三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「かなさんどー」

2025年02月28日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「かなさんどー」を観た。
映画『かなさんどー』公式サイト

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家族をつなぐ〈秘密〉。家族の絆や祖先とのつながりを描いた『洗骨』以来6年ぶりの照屋年之(ガレッジセール・ゴリ)監督最新

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 お笑いコンビガレッジセールのゴリこと照屋年之監督は、前監督作の「洗骨」では、人間の誕生と死を人々がどのように受け止めるのかを描いてみせた。本作品でもテーマは変わらず、近しい人間の死をどう受け止めるかを、既に死んだ母親と、間もなく死んでいく父親の両方の死について描き出す。
 思い出があり、それに伴う喪失感と悔しさがある。憎悪もある。まとめて受け止めて決着を着けないことには、一歩も前に進めない。主人公の美花を演じた松田るかも、母親役の堀内敬子も、気合の入った素晴らしい演技だった。元従業員たちの報恩軍団も好演。
 船上のシーンは、美花の寛容な人格をさりげなく示している。この寛容さがなければ、その後の物語はないと言っていい。さすが「洗骨」の監督だ。実によく工夫されている。

映画「初級演技レッスン」

2025年02月26日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「初級演技レッスン」を観た。
初級演技レッスン : 作品情報・キャスト・あらすじ・動画 - 映画.com

初級演技レッスン : 作品情報・キャスト・あらすじ・動画 - 映画.com

初級演技レッスンの作品情報。上映スケジュール、キャスト、あらすじ、映画レビュー、予告動画。「写真の女」「マイマザーズアイズ」で国内外から注目を集める串田壮史が監...

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 終映後にトークがあったが、監督と脇役と、脇役と毎熊克哉のチームのメンバーのひとりの3人で、おっさん3人の地味すぎる見た目の上に、トークの内容もグダグダの楽屋落ちで、ちっとも面白くなかった。こんなトークは時間の無駄である。ただ、コアなファン層がシアターにいたようで、やや盛り上がっていた。そういう人たちは作品の質よりも、製作者や役者の人となりのほうに興味があるから、どんな作品を作っても肯定的だ。しかしぬるま湯の中ではいい作品は作れないだろう。
 作品の内容はというと、出だしは雰囲気があってよかったものの、だんだん怪しくなってきて、大西礼芳が演じた国語教師の平沢千歌子が他の教師からアンケートを渡されたシーンをピークに、グダグダになってしまった。本作品で一番いいシーンは中華屋のシーンだと監督は言っていたが、作った人が一番いいシーンだと思っても、観ている方は必ずしもそうは思わない。中華屋のシーンは登場人物が即興芝居をしているだけのように見えた。

 当方が一番気になったのは、もちろんアンケートの回答だ。質問は、演技の授業を正式な科目にすべきかどうかで、選択肢は賛成、やや賛成、やや反対、反対の4つである。理由を書く欄もある。千歌子がアンケートの回答を記入するシーンは、千歌子の顔がアップになるので、どの選択肢を選んだかは明らかにされない。もちろんそのほうが、含みをもたせるという意味で、いいとは思った。
 したがって、トークイベントで最も話題にすべきは、千歌子がアンケートにどう答えたかについてだろう。演技がテーマの映画だ。高校で演技を正式科目とする提案があるという設定は、悪くない。

 トークで話題にされなかったので、当方がそれぞれの選択肢の理由を想定してみる。
 まず賛成は、演技の勉強をすることは自分の内面を引き出すことで、そうすることで世界に対する理解が深まり、よりよく生きることができる、くらいだろうか。やや賛成は、その可能性があるという程度だろう。
 反対は、演技は表面を取り繕うことにつながり、率直に、正直に生きていくよりも、他人に与える印象を重視し、ひいては他人を操ろうとする。教育の場で本音を聞き出せなくなるのは困る、といった感じだろうか。若しくは、演技の勉強は、そもそも画一的であるべき学校教育に無用の多様性を持ち込むものであり、興味のある生徒だけが部活でやれば十分であるという常識的な理由もあるかもしれない。

 アンケートは多分、反対多数で決着するだろう。それでいいと思う。人間は多かれ少なかれ、人生で演技している。率直になる方が、よほど難しいのだ。

映画「MEMORY」(邦題「あの歌を憶えている」)

2025年02月23日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「MEMORY」(邦題「あの歌を憶えている」)を観た。
あの歌を憶えている : 作品情報・キャスト・あらすじ・動画 - 映画.com

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あの歌を憶えているの作品情報。上映スケジュール、キャスト、あらすじ、映画レビュー、予告動画。忘れたい記憶を抱える女と忘れたくない記憶を失っていく男が出会い、互い...

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 ミシェル・フランコ監督の作品は、これまでに「母という名の女」(2017年製作)と「ニューオーダー」(2020年製作)の2本を鑑賞した。2本とも、人間の欲望と情念を激しい表現で描き出しているという印象がある。
 本作品は、予告編を観た段階では、日常的でほのぼのとしたストーリーが坦々と進む作品だろうという印象だった。しかしミシェル・フランコが平穏無事なドラマを製作するはずはなく、物語こそ平穏だが、登場人物の心のなかでは波乱万丈な記憶が嵐のように渦巻いている。お陰で観ているこちらの心も騒ついた。そういう訳だから、邦題も直訳の「記憶」でよかったのではなかろうか。

 ジェシカ・チャスティンのシルヴィアの記憶が徐々に明らかになるのと並行して、ピーター・サースガードのソウルとの関係も進展していく。妹夫婦のギクシャクした距離感の理由も明らかになる。台詞がとても重要な作品だから、聞き逃さないように集中して聞く必要がある。
 私見で恐縮だが、G線上のアリアが好きな人には、感情が豊かで美しいものが好きな正直な人が多いと思う。ソウルがまさにそういう人柄で、傷つきながら生きてきたシルヴィアが癒やされたのは、当然の流れだ。この辺の持っていきかたは、流石にミシェル・フランコである。
 過去のトラウマと母に対する不信感、ひいては他人に対する不信感を抱えて不幸に生きてきたシルヴィアの人生に、あたたかな光が差してきたような物語で、予告編の印象はあながち間違いではなかったと、そこはかとなく納得したのであった。

映画「ノー・アザー・ランド 故郷は他にない」

2025年02月23日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ノー・アザー・ランド 故郷は他にない」を観た。
ノー・アザー・ランド 故郷は他にない : 作品情報・キャスト・あらすじ・動画 - 映画.com

ノー・アザー・ランド 故郷は他にない : 作品情報・キャスト・あらすじ・動画 - 映画.com

ノー・アザー・ランド 故郷は他にないの作品情報。上映スケジュール、キャスト、あらすじ、映画レビュー、予告動画。破壊される故郷を撮影するパレスチナ人青年と、彼の活...

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 人間は社会的な動物で、ひとりでは生きていけない。いろいろな人に世話になるし、世話もする。必然的に、関わり合いになる人々や地域を重んじる。生きていくためには関係性が良好に越したことはないのだ。しかし度を過ぎると、利害が対立する人々や組織、共同体を敵対視するようになる。人間をカテゴライズして、差別するようになるのだ。そして、大抵の人は、度を過ぎている。
 祖国、故郷といった言葉は肯定的に響くし、愛国心や郷土愛は、アベシンゾーの教育改革で道徳の時間に教えられるようになった。これをいいことと捉える人は多いかもしれない。しかし愛国心を教えることは、他国に対する敵愾心を教えることでもある。それは戦争の精神性である。
 ゲームならいい。勝っても負けても、終わったらノーサイドだ。しかし戦争はそうはいかない。勝っても負けても悲惨な被害を生む。それを生み出している精神性が愛国心や郷土愛だということを理解しない限り、人類から戦争は永遠になくならない。
 自分の国や自分の土地という概念は、幻想に過ぎない。人間はごく僅かの間、地面の上を右往左往して死んでいくだけの、とても儚い存在である。なるべく長い時間を幸せに過ごすのが、人間本来の望みだろう。人と争うのは不幸な時間だ。愛国心や祖国といった幻想のために不幸な人生を送るのは、愚かとしか言いようがない。
 世の中には愚かな人が溢れかえり、他人をカテゴライズして敵視する。自分のいる国を、あたかも自分のものであるように勘違いして、他国人を差別し、この国から出て行けと暴言を吐いたり、嫌がらせをしたりする。そういう人が本当に増えた。若い人にも年配の人にもいるし、ネットだけでなく身近にもいて、ゾッとすることがある。

 本作品は、パレスチナに住む青年バーセルが、イスラエル軍と入植者の横暴に怒りながらも、どこか冷めた心で世界を俯瞰して眺めている様子を描いている。単なる反戦ではなく、人類の愚かさを嘆いているわけだ。バーセルは神を口にしないし、祈ることもしない。どこまでも客観的に、村人の未来を予言する。出ていくか、留まって蹂躙され続けるか。

 人類の未来は暗澹としているが、バーセルのようなフラットでニュートラルな精神性が広まっていけば、まるで希望がないわけでもない。そういう気がする。

映画「ゆきてかへらぬ」

2025年02月22日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ゆきてかへらぬ」を観た。
ゆきてかへらぬ : 作品情報・キャスト・あらすじ・動画 - 映画.com

ゆきてかへらぬ : 作品情報・キャスト・あらすじ・動画 - 映画.com

ゆきてかへらぬの作品情報。上映スケジュール、キャスト、あらすじ、映画レビュー、予告動画。大正時代の京都と東京を舞台に、実在した女優・長谷川泰子と詩人・中原中也、...

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 大学の詩論のゼミで、中原中也を取り上げたことがある。レポートの発表のとき、まず最初に、詩は暗唱するものだと主張した。詩は黙読するのではなく、声に出して読むことで、言葉が明確にイメージとなる。詩人と向き合うのではなく、同じ側に立って、同じ景色を見るのだ。できれば詩を憶えて、暗唱することができれば、イメージはさらに明るく浮き立つ。偉そうな主張だが、間違っていないと、いまでも思っている。
 中原中也の詩はリズム感がよく、絵画的でとても覚えやすい。印象的な詩がいくつも頭に浮かぶ。本作品の終盤では「骨」という詩が浮かんだ。「ホラホラ、これが僕の骨だ」という一節からはじまる、ある種の妄想の詩である。
 本作品のタイトルとなっている「ゆきてかへらぬ」は、「京都」というサブタイトルが付いていて、次の一節からはじまる。

 僕は此の世の果てにゐた。陽は温暖に降り洒(そそ)ぎ、風は花々揺つてゐた。

 生きているのにいないみたいな詩で、中原中也らしくない作品だが、長谷川泰子はこの詩が殊の外気に入ったようで、泰子の口述を村上護が編集した本に「ゆきてかへらぬ───中原中也との愛」というタイトルを付けている。

 中原中也といえばという詩は「汚れつちまつた悲しみに・・・」である。生まれたときは無垢だったのに、現(うつつ)を生きて心も体も色がついてしまったと嘆く詩だ。リズムがいいのですぐに覚えられると思う。
 どの詩が好きかと問われると迷うが、映画レビューで一番引用しているのは「憔悴」という長い詩の次の章だ。

 Ⅴ
さてどうすれば利するだらうか、とか
どうすれば哂(わら)はれないですむだらうか、とかと

要するに人を相手の思惑に
明けくれすぐす、世の人々よ、

僕はあなたがたの心も尤もと感じ
一生懸命郷に従つてもみたのだが

今日また自分に帰るのだ
ひつぱつたゴムを手離したやうに

さうしてこの怠惰の窗(まど)の中から
扇のかたちに食指をひろげ

青空を喫ふ 閑を嚥む
蛙さながら水に泛(うか)んで

夜は夜とて星をみる
あゝ 空の奥、空の奥。

 中原中也の詩は好きだが、詩人の個人的な事情にはそれほど興味がない。子供の頃は神童と呼ばれたが、長じたらただの人だ。詩を書く以外は飲んだくれで利かん気の暴れん坊で、30歳で夭折したということくらいは知っている。長谷川泰子との関係や小林秀雄との腐れ縁みたいな関係も知っていたが、詩を読むのに邪魔だから、詩人の個人事情は考えないようにしていた。

 本作品は「ツィゴイネルワイゼン」で有名な田中陽造が脚本を書いている。「ツィゴイネルワイゼン」と同様に、本作品も極めて演劇的だ。日常的な台詞を極力削り、相手に真剣で切り込むような台詞を投げつけ合う。三人の関係は緊張と弛緩の連続で、中で一番常識人に近かった小林秀雄が一番苦労しただろう。
 中原中也も長谷川泰子も、上手く生きようとか、幸せに時間を過ごそうとか、そんな願いは一切持っていないように見える。中也が夭折したのに泰子が長生きしたのは、運命というよりも泰子の生きる力だと思う。広瀬すずは、このキャラクターに戸惑っているように見えたが、それでも最後まで演じきった。立派だと思う。

 本作品の中原中也は人間的な魅力に欠けているが、詩はどれも素晴らしいので、興味がある方は読んでみてはいかがだろうか。気に入った詩が何篇かあれば、ぜひ覚えて暗唱することをおすすめする。
 ちなみに当方は、詩集「汚れつちまつた悲しみに・・・」の全詩をパソコンに打ち込んでクラウドに保存している。PCでもスマホでも、思い出したときに読めるし、Ctrl+Fで検索もできる。とても便利ですよ。

映画「ファイアーブランド ヘンリー8世最後の妻」

2025年02月18日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ファイアーブランド ヘンリー8世最後の妻」を観た。
映画『ファイアーブランド ヘンリー8世最後の妻』オフィシャルサイト

映画『ファイアーブランド ヘンリー8世最後の妻』オフィシャルサイト

5人の前妻たちは追放、処刑、出産死亡… 最後の妻キャサリン・パーは生き残れるのか?暴君vs王妃のサバイバル・スリラー

映画『ファイアーブランド ヘンリー8世最後の妻』オフィシャルサイト

 高校の世界史で習ったテューダー王朝の変遷を思い出しながらの鑑賞となった。
 印象深いのは、ヘンリー8世の最初の妻の子メアリで、本作品では、王位継承が自分に有利になるように病床の王に働きかける場面がある。この女性がのちに即位してメアリ1世となり、敬虔で容赦のないカトリック教徒として、プロテスタントを虐殺することになる。カクテルのブラッディ・メアリで有名である。
 そしてもうひとり、処刑された2番目の妻アン・ブーリンの娘エリザベスだ。本作品では、キャサリンがラテン語の聖書の英訳をやらせていたようで、キャサリンからその才能を褒められる場面があった。この娘がのちのエリザベス1世で、即位後は、軍事ではスペインの無敵艦隊を破る功績を上げ、内政では異端排斥法を廃止するなどの穏健な統治によって、イングランドに平和をもたらし、文化的にはシェイクスピアが活躍するなど、一時代を築いたのであった。

 歴史的に有名な女王となる前のふたりの女性を王宮に呼び戻して、王位継承権を復活させたのが、本作品の主人公キャサリン・パーである。
 王宮は権力の中枢だ。出入りする人間たちの権謀術数がうずまき、悪意や敵意が充満して、至るところに罠が仕掛けられている。少しでも油断すると処刑されるか、追放の憂き目に遭う。キャサリンは境遇を受け入れ、現状で最善を尽くそうとする。思想もあれば、欲望もある。男性も好きだが、女性にも愛欲を抱くことがある。自分に忠実だが、他人に対する寛容さもある。
 女性蔑視の家父長制の中で、権力者の横暴をときにまともに受け止めつつ、キャサリンは自由に生きた。短い人生だったが、エリザベス時代の下地を作ったという意味で、歴史的な働きもした。幸せな人生だったかどうかは、本人にしかわからないが、あの時代の女性の生き方として、見事だったと思う。アリシア・ヴィキャンデルは名演だった。

映画「聖なるイチジクの種」

2025年02月18日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「聖なるイチジクの種」を観た。
聖なるイチジクの種 : 作品情報 - 映画.com

聖なるイチジクの種 : 作品情報 - 映画.com

聖なるイチジクの種の作品情報。上映スケジュール、映画レビュー、予告動画。家の中で消えた銃をめぐって家庭内に疑心暗鬼が広がっていく様子をスリリングに描いたサスペン...

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 167分という長い作品だが、前半と後半ではまるっきり異なる。登場人物は4人家族が中心で、ホームドラマのような出だしからはじまる。違うのは、夫が昇進の際に護身用として拳銃を渡されることだけだ。
 夫は自分の人生の成功しか興味がなく、妻は生活の向上と自分たちの安全にしか興味がない。娘たちは世の若い人たちの反政府運動を支持しているが、差別の根源にイスラム教の戒律と宗教組織の階級があることを知らず、神を疑うことをしない。
 憲法の上にイスラム法があるイランでは、神が一番上にいて、その下に聖職者、そして公務員がいて、庶民は一番下ということになる。一番下の庶民の中でも、女性はさらに下の扱いで、さまざまな義務が課せられ、さまざまな権利が制限される。
 アラーの名のもとに、庶民を管理してやっているという考え方は、聖職者や役人の中に浸透していて、いわば国家規模のパターナリズムが成立している。公務員は全体の奉仕者と憲法で規定されている日本とは大違いだが、日本も少し前までは天皇を頂点とするヒエラルキーの社会だった。イランは愚かな国だが、日本も愚かだったし、反省がないことから、現在も引き続き愚かな国である可能性は高い。女性の地位向上ランキングでは常に下位だ。他国のことを言えた義理ではない。

 本作品は愚かな国の愚かな一家の話で、前半は、道徳警察によってテヘランで殺されたマフサ・アミニさんの事件をきっかけに、反政府運動が盛り上がっていく様と、それに対する母親と娘の考え方の対立を描く。礼拝の様子が何度も描かれるのは、イスラム教徒として敬虔であればあるほど愚かであることの象徴だ。
 後半は、パターナリズムをエスカレートさせた父親の怒りを、愚かさの象徴として描く。パキスタン出身の人から、イスラム教の国では、嘘を吐いた人間は手首を切り落とされると聞いていたから、凄惨なシーンを予想していた。遺跡での鬼ごっこはスラップスティックのつもりだろう。

 それにしても「お父さんの本性を知られないためよ」という妻の台詞は衝撃的だった。ルキノ・ヴィスコンティの「イノセント」を思い出した。愚かな夫は、愚かを装う妻にずっと操られていた訳だ。

映画「愛を耕すひと」

2025年02月18日 | 映画・舞台・コンサート
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映画『愛を耕すひと』オフィシャルサイト

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18世紀デンマーク。史実を基に描かれる、壮大な〈愛の軌跡〉を辿る感動の物語。/出演:マッツ・ミケルセン 監督:ニコライ・アーセル 脚本:ニコライ・アーセル、アナス...

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 退役軍人ケーレンが耕したのは、不毛の地であるヒースの畑だけではなかったという話である。貴族出身でない彼は、大尉まで昇進するのに25年を費やした。作品中のシーンでは、貴族なら6ヶ月で大尉になれると言われている。
 現代の日本で言えば、国家公務員の上級試験に合格して、例えば警察官僚になると、最低でも警部補の階級を与えられ、現場経験のために地方の警察署の署長に赴任する。ノンキャリアの警察官はコツコツと昇進試験を受けても、上がれる階級はせいぜいが警部である。署長になれるのはごく一部の優秀な成績の者だけだ。

 つまりケーレンにとって貴族の称号をもらうのは、生まれの条件を覆す悲願なのである。軍人としての誇りを胸に、委員会に掛け合い、法的な許可をもらって荒れ地の開墾に着手する。意思の強さと粘り強さは持って生まれたもので、いくつもの困難に立ち向かう。
 軍人は敵を殺せば任務完了だが、農家は作物を育てなければならない。農業機械などない時代だから、人との協力が不可欠であり、関係性を育むことも、農業のひとつの重要な側面だ。逃げてきたタタール人の女の子アンマイ・ムスを受け入れ、アンマイが病気になって弱っているときには、可愛がってきた山羊を屠殺して食べさせる。地主に夫を殺されて農場に残ったアン・バーバラは、それを見て、ケーレンが本当は愛情深い人間であることを知る。

 アンマイ・ムス、アン・バーバラ、それに若い牧師との交流の中で、ケーレンは氷のように冷え切っていた心を、徐々に解かしていく。人生に大切なものは称号でも金でもない。権力にいいように使われてきて、迷信にも勝てなかった過去を振り返れば、なすべきことは明らかだ。自分に愛情を注いでくれた者たちを守ることにしか、今後の自分の人生はない。中年を過ぎた男の、いわば心の旅を描いた作品で、とても深い感動があった。

映画「セプテンバー5」

2025年02月18日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「セプテンバー5」を観た。
映画『セプテンバー5』公式サイト

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五輪史上最悪のテロ事件を追体験する、圧倒的緊迫感の90分。映画『セプテンバー5』大ヒット上映中!

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 世界ではじめて、テロの現場を実況することになった、アメリカのテレビ局のスポーツ担当者たち。前例のない状況に挑むのは、いつの場合も困難が伴う。本作品は副調整室の場面がほとんどだから、刻々と変化していく状況を見ながら、次々に決断を下していかねばならないディレクターが主役だ。視聴者に何を見せ、何を聞かせるか。速報性と同時に、確実性も求められる。放送倫理の問題や、放送そのものの影響についても考えなければならない。結論を出そうにも、放送の時間は間近に迫っている。
 クルーたちの仕事ぶりはまさにプロフェッショナルで、ディレクターが命じる難題にも、即座に対応する。ディレクターの思うがままに番組を作れる訳で、それが故に、逆にディレクターには重圧がのしかかる。
 演じた俳優は、いずれも素晴らしい。臨場感と緊迫感を維持し続ける演技には感心した。カメラワークといい、シーンの切り替えといい、製作陣もプロフェッショナルである。

 ミュンヘンでは、本作品が日本公開された2月14日、奇しくも各国首脳が参加する安保会議が開かれている。当然ながらウクライナ戦争の終結についても話し合われているが、いい決着にはなりそうにない雰囲気だ。
 ウクライナ戦争もガザ戦争も、テロリストに代わって国家がテロを起こしていると言っても過言ではない。プーチンやネタニヤフを戦争犯罪人として世界が断罪できるかどうか。世界中のコンセンサスが必要だ。インターネットで独善的な意見が噴出している中、マスコミの役割はますます大きくなっている。オールドメディアなどと軽んじている場合ではないのだ。

映画「ハイパーボリア人」

2025年02月18日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ハイパーボリア人」を観た。
ハイパーボリア人 | 2/8 sat ROADSHOW

ハイパーボリア人 | 2/8 sat ROADSHOW

『オオカミの家』より難しく、『オオカミの家』より面白い!チリの鬼才アーティスト、レオン&コシーニャが放つ長編第二弾!。『ハイパーボリア人』 2/8 (土)ロードショー ...

『ハイパーボリア人』公式サイト

 動くアートというのが、作品の印象である。言葉では説明しづらいが、レビューを書く以上、作品を読み解いていかなければならない。そんなふうに考えながら、エンドロールの意図的なノイズ画像を観ていると、鍵はノイズなのではないかと思えてきた。

 ビジュアルでもサウンドでも、世界はノイズに満ちている。その中には犯罪に繋がるようなノイズもある。歪んだルサンチマンだ。本人がそれをルサンチマンだと気づかず、独善を成し遂げようとして権力者への道を進むと、最後は戦争になる。誰も、それが歪んだルサンチマンに端を発するとは気づかない。
 悪貨は良貨を駆逐するというグレシャムの法則のとおり、歪んだルサンチマンが市民権を得ると、真っ当な意見が通らなくなる。基本的人権は剥奪され、義務ばかりが強制される。不幸な社会だが、それを望む有権者がいるから、そうなる。自業自得なのだ。

 元を辿れば、個人のルサンチマンだ。教会の権威に恨みを抱いたヒトラーは、十字架を全部曲げてやるという野望から、ハーケンクロイツをナチスのシンボルとした。日本の軍閥が旭日旗を好んで使ったのに似ている。反知性主義で、文化人を弾圧したところも共通している。
 基本的には愚かだが、ドグマやパラダイムを都合よく使って、対人関係を優位にする技術だけは優れている。暴走族やヤクザの発言が妙に説得力があるのと同じ構図だ。非論理的だが、議論そのものが論理的でないので、論破されることはない。論敵は相手の頭の悪さに嫌気が差して、議論をやめてしまう。それで自分が論破したと勘違いする。愚かな人間の特技である。

 ヒトラーも東條英機もアベシンゾーも金一族もプーチンもネタニヤフも、みんな同じである。歪んだルサンチマンを自覚せず、独善的に権力を行使する。反知性主義の彼らに、あらゆる知性が駆逐されてしまい、生きづらい世の中になる。
 しかし気づかねばならない。彼らの存在は、増幅され巨大化されたノイズに過ぎないのだ。人々がそれに気づくためには、静寂が必要だ。静寂は平和であり、安寧であり、自由平等である。ノイズを支持する人は自分もノイズになってしまうことを自覚しなければならない。

 本作品は、製作者が意図しているいないに関わらず、社会の中のノイズが、取るに足らないノイズに過ぎないことを認識し、決して同調したり増幅させたりしないように、心に静寂を持たなければならない、そうでないと再びノイズに支配される世の中になると、警告している気がした。