三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

レース回顧~菊花賞

2014年10月26日 | 競馬

菊花賞G1の結果

1着トーホウジャッカル ◎
2着サウンズオブアース ▲
3着ゴールドアクター  △

馬券は◎トーホウジャッカルを頭の3連単59,220円的中

直線でトーホウジャッカルが抜け出して内からサウンズオブアースが出てきたときは、1着2着は的中したと思いましたが、3着のゴールドアクタータガノグランパが迫ってきているのが見えてヒヤッとしました。何とか我慢してくれたお陰で的中しましたが、それにしても配当が思ったより低かった気がします。

ワンアンドオンリーは4コーナーではトーホウジャッカルと並んでいましたが、そこからの伸びがまったくなく、9着に終わってしまいました。名前のとおり、ダービーだけの馬だったのでしょうか。
トゥザワールドは最後は歩いてしまって、16着に惨敗。この馬はやはり距離が長かったと思います。優等生の競馬はしますが、決め手というか、底力に欠ける部分があるので、今後もG1では難しいでしょう。

勝ったトーホウジャッカルはレコードのおまけつき。確かに内で我慢して直線でぽっかり開いたところを楽々と抜け出したという展開の利はありましたが、並みの馬ではそこからレコード勝ちはできません。無事に行けば、来春の天皇賞もこの馬が中心になるでしょう。

2着のサウンズオブアースは更に内を狙ってきました。この馬が最も展開に恵まれた形です。3着のゴールドアクターは長距離の条件戦を連勝してからの挑戦でした。条件戦とはいえ、2着以下を突き放して勝っていて、ここでも力のあるところを見せました。

さて来週は天皇賞秋です。実力ナンバーワンのジェンティルドンナと3歳馬イスラボニータの争いに、毎日王冠3着のスピルバーグあたりが絡んでくる展開でしょうか。府中得意のデニムアンドルビーも侮れず、去年のジャパンカップみたいに牝馬の1着2着も十分考えられます。


菊花賞はトーホウジャッカル

2014年10月25日 | 競馬

菊花賞G1です。
先週の秋華賞ではインで我慢したショウナンパンドラが本命ヌーヴォレコルトの追撃を封じて勝利しました。今週も内枠の馬が活躍しそうです。中心はもちろん神戸新聞杯組です。

◎トーホウジャッカル
〇ワンアンドオンリー
▲サウンズオブアース
△ショウナンラグーン
△トゥザワールド
△ゴールドアクター

本命はトーホウジャッカル。神戸新聞杯では直線でかなりの不利がありながら立て直してタイム差なしの3着まで迫ってきています。菊花賞は直線で必ず内が開くので、道中をインの中段くらいで我慢できれば、トライアル同様の末脚で本番を制する可能性が高いと予想しました。
対抗はダービー馬のワンアンドオンリー。2冠達成は濃厚かと思っていましたが、神戸新聞杯で2着馬と3着馬に追い詰められたレースを改めて見てみると、それほど抜けた存在とは思えなくなりました。しかしダービー馬でもあり、前哨戦をキッチリ勝っていることもあって、対抗以下には落とせません。
単穴は神戸新聞杯でタイム差なしの2着だったサウンズオブアース。内枠の有利を生かせれば再び上位も可能です。
ダービーで最速の上がりを記録したショウナンラグーン、実力馬のトゥザワールド、条件戦ではありますが2連勝中のゴールドアクターが抑え。

馬券はを頭の3連単20点勝負。


レース回顧~秋華賞

2014年10月19日 | 競馬

秋華賞の結果

1着ショウナンパンドラ 無印
2着ヌーヴォレコルト  ◎
3着タガノエトワール    〇

勝ったショウナンパンドラが無印で、馬券はハズレ
ショウナンパンドラは中段の内で我慢して、直線も内をついて抜け出し、外から迫るヌーヴォレコルトをクビ差抑えて勝ちました。ディープインパクトらしい長い末脚が生きました。紫苑ステークスでは勝ったレーヴデトワールよりもこの馬のほうが強い競馬をしていたので買うならこちらでしたが、紫苑ステークス組はデータからしてさっぱりだったので外してしまいました。今年の紫苑ステークスは新潟開催だったためにちょっと条件が違ったのかもしれませんね。
レース内容からすれば勝ったに等しいのがヌーヴォレコルト。4コーナーで外に出した分、内を突いて距離損のまったくなかったショウナンパンドラに届きませんでした。この馬は確実に名牝の道を進んでいます。
上位2頭が抜けて強く、他の馬は流れ込んだだけとなりました。穴で期待したオメガハートロックは11番人気で11着とまだまだでしたが、直線の入口で内を突いて一瞬伸びかける場面がありました。もう少し短い距離で見直したい一頭です。

さて、来週は菊花賞です。前哨戦を勝った皐月賞馬とダービー馬ですが、イスラボニータは距離適性を考えて天皇賞に向かうとのことですから、ここはワンアンドオンリーの1強というメンバーになりました。相手もセントライト記念でイスラボニータの2着だったトゥザワールドと、神戸新聞杯の上位馬ということになりそうです。ダービーに続いて2冠達成は濃厚です。


秋華賞~オメガハートロックが穴

2014年10月19日 | 競馬

秋華賞G1です。

◎ヌーヴォレコルト
〇タガノエトワール
オメガハートロック
マーブルカテドラル
△ブランネージュ
△レッドリヴェール

一応、本命はヌーヴォレコルト。オークスでハープスターを破って勝っていますし、トライアルのローズSも快勝。先行脚質でしかも内枠に入ったとなれば、消す要素はあまりありません。ゴール前で取りこぼしはあるかもしれませんが、3着以内にくる可能性が相当に高いと思います。

紫苑ステークス組はまったく実績がないので消し。ローズステークスの上位組が相手ですが、前走で古馬相手に善戦したマーブルカテドラルと、久々ではありますがここまでメンバーが落ちていれば通用するかもしれないオメガハートロックが穴。

馬券は、◎ヌーヴォレコルトが3着に落ちる可能性も視野に入れて馬連のボックス15点勝負。


映画「ふしぎな岬の物語」

2014年10月19日 | 映画・舞台・コンサート

渋谷で映画「ふしぎな岬の物語」を見ました。
吉永小百合さんが主演・プロデュースの邦画です。単に心が広くて優しいだけの役ではなくて、辛い過去と悲しい思い出を抱き続けている等身大の女性を上手に演じていました。どこにでもいる普通の女性の役柄ですが、吉永さんが演じると大和撫子になってしまいます。そしてそのどうしても大和撫子になってしまう部分に憧れて通ってくる男性客やいつも見守る甥などが群像劇を演じます。総じて男性陣はいい役を演じていました。
竹内結子さんが珍しくエキセントリックでもクールでもない普通の弱い女性を演じていて、亡くなった父親が自分を生命保険の受取人にしていたことを知り、最後まで自分のことを心配してくれていたことに気づいて遺体にすがって大泣きする場面では、思わずこちらまで目頭が熱くなってしまいました。この人はむしろこういった役柄のほうが合っている気がします。最近のテレビドラマは典型を意識しすぎて役者に大袈裟な演技や感情表現を求めますが、実はそちらのほうが簡単で、日常的な喜怒哀楽というものはほんの僅かな表情にしか表れないもので、観客にそれを伝えるにはかなりの演技力が必要です。表情が大写しになる映画だからこその演技かもしれませんが、テレビドラマの大袈裟な演技に慣れている視聴者は、映画を見て改めてリアリティとは何かについて考えさせられるのではないでしょうか。テレビドラマの演技が普通だと思っていると、他人の微妙な気持ちに気づけなくなってしまう恐れがあります。すぐに頭に来て人を傷つけてしまったり、人の言葉を一面的に受け止めてしまって自分が鬱になってしまったりすることが多いのも、そのあたりの想像力不足が原因である可能性があります。
ラインのスタンプに複雑な気持ちの表現はありません。プログラマが考える人間感情はステレオタイプです。単純化しないとプログラムできないからです。ラインのスタンプで喜怒哀楽を伝えている人たちは、細やかな感情の起伏が理解できない人間になってしまい、他人を思いやる想像力が欠如してしまうかもしれません。

テレビを離れて、是非こういう映画を見てほしいものです。 


あなたにどんな被害がありましたか?

2014年10月13日 | 政治・社会・会社

飲食店のクレーム対応の中で、金銭目的の悪質クレーマーを相手にすることがあります。そのときに最近私が聞くようにしていることがあります。それは、あなたの被害は何ですか、という質問です。

飲食店でクレームになるのは、概ね利用者が被害者意識を持ったときです。快適な環境で美味しいものを感じよくサービスしてもらい、楽しい食事をしようと思って入店したが、利用したら受けられると思っていたサービスが受けられなかった、商品が思ったものより劣っていた、店内の環境が悪かったなど、お金を払う対価として店舗の対応が不十分で、自分は損をしたのではないかと感じてしまったときに被害者意識を持ちます。そしてクレームの電話をする。これは一般的な、いわゆる善意の利用者からのクレーム電話です。

しかしそうでない場合もあります。例えば従業員の態度が悪かったなどという言いがかりをつけて金品を要求してくる人たち。そういう人たちに具体的な話を聞こうとすると、適当にぼやかしてやり過ごそうとします。兎に角態度が悪くて不愉快だった、金を返せ、慰謝料もよこせと大声で叫んだりします。
そのときに私から聞く訳です「それであなたにどんな被害がありましたか?」
そして、結構この質問で話が終了して先方が電話を切ってしまうことがあります。どんな被害かを説明できなければ金品の要求もできないので、さすがの百戦錬磨のクレーマーも言葉に詰まるのかもしれません。

そこで、振り返って私たちの日常生活を考えてみると、自分にどんな被害があったかと自問することが結構役に立つことに気づきました。
日々、腹の立つことはたくさんあります。
歩道を歩いていると前方の高校生だか中学生だかの集団が横一杯に並んで歩いていて、急いでいるのに追い越しづらいときには、少しは他人の迷惑を考えろクソガキどもが、などと思ってしまいます。しかし冷静に考えれば、彼らからまだ何の被害も受けていないわけです。
駅の階段を急いで下りているときに、スマートフォンを眺めながらゆっくり降りている人を見ると、歩きスマホはやめろ、などと心の中で叫んでしまいますが、やはり考えてみればその人からまだ何の被害も受けてはいません。

私たちは自分でも気づかないうちに、正義の味方になってしまっているのかもしれません。歩きスマホがダメだとかは、マスコミが喧伝するマナーであって、違法行為ではありません。マスコミの喧伝するマナーを大義名分として鬼の首でも取ったかのように大所高所から他人に説教したり苦言を言ったりするのは、精神の貧困さの現われです。確かに歩きスマホという行為によって迷惑を蒙る人もいるかもしれませんが、歩きスマホをしている人を察知して事前にそういう人から迷惑を蒙らないようにあらかじめ避ける努力をするのがスマートな生き方ではないでしょうか。

そのように考えはじめてから、腹の立つことが随分減りました。そして逆に、自分がいかに社会のルールに縛られているかを痛感しました。マナー違反に腹が立つということは、そのマナーを押し付けている社会に唯々諾々と従う気持ちが根っこにあるからです。知らず知らずに精神の自由を蝕まれている訳です。
生まれたばかりの動物がはじめてみた生き物を母親だと思い込むような事例をインプリンティングというそうです。幼い頃に刷り込まれた考え方や印象などが一生その人の精神を縛ってしまうことがあるというものです。日本人が中国人や韓国人などに腹を立てるのは、もしかしたらインプリンティングなのかもしれません。精神の自由を取り戻すためには、そういうインプリンティングから自分自身を解き放つことが必要で、それはかなりしんどいことだと思います。それがしんどいから、加われば楽なナショナリストになってしまうのが日本人の精神の弱さなのでしょうけれども、その弱さのせいで右翼的で不寛容な政権に唯々諾々と従い、望まぬ戦争に再び突入してしまうことを本当に心配しています。


若者が自殺する貧しい国

2014年10月12日 | 政治・社会・会社

上原多香子さんのご主人が自殺したとの報道がありました。報道なので自殺だと100%信じることはできませんが、死んだのは事実のようです。
享年35歳。たいていの人が知っていることですが、15歳から39歳までの日本人の死因の第一位は自殺です。死因の半分近くを占めています。日本の自殺者数は、警察庁の発表では毎年3万人前後ですが、実際には自殺以外として発表されている不自然死の15万人のほとんどは自殺であろうと思われますので、日本の年間の自殺者数は18万人くらいで、そのうち若者の自殺は10万人程度と予測されます。

巷では、というよりもワイドショーではいつもながらの下世話な勘ぐりを展開しています。仕事がなかったとか、夫婦で収入の格差があったとか、裏社会に近い人との交際があったとか。そして、実生活ではそういったストレスや不満などは一切口にせず、前向きな発言が多かった、自殺した原因ははっきりしないという当たり前の結論に落ち着いて、残された上原さんの話になって終了という段取りです。まさに頭の弱い視聴者を意識した番組作りで、国民を馬鹿にしているマスコミ人の姿勢が明らかになるものでした。

ともあれ、有名人の自殺はやはり気になります。何故自殺したのか。 人が自殺するためには、自殺の方法を思いつく、その方法を実行できるだけの体力、気力があるなど、いくつかの条件をクリアしなければなりませんが、最大の条件は、未来に何の予定もないということではないかと思います。

太宰治の作品に次のような一節があります。
以下、引用。
死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目しまめが織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。
以上、引用終わり。

太宰の文章は、新しい着物があり、それを着るのはおそらく晴れがましい気持ちに違いなく、晴れがましい気持ちになるのは自分にとって楽しいこと、愉快なことだと考えられるから、新しい着物を着るまでは生きていようと、そういう意味であると思います。
明日も明後日もその次の日も、来年も再来年も何の予定もないとき、人は生きる意欲を失ってしまうのです。予定とは同じことを繰り返す予定ではなく、少なくとも心がときめいたり、緊張したりする場面が想定できる予定でなくてはなりません。それは大袈裟なことでなくてもよく、それこそ、夏になったらもらった着物を着るという小さなことでも構いません。むしろ小さなことがたくさんあるほうがいい。明日はあれをして明後日は誰と会ってなど、予定が埋まっている人は自殺しにくいでしょう。
しかし逆に、学校へ行っても仕事に行っても毎日同じことのくり返しで、たまの行事は本当につまらないので絶対に参加したくない人は、だんだん異性にも食べ物にも興味を失い、そこへ経済的な問題や人間関係や社会的な迫害などが加わると、あっさりと自殺してしまうでしょう。

人間は人間関係の中だけにしか喜びを見出せない動物なので、もし新しい着物があっても、たった一人の無人島でそれを着るのはちっとも晴れがましい気持ちになれないでしょう。見ず知らずの他人であっても、他人の目を意識しながら新しい着物を着て、店に入れば料理を注文してなど、人間関係があるからこその新しい着物、つまり生きる意欲です。

人は孤独に貧乏になったら、経済的、社会的な引き金で簡単に自殺するものなのです。そして若者が毎年10万人も自殺するこの国は、人間関係が破壊された貧乏な国にすでになってしまっていると言わざるをえないのです。