全自動洗濯乾燥機が壊れてしまいました。20世紀の遺物で、もはや修理もままなりません。大きさが小さくて重宝していましたが、逆にその小ささが仇となって、我が家は問題を抱えることになりました。
マンションに最初から備え付けの洗濯乾燥機で、その大きさに合わせて洗面台のあるカウンターが作られており、カウンターの下にちょうど入る大きさだったのです。その大きさの洗濯乾燥機は、どのメーカーも製造しておらず、200ミリくらい高さが高いものばかりです。その高さのものはカウンターの下には入りません。かといってリビングや寝室に置くのも、給水と排水の関係から、難しい。となるとカウンターを工事するしかありません。洗面台ごと200ミリ程度上に上げる工事です。
暮れの忙しい時期にそんな工事を請け負ってくれる内装業者はどこにもおらず、細い伝手をたどっても、年明けに見に来てくれるのが関の山です。
そうこうしているうちに洗濯物がどんどんたまってしまい、結局は風呂場で手洗いするしかありません。これが結構しんどくて、洗うのはいいのですが、絞るのが大変。絞らないとすすぎができないし、干すのも大変です。昔の人は手で洗濯していたわけで、本当に大変だったのだなと思いました。
というわけで、年明けには洗面台を工事して、新型の洗濯乾燥機を購入、設置する予定ですが、それまでの1ヶ月か2ヶ月はかなりしんどい洗濯生活をする羽目になりそうです。
普段は洗濯乾燥機のことをあまり意識せずに使っていましたが、壊れるとこれほど困るということは、洗濯乾燥機に相当依存する生活をしていたという訳で、考えてみれば我々は家電に依存しながら生きていると言っても過言ではありません。朝はデジタルの目覚まし時計で目を覚まし、電灯をつけ、携帯電話のメールをチェックしながらテレビを点けます。寒い朝はエアコンのスイッチを入れて、冷蔵庫から取り出した食事を電子レンジで温め、電気ポットのお湯でコーヒーを飲みます。歯を磨くのは電動歯ブラシで、髭をそるのは電気カミソリ。給湯器のスイッチを入れてシャワーを浴び、パソコンで天気予報を確認します。布団乾燥機をセットして乾燥した後、掃除機でダニを吸い込み、床にも掃除機をかけつつ、洗濯乾燥機に洗濯物を放り込みます。掃除が終わると空気清浄機で部屋の空気をきれいにします。トイレは電動のシャワートイレです。
ひとつひとつ挙げてみると、なんだかんだ言いつつ家電がないと生きていけない生活になってしまっているのが現実です。確かに便利だし時間の節約になります。しかし何のための節約なのか、節約した時間が有効に使われているのかを考えるとき、なんだか疑問が残ります。
家電に依存する便利な生活は、そうでない生活に比べて幸せなのか。便利になることが幸せなら、現代人は江戸時代の人に比べてずいぶん幸せなはずです。しかしそれほどでもないように感じますよね。
もしかしたら、これからは「脱原発」と呼応して「脱家電依存生活」がトレンドになるかもしれません。