映画「アイリッシュマン」を観た。
https://www.netflix.com/jp/title/80175798
三時間半の長丁場だが、映画を観て長尺の必然性を納得した。どのシーンも全部必要なシーンで、無駄なシーンなどひとつもない。しかし物語は波乱万丈だ。削りに削った結果の三時間半だと思う。
大局的に言えば男たちの権力闘争であり、互いの肚の探り合いである。ロバート・デ・ニーロ演じる主人公フランク・シーランには、相手の言葉の端々に垣間見える本音を感じ取る鋭い感性がある。加えて「ペンキ屋」としての類稀な知識と行動力。これらを武器にフランクは、権力闘争をする男たちの間を乗り切っていく。それは一瞬でも気を抜いたら奈落に落ちてしまう厳粛な綱渡りでもある。
女たちは男たちの権力闘争を理解し安っぽい倫理観など捨て去って、清濁併せ呑みつつ男たちの稼ぐ金で贅沢をし、子供を育てる。思えば人類の歴史は戦争の歴史である。人殺しの大義名分の裏には私利私欲がある。そんなことは百も承知で男たちを受け入れ、したたかに生きてきた女たちの存在が人類を存続させてきた。
それがいいことなのかどうなのか、そんなことはどうでもいい。人間は欲まみれで泥臭く生きていくものだ。スコセッシがそう主張しているかのようである。そしてそれが本作品の世界観そのものだ。利己主義と保身と自己正当化が人間の本質なのだと冷徹に言い放っているかのようである。
出演者は大御所が揃っていて凡庸な演技は皆無である。スクリーンには常に緊張感が漂い、一瞬も目を離すことが出来ない。中でもアル・パチーノが特によかった。演じたジミー・ホッファは、常に裏の意味を持たせる会話をする登場人物たちの中にあって、ひとりだけ天真爛漫、子供がそのまま大人になったような人物である。表裏がないから絶大な人気を得ている。フランクもこの人物が大好きだ。
しかし自由奔放な精神は権力者にとって邪魔でしかない。フランクにはとても苦しい選択が待ち受けている。その時のデ・ニーロの淡々とした表情が凄い。苦しくて悲しくてやりきれない筈なのに、ただ黙々と運命を受け入れる。
タイトルは「アイリッシュマン」であり「アイリッシュパーソン」ではない。男は破壊と創造を求めるのに対し、女は融和と存続を求める。本作品は男の物語でなければならなかったのだ。