映画「騙し絵の牙」を観た。
予告編を観ている方がいたら、一旦予告編の内容を忘れて鑑賞するのがいいと思う。そもそも殆どの映画の予告編は、本編の内容をバラバラにして繋ぎ合わせ、観客に観たいと思わせるように出来ている。予告編が一番面白かったなんてことはざらにある。本作品は珍しいことに予告編よりも本編のほうが面白いが、予告編に騙されると本編のよさが半減する。予告編そのものが騙しなのである。
大泉洋は相変わらず達者で、演じた編集者速水は、膨大な知識量とそこから生まれる沢山のアイデアに溢れているが、そのことを決して表に出さない。ある意味ストイックな男である。各シーンの速水の言葉をはじめ、登場人物の言葉の端々にその後の出来事を暗示する内容が含まれており、本作品は台詞のひとつひとつを聞き逃さないように注意深く鑑賞する必要がある。
洞察力。佐藤浩市演じる東松専務に欠けていて、意外にも松岡茉優の演じる新人編集者の高野に備わっているものだ。登場人物の殆どは善人で、善人らしく裏を読む洞察力に欠けていて、真実が見えない。商売人は自分が損しないために必ず裏を取る。手形の決済であれば相手方に裏書きをさせる。松岡茉優が演じた高野を本屋=商売人の娘にした設定がいい。
本作品では金の流れが見えない。癖のある経理担当者を登場させれば更に複雑な映画になって、より現実的になっただろうと思うが、あまり複雑になりすぎると観客がついてこれなくなる。本作品は複雑さが丁度いい度合いで、終盤になると観客はシーンを溯って速水が演じていた芝居の意味を理解する。なるほどあのシーンはこういう意味だったのか。
伊庭喜之助のイニシャルは大した意味を持っていないと思う。それよりも登場人物の中で東松専務だけが喫煙者であることと、機関車トーマツと陰で揶揄されていることに意味がある。蒸気機関車は煙を出す。もはや過去の遺物だ。社長室のデスクに座った東松の背広の後ろ姿が物悲しくて、佐藤浩市はやはり大した役者だと思った。
松岡茉優は他の作品の演技とあまり変わらない。演技はそこそこ上手だが、高野恵という女性の個性があまり見えてこなかった。木村佳乃は上手い。作品ごとにまったく違う木村佳乃が見られる。脇役陣では名人の國村隼と佐野史郎の存在感は言うことなし。小林聡美の演じる評論家が重要な役割を果たす。この人の演技も名人級だ。
脇役陣ががっしりと土台を固めて、その上で大泉洋を思い切り遊ばせた格好の作品である。吉田大八監督の演出の腕が光っていた。よく出来た作品で、多分何度観ても面白いと思う。