「成功」という言葉だけなら、割とわかりやすい。作戦が成功したとか、プレゼンテーションは成功するだろうとか、要するに「うまくいった」「うまくいく」ということが「成功」の意味ですよね。
ところがこれが人間に対して使われると、途端に胡散臭くなります。成功した経営者、成功したスポーツ選手、成功したタレント、成功した政治家などです。これらはみな、その職業でお金をたくさん稼ぐことができた、という意味のように感じます。お金をたくさん稼ぐことができた人が「成功者」であると定義してもいい。極論ではないと思います。みんな普通にその意味で使っているのではないでしょうか。
そして、成功するためのノウハウ本が巷に溢れ返っています。「成功者」=金持ちという図式なら、金持ちになるためのノウハウ本ですね。そういう本が売れるということは、世の中、金持ちになりたい人だらけだということです。それはそうでしょう、私もできることならたくさん金がほしい。しかも楽をして稼ぎたい。
しかし人間の幸せはお金だけなのでしょうか。
ある会社では以前、年明けに全国の店長やエリア長を集めて新春の集いを催していました。社長が挨拶をして優秀店の表彰をしたりする、よくあるあの集まりです。その中で、会社に寄生しているようなコンサルタントのオバチャンが挨拶の言葉の中で「お金があることが幸せということ」「仕事とはお金をたくさん稼ぐこと」「お金を稼がない人は仕事をしているフリをしているだけ」という内容を滔々とまくし立てました。
これには全国の店長は呆れ返ってしまい、結局新春の集いはその年を最後に二度と開かれることはなくなりました。オバチャンは自分のせいで新春の集いがなくなってしまったとは自覚していませんし、誰もそのことを本人に言いません。言ったところで理解するはずもなく、一元論のヒトラーみたいなババアですから、逆に諫言した人を間違いなく罵倒するでしょう。
このオバチャンは時々テレビに出て臭い芝居で商品をヨイショしています。そこからの収入もあるでしょうが、収入の大部分は会社から自動的に振り込まれる高額のコンサルタント料です。マンションは会社名義のものですし、賃貸している広い面積の一部を個人事務所にもしています。月々の家賃はもちろん会社が支払っていますが、本人は当然と思っています。住んでいる人が出席しなければならないマンションの会合があったとき、本人に事情を説明して出席をお願いしても、お願いした総務の女の子が激しく叱られていました。そういうのは会社でやってよね、と。ひどい話です。人の話は聞かず、感謝の気持ちは1ミリグラムも持ち合わせていないこの銭ゲバのオバチャンも、世間では「成功者」「成功した人」に分類される訳です。
いつも不機嫌なこのオバチャンは、何かというと人の欠点を非難し、失敗をあげつらいます。レストランに行っておしぼりを手渡しされると「それはあなたが使ったから、もう私は使えない」とおしぼりを受け取りません。渡した人の手の黴菌がついているという意味なのでしょうが、あんたの手には黴菌がまったくいないのか、と聞きたくなりますね。
ゴータマシッダルタは食中毒で亡くなりました。一説によると、善良な信者から食べ物をもらい、それが腐っていると分かったが、相手の気持ちを慮って黙って食べたのが食中毒の原因となったそうです。食中毒で死んでも、相手の気持ちを素直に受け取ることが釈尊の魂にとって幸せだったのでしょう。
控えめに出席をお願いする事務員を罵倒し、おしぼりを手渡ししてくれる店員の親切心を踏みにじるオバチャンが「成功者」なら、私はあまり「成功者」にならなくてもいいかなと思います。