三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

私たちの家電依存度は?

2015年12月23日 | 日記・エッセイ・コラム

全自動洗濯乾燥機が壊れてしまいました。20世紀の遺物で、もはや修理もままなりません。大きさが小さくて重宝していましたが、逆にその小ささが仇となって、我が家は問題を抱えることになりました。
マンションに最初から備え付けの洗濯乾燥機で、その大きさに合わせて洗面台のあるカウンターが作られており、カウンターの下にちょうど入る大きさだったのです。その大きさの洗濯乾燥機は、どのメーカーも製造しておらず、200ミリくらい高さが高いものばかりです。その高さのものはカウンターの下には入りません。かといってリビングや寝室に置くのも、給水と排水の関係から、難しい。となるとカウンターを工事するしかありません。洗面台ごと200ミリ程度上に上げる工事です。
暮れの忙しい時期にそんな工事を請け負ってくれる内装業者はどこにもおらず、細い伝手をたどっても、年明けに見に来てくれるのが関の山です。
そうこうしているうちに洗濯物がどんどんたまってしまい、結局は風呂場で手洗いするしかありません。これが結構しんどくて、洗うのはいいのですが、絞るのが大変。絞らないとすすぎができないし、干すのも大変です。昔の人は手で洗濯していたわけで、本当に大変だったのだなと思いました。
というわけで、年明けには洗面台を工事して、新型の洗濯乾燥機を購入、設置する予定ですが、それまでの1ヶ月か2ヶ月はかなりしんどい洗濯生活をする羽目になりそうです。

普段は洗濯乾燥機のことをあまり意識せずに使っていましたが、壊れるとこれほど困るということは、洗濯乾燥機に相当依存する生活をしていたという訳で、考えてみれば我々は家電に依存しながら生きていると言っても過言ではありません。朝はデジタルの目覚まし時計で目を覚まし、電灯をつけ、携帯電話のメールをチェックしながらテレビを点けます。寒い朝はエアコンのスイッチを入れて、冷蔵庫から取り出した食事を電子レンジで温め、電気ポットのお湯でコーヒーを飲みます。歯を磨くのは電動歯ブラシで、髭をそるのは電気カミソリ。給湯器のスイッチを入れてシャワーを浴び、パソコンで天気予報を確認します。布団乾燥機をセットして乾燥した後、掃除機でダニを吸い込み、床にも掃除機をかけつつ、洗濯乾燥機に洗濯物を放り込みます。掃除が終わると空気清浄機で部屋の空気をきれいにします。トイレは電動のシャワートイレです。

ひとつひとつ挙げてみると、なんだかんだ言いつつ家電がないと生きていけない生活になってしまっているのが現実です。確かに便利だし時間の節約になります。しかし何のための節約なのか、節約した時間が有効に使われているのかを考えるとき、なんだか疑問が残ります。
家電に依存する便利な生活は、そうでない生活に比べて幸せなのか。便利になることが幸せなら、現代人は江戸時代の人に比べてずいぶん幸せなはずです。しかしそれほどでもないように感じますよね。 
もしかしたら、これからは「脱原発」と呼応して「脱家電依存生活」がトレンドになるかもしれません。 


映画「海難1890」

2015年12月13日 | 映画・舞台・コンサート

映画「海難1890」を見ました。すばらしい映画だと思います。
内野聖陽さん演じる日本の医者が、遭難したトルコ人士官に対して言う「守りたいのは、この村の真心だ」という言葉に、この映画のテーマが集約されています。
ネタバレになりますが、明治天皇に謁見した後、祖国トルコに帰還する船が台風で座礁。600人以上の乗組員の大半は亡くなってしまいますが、浜に打ち上げられた人々もいて、それを発見した村人たちは自分たちの生活を犠牲にして彼らを助けます。船を守りきれなかった自分自身に対して憤り、生き残った部下や村人に八つ当たりをする士官。彼に対して村人の思いを伝えるのが先の言葉です。それはまさに、優れた外交官の言葉そのものです。

ところが大変残念なことに現地トルコで行なわれたプレミア上映会をエルドアン大統領とともに鑑賞したわれらが暗愚の宰相安倍晋三は、以下のコメントを発表して、スットコドッコイぶりを遺憾なく発揮してしまいました。
「1985年3月、トルコによる日本人救出の際、外務大臣であった父・安倍晋太郎の秘書官として、私はこの歴史的瞬間の話を耳に致しました。あの時の感動と感謝の気持ちは今でも忘れませんし、今、プレミア上映を一緒に拝見をさせて頂きまして、あの時の感動・感激が再びよみがえって参りました。日本とトルコの人々は熱く温かい気持ちを持ち、お互いを助け合う強い絆で結ばれています。日本とトルコは広いアジアを東西から支える2つの翼です。エルドアン大統領とともに手を取り合って、日本とトルコが作るその2つの翼をより強く大きく、羽ばたかせていきたいと思います」 
出典:http://www.kainan1890.jp/report/index.html 

政府の一員だったにもかかわらず、何もできずに本当に恥ずかしかったとでも言うならわかりますが、当時の自分たちの責任は棚上げにして、しかも「アジアを東西から支える2つの翼」などと、よく臆面もなく言えるものです。

あの時は派遣できなかった自衛隊機をこれからは派遣できますとでも言いたいのでしょうか。映画は、国と国との紛争はフセインのような暴力ではなく、外交的努力によって互いに分かり合うことが、遠いけれども一番確実な道なのだということを伝えています。誰が観てもわかることです。暗愚の宰相安倍以外は。

反省という言葉はアベの頭の中にはないんですね、多分。