場所になってくれるだろう。どこに行っても、ふたりで同じ月が見られれば、それでいい。

 とても美しい物語だった。