三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「劇場版TOKYOMER 走る緊急救命室」

2023年04月30日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「劇場版TOKYOMER 走る緊急救命室」を観た。
劇場版『TOKYO MER~走る緊急救命室~』

劇場版『TOKYO MER~走る緊急救命室~』

TBS日曜劇場で放送された『TOKYO MER~走る緊急救命室~』が待望の映画化!大ヒット上映中!

劇場版『TOKYO MER~走る緊急救命室~』

 面白かったし、感動する場面もたくさんあった。ドラマシリーズも全部観たし、本作品の公開に先駆けて4月16日に放送された「隅田川ミッション」も観た。それでも飽きることはない。生きるか死ぬかの瀬戸際で冷静に医療を施すプロフェッショナルたちの話だから、臨場感はあるし、緊張と弛緩の間で必ず感情が揺さぶられるという構図になっている。

 鈴木亮平がいい。演じた喜多見チーフは、難しいことは考えず、善悪の判断もしない。ただ救える命を救うだけだ。そんなひたむきさな姿勢に敲たれる。喜多見チーフの信念にチームの全員が共感しているところも感動要素のひとつだと思う。多くの危機を乗り越えた大団円は、ホッとするとともに、爽やかな鑑賞感がある。

 本作品のシーンの殆どはランドマークタワー内部を模したセットで撮影されていると思われるが、CGを含めて、なかなかリアリティがあった。邦画のVFX技術の向上は喜ばしいことだ。それほど深い世界観の物語ではないが、エンタテインメントとしては優秀な作品である。

映画「search/#サーチ2」

2023年04月26日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「search/#サーチ2」を観た。
映画『search/#サーチ2』 オフィシャルサイト | ソニー・ピクチャーズ

映画『search/#サーチ2』 オフィシャルサイト | ソニー・ピクチャーズ

『search/サーチ』シリーズ、待望の第2弾! デジタルプラットフォームを通じて展開する一級のサスペンス・スリラー

映画『search/#サーチ2』 オフィシャルサイト | ソニー・ピクチャーズ

 阿佐田哲也の麻雀小説の中で、ベテラン雀士がバイニンについて教える台詞がある。「不器用だな、下手だなと思わせる打ち手に注意しろ。そいつはバイニンだ」という台詞だ。牌の扱いが下手に見せたり、間違って捨てたとぼやいてみせたりすることで、注目を外すのが目的である。牌を覚束ない手付きで積んでいる様子を見て、誰も積み込みをしているとは思わない。しかし親になって配牌を揃えた瞬間、素っ頓狂な声を上げて「捨てる牌がないぞ」と騒ぎ出す。天和だ。
 コンマン(詐欺師)についても、同じことが言える気がする。柔和で優しそうで控えめで腰が低い人。話し方が流暢ではなく、訥々と語る人。誰もが信用できそうな人だと思い込む。詐欺師は警戒させないように、そんなふうな態度を取る。

 本作品は5年前の同タイトルの作品とは一線を画していて、SNSで他人にどう思われたいかという点には重点が置かれていない。監督も脚本も違うから、当然と言えば当然だ。5年前の作品の主人公は暴力的で反省のない父親だったが、本作品は割とニュートラルな考え方をする18歳の娘である。プロットもよく出来ていて、誰を信用していいのかが二転三転する展開に、主人公ともども翻弄される。驚きがたくさんある楽しい作品だ。
 もちろん同タイトルだから、ネットサーチのシーンがとても多い。画面のそこかしこを注視する必要があるから、字幕を追いきれなくなる人もいるかもしれない。キーワードは直感だ。
 ネットサーチでもっとも重要な点は、直感である。調べながら、何かおかしいとか、何かあるぞと感じるのが重要で、検索が上手な人は直感に優れた人である。本作品のジューンの直感は大したもので、ネットから得られる画像、動画、言葉を見ながら、直感によって真相に近づいていく。盛り上がる展開だ。

 コロンビアと言えば、メデジン・カルテルをはじめとする麻薬の密売組織が真っ先に思い浮かぶ。Googleで「コロンビア」のあとにスペースを入力すると「危険」と出てくる。あまり行きたい国ではないが、それなりに観光スポットはあるのだろう。
 本作品に登場するコロンビア警察を見ると、拳銃ではなくて突撃銃を持っている。ほとんど軍隊だ。それだけ危険な地域であることは間違いない。ジューンの母親はどうしてこんな国に旅行に行ったのか。その理由は、真相とともに明らかになっていく。よく出来たエンタテインメント映画だ。

映画「ヴィレッジ」

2023年04月23日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ヴィレッジ」を観た。
映画『ヴィレッジ』公式サイト|大ヒット上映中

映画『ヴィレッジ』公式サイト|大ヒット上映中

主演:横浜流星 × 監督:藤井道人 × 制作:スターサンズ。現代日本の縮図を描いた、異色のサスペンス・エンタテインメント!

 綾野剛と佐藤浩市がダブル主演した瀬々敬久監督の「楽園」に似た作品だ。同じように「ムラ社会」を扱っている。「楽園」が余所者が主人公だったのに対して、本作品はムラで生まれ育ったユウが主人公である。必然的に前者はムラから排斥され、後者はムラに取り込まれる。
 瀬々監督が主人公を愛情とシンパシーで作り上げるのに対して、藤井道人監督は、主人公でさえも徹底的に突き放すことがある。本作品のユウもミサキも例外ではない。

 藤井監督の作品はこれまで「デイアンドナイト」「新聞記者」「宇宙でいちばんあかるい屋根」「ヤクザと家族 The Family」「余命10年」などを鑑賞した。主人公の気持ちに寄り添った優しい作品と、登場人物の全員を突き放したような冷徹な作品とに分かれる気がする。藤井監督なりに、自分自身の精神バランスを取っているのかもしれない。本作品は冷徹な方の作品だ。

 共同体は弱い人間に冷たい。大抵の共同体では、道理が引っ込んで無理が通っている。力のある者、カネのある者が強く、カネも力もない人間は、一方的に搾取される。それが嫌ならどこかで立ち上がるか、共同体を去って他の共同体で生きるしかない。
 最悪なのは、立ち上がりも立ち去りもせず、強い者、カネのある者に取り入って、同じ側に立ってしまうことだ。弱い人間が弱いなりに生きている間はまだ救いがあったかもしれない。しかしカネのために魂を売った途端に、これまで自分を虐めてきた人間の側に立ってしまう。救いはない。
 勇気を出すなら、ずっと前に出すべきだった。しかしそんなことは傍から見ている人間の勝手な言い草だ。共同体の中にいる間は、強い者に逆らえない。そういう理不尽が、世界中の共同体で歴史的に蔓延ってきたのだ。弱い人間は打ちのめされて、失意のうちに死んでいく。

 しかし最近は不条理でない共同体や組織も増えてきた。または理不尽なところがあれば是正しようとする傾向も増えてきたと思う。与党の政治家は相変わらず利権政治で強い者の味方だが、民間企業や地方公共団体の中には、弱い人間でも生きていけるところがある。ブラック企業やブラックな共同体やブラックな部活、ブラックな学校からは早く逃げて、ブラックでない場所に行くのがいい。逃げるのは決して恥ではない。
 逃げ遅れると、本作品のような不幸が待っている。ユウがいみじくも「ゴミ」と言ったような人間が統治する共同体は、自浄作用がなく、遅かれ早かれ破綻する。日本という国家もその例外ではないかもしれない。

映画「Les passagers de la nuit」(邦題「午前4時にパリの夜は明ける」

2023年04月23日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「Les passagers de la nuit」(邦題「午前4時にパリの夜は明ける」を観た。
映画『午前4時にパリの夜は明ける』公式サイト

映画『午前4時にパリの夜は明ける』公式サイト

映画『午前4時にパリの夜は明ける』公式サイト

 パリでのシングルマザーの生活は不安で一杯だ。経済的な問題もある。しかし一方では子供たちが与えてくれる喜びや幸せがある。エリザベートはいい娘と息子を持った。フランス映画らしく、互いの人格を尊重して、パターナリズムは登場しない。実存主義的に価値観が相対化されているから、違法行為を除いて、どんな生き方も否定されることはない。ニュートラルな親子関係が心地いい。
 教師も同様で、社会のパラダイムにとらわれることなく、学生の本音を引き出して、将来を考えてくれる。インターネットがない時代は、家族のコミュニケーションが濃かったようで、人は互いによく話し合う。

 現在の日本では、直接話すよりもネットで連絡を取ることのほうが多い。仕事なら言った言わないの問題もあるから、ネットの文章で連絡を取るのが確実だ。後で見直しもできる。しかし突っ込んだ話をするとき、ノンバーバルコミュニケーションが使えないネットの文章はどうにも不十分だ。コロナ禍でZoomやGoogle meatなどのヴァーチャルコミュニケーションツールが使われたのは当然のことである。

 本作品は人が生きていくための場所に焦点が当てられる。エリザベートにとって自分の家は、夫がいなくなった場所であり、娘と息子と喜びや悲しみを分かち合う場所である。いくあてのないタルラにとってはシェルターだ。娘や息子にとってはいつか出て行く場所だろう。
 ラジオ局はエリザベートのもうひとつの居場所である。本作品の原題「Les passagers de la nuit」は直訳すると「夜の乗客たち」となって、ラジオ番組に電話してくるリスナーのことを指していると思われる。パリのあちらこちらに、眠れない夜を過ごす孤独な魂が散在していて、ラジオ局に電話をかけてきては、身の上話をする。
 日本のラジオと決定的に違うのは、自分を飾らず、正直に語ろうとするところだ。虚心坦懐な話ができるのも、ラジオならではだろう。聞き手は一切のバイアスなしで素直に「乗客たち」の話を聞く。
 ラジオから流れてくる、どこかの誰かの本音。会話には文章と違うダイナミズムがある。リスナーたちは違和感を覚えることもあるが、共感することも多いだろう。孤独な夜に、ラジオを通じて世界と繋がるような気持ちになるに違いない。いい作品だった。

映画「ベネシアフレニア」

2023年04月23日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ベネシアフレニア」を観た。
映画『べネシアフレニア』公式サイト|4月21日(金)公開

映画『べネシアフレニア』公式サイト|4月21日(金)公開

映画『べネシアフレニア』公式サイト|4月21日(金)公開

https://klockworx-v.com/veneciafrenia/

「中国の旅」や「殺される側の論理」などの著作で有名な、朝日新聞の編集委員だった本多勝一が「観光に来られる側の論理」という小文を発表したのを何処かで読んだ記憶がある。内容は忘れてしまったが、身勝手な観光客によって地域が汚されたり、生活が乱されたり、または地域の中で軋轢が生まれたり、あるいは観光に特化したあとで飽きられて、ゴーストタウンになってしまったりする実情を紹介していたと思う。

 本作品には、観光に来られる側の論理を極端に主張するデモ集団が映し出される。観光客は地域に利益をもたらすが、同時に迷惑もかけてくる。文化の違う人々が来るのだから、地元は工夫して対処しなければならないのに、単に怒りをぶつけようとするのは、幼稚な精神性だ。
 その幼稚性を象徴するかのようなテロリストが登場する。ピエロ姿のゴツい男で、軽々とした身のこなしには登場人物でなくても威圧感や恐怖を覚えるだろう。この男がなにより恐ろしいのは、殺人に対する禁忌の感情がないことだ。殺す行為に何の躊躇いもない。

 スペイン人観光客の馬鹿騒ぎには地元民でなくても眉を顰めたくなるが、現実の観光地では商売と割り切って対応していると思う。迷惑だからと観光客を排除したら、観光地の経済は成り立たない。
 しかし最近の国際報道では、異邦人を排除しようとする動きが見られる。本作品で見られるような復讐への傾倒だ。そこには自分を守ろうとする意思がない。自分は死んでも傷ついてもいいから、とにかく相手を酷い目に遭わせたい、あるいは殺してしまいたいという自暴自棄な感情だけがある。争いに対するブレーキを喪失した精神性だ。本作品のピエロと同じである。

 本作品はホラー作品として荒唐無稽に思えるが、案外現実をなぞっているところもある。今後、世界中に被害妄想が蔓延して、多くの人々が異邦人に復讐を果たそうと強い怒りを覚えたら、どうなるのか。武器と兵器と原発が溢れている世界だ。空恐ろしい事態になることは間違いないが、現実は既にそうなりつつあるのかもしれない。

映画「世界の終わりから」

2023年04月19日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「世界の終わりから」を観た。
映画『世界の終わりから』公式サイト

映画『世界の終わりから』公式サイト

映画『世界の終わりから』公式サイト

 村上春樹の小説「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を思い出した。タイトルの一部が共通しているだけでなく、作品としての味わいに似たところがある。村上春樹はその一冊しか読んでいないので、村上春樹と紀里谷和明監督の共通点については何も言えない。
 
 すべての世界は結局は主観である。世界を感じるのは肉体の五感を通じてであり、感覚を他人と完全に共有することは出来ない。自分の世界が他人の世界と一致することはあり得ないのだ。自分と他人とは、違う世界を生きていると言っていい。人と人とが完全には相容れない理由がそこにある。
 
 不幸な境遇、不遇な日常という人生が続いたら、誰でも世界を恨むだろう。社会や他人の価値観に押しつぶされて、自分など価値のない人間だと思ってしまう。しかしそうではないというのが、本作品の世界観だと思う。
 ゴータマは生まれてすぐに七歩歩いて「天上天下唯我独尊」と言ったとされている。仏教では違った解釈があるかもしれないが、当方の解釈は、誰でも生きているだけでその人格は尊重されなければならないという意味だと思っている。
 
 ヒロインのシモンハナにはこの世界がどのように見えているのか。本作品には、ハナから見た世界をデフォルメして表現している側面もある。その世界は悪意と暴力に満ちている。権力者は人権を守ろうなどとは思っていないし、優しさは嗤いの的になる。底の浅い世界観がパラダイムとなってネットを駆け巡る。今だけ、カネだけ、自分だけ。
 紀里谷監督の深い絶望から生み出された作品だが、絶望一辺倒ではない。現在までの人類は愚かしい歴史を刻んできたが、未来のどこかでは、愚かしさから脱却して優しさを獲得する時が来るかもしれないという、淡い希望がある。
 途中、夏木マリの老婆の台詞が説明的すぎると思ったが、北村一輝の無限がそれを根底から打ち消す台詞を言う。このバランス感覚が、紀里谷監督の世界観の深さなのだろう。善も悪も均等に掘り下げていく。最後は繋がっているのかもしれない。
 
 主演の伊東蒼はとてもよかった。ハナの役は物語を現実に引き戻して御伽噺にしない強さを持っていた。脇役陣もなべて好演。登場人物の言葉がよく心に響いてくる。それぞれの台詞の意味を考えながら鑑賞していると、スクリーンから片時も目が離せなくなり、あっという間に終映となった。秀作だと思う。

映画「幻滅」

2023年04月16日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「幻滅」を観た。

映画『幻滅』公式サイト

映画『幻滅』公式サイト

映画『幻滅』公式サイト

 

 フランスの貴族の名前には、姓と名の間にde(ド)が入る。本作品のヒロインを演じたセシル・ド・フランスもそうだし、フランス大統領だったシャルル・ド・ゴールやヴァレリー・ジスカール・デスタンもそうだ。ジスカール・デスタンの場合は分かりにくいが、Giscard d'Estaingとフランス語のスペルにすると一目瞭然である。そういえばサルトルの相方だったシモーヌ・ド・ボーヴォワールもde(ド)が入っている。
 本作品の主人公である貧しい薬屋の息子リュシアンも、貴族の出身である母方の名前「ド・リュバンプレ」を名乗りたがる。文学青年なのに既存の価値観である貴族の称号にすがろうとする浅ましい精神性から、既に将来的な破綻が目に見えている。権威に対してニュートラルな立ち位置でなければならないはずの文学者が権威にへつらおうとするのは見苦しい。このシニカルな視点は現在のフランス人に通じている。一方でリュシアンが縋ろうとするエスタブリッシュメントは、立場の維持と保身に余念がない。それはナチスに占領されたときのフランスの支配階級の態度とそっくりだ。歴史は繰り返す。

 ちなみに本作品の原作者のオノレ・ド・バルザックのde(ド)は、どうやら後付けのようで、貴族のふりをするというバルザック一流のおふざけであるらしい。バルザックの作品はその筆名のように世の中に対して斜に構えたところがある。そもそも自分の作品群に「人間喜劇」という名称をつけたくらいだ。執筆した悲劇の数々は、バルザックにとっては喜劇に映っていたのだろう。

「人間喜劇」の作品群のひとつである「谷間の百合」には、有名な「C'est La Vie」という台詞が登場する。大抵は「これが人生なのです」と大袈裟に翻訳されているが、英語の「So it goes」と同じで、割と日常的に使われる言葉だ。だから「こんなもんさ」とか「仕方ない」といった軽い感じの翻訳がむしろバルザックの台詞らしいと思う。「人間喜劇」の作品群には「C'est La Vie」という皮肉な諦観の世界観が通底している。

 翻って現代の世界を顧みると、本作品と少しも変わらない喜劇が繰り広げられているのを目の当たりにする。それは我々の日常から、政治のステージにまで及んでいる。ロシアのプーチン、中国の習近平、北朝鮮の金正恩、日本の岸田文雄、菅義偉、アベシンゾーなどの政治家は人権を蹂躙して憚らない。その本質はISISやタリバンと少しも変わるところがない。しかしそれらが民衆に支持されているのも事実だ。バルザックの小説よりももっとずっと愚かしい喜劇が、現在の世界の現実なのである。C'est La Vie。


映画「サイド バイ サイド 隣にいる人」

2023年04月16日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「サイド バイ サイド 隣にいる人」を観た。
映画『サイド バイ サイド 隣にいる人』 | 大ヒット上映中

映画『サイド バイ サイド 隣にいる人』 | 大ヒット上映中

4月14日(金)TOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開。 映画『サイド バイ サイド 隣にいる人』 出演:坂口健太郎、齋藤飛鳥、市川実日子、浅香航大 ほか

映画『サイド バイ サイド 隣にいる人』 | 大ヒット上映中

 失礼だが雰囲気だけの映画で、哲学や世界観に欠けている気がした。登場人物たちの葛藤が伝わってこないのだ。こういう世界があってもいいよねとでも言いたげな、御伽噺みたいな作品である。
 坂口健太郎の演技が上手すぎて、その特殊な能力についての謎解きがあるに違いないと思わせるが、物語は四方八方に散らかったままだ。
 感性で製作したと言われればそれまでで、当方には理解する感性がなかったということになる。登場人物に感情移入したりストーリーを楽しんだりする作品ではなく、緩やかに流れる時間の中で、ただ善人たちの微視的な精神性を肯定するだけだ。
 絵画で言えば抽象画で、凡人の当方には合わず、襲いかかる睡魔と戦いながらの鑑賞だった。しかし、観終えると晴れやかな気分になったのが不思議だ。もしかすると、そのあたりに本作品の秘密があるのかもしれない。

映画「パリタクシー」

2023年04月16日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「パリタクシー」を観た。
映画『パリタクシー』公式サイト|2023年4月7日(金)公開

映画『パリタクシー』公式サイト|2023年4月7日(金)公開

フランス初登場新作No.1!不愛想なタクシー運転手が乗せたのは、終活に向かうマダム。彼女の依頼は人生を巡るパリ横断の“寄り道”だった―。

映画『パリタクシー』公式サイト|2023年4月7日(金)公開

 老いて矍鑠としているパリジェンヌの物語である。家を出てタクシーで老人ホームに向かう道すがら、パリのそこかしこに立ち寄り、そこで起きた出来事を運転手に語るのだが、その波瀾万丈の人生に驚く。
 前日にイランを舞台にした映画「Holy Spider」(邦題「聖地には蜘蛛が巣を張る」)を観たばかりで、1950年代のフランスの女性の立場は、現在のイランと同じようであったのだろうと想像がつく。権利が制限され、人格が蹂躙されている。
 しかしマダムは恨み言を語るのではなく、恋の思い出を楽しく話す。76年前のキスについて情熱的に表現できるところが素晴らしい。マダムにとっては昨日の出来事のように生々しい記憶なのだろう。
 米兵とキスしたかと思うと、老人ホームで人生を終えようとしている。あっという間だったと言う。死ぬときには自分の人生が走馬灯のように蘇るというが、本作品自体が、マダムにとっての走馬灯のような物語である。人生は悲惨だ。しかし人生は素晴らしい。マダムの自由な精神性に感動した。

映画「聖地には蜘蛛が巣を張る」

2023年04月16日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「聖地には蜘蛛が巣を張る」を観た。
映画『聖地には蜘蛛が巣を張る』公式サイト

映画『聖地には蜘蛛が巣を張る』公式サイト

北欧ミステリー『ボーター 二つの世界』の鬼才アリ・アッバシ監督が描く、聖地を揺るがず実在の殺人鬼“スパイダー・キラー”による16人娼婦連続殺人事件

映画『聖地には蜘蛛が巣を張る』公式サイト

 面白かった。リアリティがあり、緊迫感がある。歪んだ精神が集団に蔓延すると、腕力に乏しい女性にとって、恐ろしい社会になる。
 
 原題は英語で「Holy Spider」だ。内容からすると「Psycho Killer in sacred place」でもよさそうだが、検閲のあるイランが舞台だから、様々な忖度が働いてのタイトルかもしれない。邦題はもっと踏み込んで「聖地の殺人鬼」としたほうがインパクトがあった気もするが、こちらも何らかの忖度が働いたのかもしれない。この作品自体の危なっかしい立ち位置が伺える。
 
 描かれたイランの聖地マシュハドの状況は、かなり酷い。イスラム法が民主主義を蹴散らして、人権を侵害している。特に女性に対する差別や偏見は著しく、ホテルマンでさえも客の女性に対してイスラム原理主義を強制しようとする。
 実際のイランの状況がこれほど酷いかどうかは不明だが、イランの首都テヘランで2022年に、ヒジャブの被り方が不適切だとして道徳警察に女性が殺された事件があった。権力がイスラム原理主義で国民を殺す国だというのは間違いない。つい最近では、マシュハドの近くの食料品店でヒジャブを外した女性に、並んでいた男がヨーグルトをかけて逮捕された事件があった。
 イスラムの掟を守らなければならないという画一的なパラダイムが共同体を席巻しているのは、日本の戦前における非国民のパラダイムと同じだ。多様性を許さない共同体は集団的ヒステリーに支配されていると言っていい。恐怖の地域である。
 
 本作品のラヒミには、ジャーナリストの矜持がある。ヒューマニズムに基づいた矜持だ。人間は生まれながらにして、その生命、身体、人格は尊重されなければならない。売春婦は屑だ、殺してもいいのだという考え方は、異常である。しかしそれを異常だと思わないパラダイムがある。一方的な考え方で他人の人格を一刀両断してしまう横暴な思想だ。
 マシュハドの異常さは必ずしも特別ではない。イスラム原理主義に限らず、共同体に支配的なパラダイムに依拠して他人の人権や人格を蹂躙しようとする精神性は世界中に蔓延している。貧しい人や障害者などは、常に差別を受けていると言っても過言ではない。差別しているのは誰か。我々も例外ではないのだ。日本がマシュハドのようになる日も遠くないだろう。