ロシアがウクライナに侵攻した。第三次世界大戦のはじまりかもしれない。もし世界大戦がはじまるとしたら、それは第一次、第二次と同様に同時多発的に始まるに違いないと思っていた。
遡れば、ソ連が解体したときにワルシャワ条約機構も同時に解体して、対抗勢力であるNATOはその勢力を広げないという合意が出来ていた。ウクライナのNATO入りという約束違反を、プーチンは見逃さなかった。加えて、ウクライナは公用語であるウクライナ語を話す国民の割合が少ない。実に7割はロシア語を話すのである。プーチンはロシア語を話すウクライナ東部の民族に対して、ウクライナ政府や極右勢力が弾圧をしていると主張する。
一方、西側諸国は必ずしも一枚岩ではない。ロシアからの石油が止まればEU諸国は打撃を受ける。アメリカは被害はないが、不人気のバイデンが国内の問題から国民の関心をウクライナに移す目的でロシアを強く非難している。どさくさに紛れてウクライナのNATO入りが決まれば、条約機構の一員である国を守るという大義名分が生まれるから、NATOという名の米軍もウクライナに侵攻するかもしれない。そうなれば第三次世界大戦だ。
中国の動向も怪しい。世界がウクライナ有事にかまけていれば、その隙を突いて台湾に軍隊を派遣するかもしれない。中国は核保有国だ。軍事力では台湾はひとたまりもない。日本は台湾を独立国として承認していないから、中国に強い態度を取れないが、アメリカも同じだから、日本をせっついて何とかさせようとするだろう。
日本海で有事が起きると、黙っていないのが北朝鮮である。この機会にミサイルの威力を見せつけようとするかもしれない。場合によってはソウルにミサイルを打ち込む可能性もある。韓国政府は休戦協定を破棄して再び北朝鮮に侵攻するだろう。トチ狂った北朝鮮は日本に向けてミサイルを発射するかもしれない。
自民党政権は極右の安倍や高市の揺さぶりに弱いから、国内にミサイルが打ち込まれたら、北朝鮮に宣戦布告しようとするだろう。しかし徴兵制がない日本は、現状の自衛隊員が尽きればそれでおしまいだ。やはり宣戦布告は無理で、厳重抗議で済ますかもしれない。すると弱腰だという政府批判が起きて、政権交代が起きるだろう。極右政権だ。その先は考えるのもおぞましい。
ヨーロッパでロシアとフランスとイギリスが争い、極東で中国と北朝鮮と韓国と日本が争えば、これはもう世界大戦である。しかもすべての核兵器保有国が参加している。映画のレビューで何度も書いたが、世界はバカが利口を支配する構図である。どのバカが核兵器を使用しないとも限らない。
しかしその前にWEBでの争いが起きるのは間違いない。ハッキングの応酬だ。核兵器を含む現代の軍事は通信によって管理されている。それがハッキングされたら一大事だ。敵国が自国の核兵器を操るかもしれない。そうならないように、外部の通信から独立したAIによって管理された兵器があると、危機だと判断したAIが自動的に兵器を使用するかもしれない。核弾頭付きのICBMやSLBMが発射されたら、世界は終わる。ロシアのウクライナ侵攻が終わりの始まりでなければいいのだが。
本作品は、クズたちが社会に蔓延している民族その他の対立という固定的なパラダイムに乗じて、仲間内での地位向上や鬱憤ばらしをする物語で、その精神性は暴走族となんら変わらない。
ナタリー・ウッドが主演した作品が上映された1961年当時は、多くの問題をロミオとジュリエットに似せたストーリーでミュージカル映画にしたことで高い評価を得られたが、それは当時のアメリカ社会の問題意識があまり進んでいなかったためだと思う。だから作品が問題を明示したことの衝撃は大きかった。当時の人々は暴力に対する耐性があり、銃に対する馴染みがなかったことも、作品が受け入れられた下地となっていた。
映画には旬があるものとそうでないものがある。言い方を変えれば、時代が移ると色褪せるものと色褪せないものがある。いまは価値観が相対化されたり、新しい価値観が創造されたりする時代である。普遍的な問題に深く斬り込んだ作品だけが100年後も生き残る。残念ながら本作品は生き残る作品でも、旬の作品でもなかったようだ。
主演の女の子の歌は抜群に上手い。バーンスタインの音楽はいま聞いても新鮮である。しかしそれ以外はひたすら退屈であった。天下のスピルバーグといえども、凡作を作ることはあるのだ。