三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

「死ねばいいのに」

2006年06月29日 | 政治・社会・会社

「死ねばいいのに」と、ダウンタウンデラックスで浜ちゃんがメールだのハガキだのを読んだあとに付け加えますが、この間一応廃案になった共謀罪がもし成立していたら、そして浜ちゃんの「死ねばいいのに」の対象が総理の小泉だったら、多分「不特定多数に対する共謀」なんて無理やりにこじつけた理由でこの法律が適用されていたかもしれませんね。対象が芸能人その他の有名人だったら無論冗談で済まされるでしょうけど。
 たとえばここで「小泉は売国奴で人間の屑だから死ねばいい」なんて書いたら、それこそそんな奴を共謀罪で引っ張りたい人が大勢、政府の中にいるということです。成立しなくて、本当によかった。

 しかしどうしてまた、他人に言うことを聞かせたい人が多いのでしょうか。誠にもって解せません。人に君が代を歌わせたがる、国旗を掲揚させたがる、愛国心を持たせたがる、おもに学生生徒児童がこういった人たちの犠牲になって(またはそんな自覚もなしに)、卒業式や入学式その他の儀式でそれはまあ朗々と歌っていますよね、君が代。もちろん君が代が悪いわけでも日の丸がいけないわけでもない。あれは単なるデザインと曲ですからね、だからゴーギャンもモーツァルトも悪くない。ただ、儀式のときはゴーギャンだけを飾れとか、音楽はモーツァルトだけに限るだとか言われると、それはないだろうと。つまり何にせよ、それを強制することがあまり肯定できるものではない、ということです。JRAはたとえ天皇賞の前でも普通のG1のファンファーレを陸上自衛隊が演奏しますが、あれがもし君が代だったら盛り上がらないだろうねえ。

 君が代も日の丸もそんなに古い歴史があるものでもないし、歴史の深浅に関係しないとしても、テレビで評論家たちや政治家たちが言うように「日本国民が儀式で歌いお辞儀して敬意を要するのは当然のこと」という教条の論拠が分かりません。そしてそれを子供たちに強制することも。

 強制といえば、社会に出て仕事をしていると子供たちどころの話ではないくらいにいろいろなことを強制させられますよね、中小企業の社長の中には従業員を殴るのが趣味なんじゃないかと思うくらい毎日毎日殴っている人がいます。パンのために仕方なく自由を投げ出さざるを得ない大多数の弱い人たちを相手に根拠のない教条を強制し、サービス残業をさせ、暴力行為を繰り返す鬼畜のような経営者。

 それと同じ線上にあるのが日の丸君が代を強制する人たちなんですね。こういう人たちを狼、虐げられる人々を羊と仮に呼びます。もし世の中全員が狼になったらどうなるか? それはホッブズのリバイアサンの世界で、万人の万人に対する闘いが起きて世界は大混乱になるでしょう。もちろんいっときだけの話です。世の中全員がやくざだったらどうなるか? 最初は混乱します。しかしそのうち、やくざの中でも弱い人と強い人がいて、狼と羊に二極化されるでしょう。羊はパンのために自由と人格を投げ出し、狼たちはその上前をはねるのを競い合うという図式はそこでもまた繰り返されます。
 羊たちに救いはありません。ただ、ときどき言いたくなりますよね、「死ねばいいのに」って。


宝塚記念 感想

2006年06月27日 | 競馬
 宝塚記念で6万円負けて、これで今年の前半の競馬はひとまず終了します。夏の新潟函館福島は現地に行かない限りは馬券を買わないので、再開は秋の毎日王冠くらいからになるでしょう。ちょうどディープインパクトが凱旋門賞に挑戦する頃ですね。宝塚記念の走りっぷりはあまり気持ちよさそうには見えなかったのですが、能力の違いというやつでしょうか、他の馬は話になりませんでした。できればこの調子で凱旋門賞も勝ってほしいですね。

 かつてジャパンカップが始まったとき、日本馬のモンテプリンスだとかゴールドスペンサーだとかに期待して馬券も買ったのにまったく通用せず、勝ったのがアメリカの牝馬メアジードーツでしかもレコードだったのには度肝を抜かれました。この様子だと日本の馬はずっと勝てないんじゃないか、と思ってしまいましたね。しかしその後、キョウエイプロミスが2着して、その翌年にはカツラギエースが逃げ切りました。続いてその翌年はシンボリルドルフが勝ち、その後は外国場が続いたものの、ルドルフの子供のトウカイテイオーが勝ってから、また日本馬が続いて勝ちました。ま、ジャパンカップは地元の利がありますからね。

 では凱旋門賞はどうでしょうか。7年前にエルコンドルパサーがモンジューの2着して日本の馬にもチャンスが出てきたような気がしていましたが、その後のマンハッタンカフェ、タップダンスシチーともに二桁着順でした。20年前のシリウスシンボリもたしか14着(勝ったのはダンシングブレーブ)でした。馬場の違いなんですかね。血統的にはモガミにしてもサンデーサイレンスにしても2400メートルは大丈夫だと思うんですけどね。かえってエルコンドルパサーはキングマンボでミスタープロスペクター系だし、自身もNHKマイルカップを勝っているように2400メートル向きとは思えなかったので、2着に逃げ粘ったのには驚きました。あるいはオグリキャップのように血統を超えた「突然変異馬」かもしれないと思っていました。その後同じキングマンボのキングカメハメハがダービーで強い勝ち方をしたので、ミスタープロスペクター=短距離というのが私の思い込みであることと、エルコンドルパサーが「突然変異」でもなかったことが判明しました。キングカメハメハもNHKマイルカップを勝っていますし、キングマンボはかなり優れた種牡馬なんだと、そういうことです。

 それで凱旋門賞なんですが、シンボリルドルフの祖父スピードシンボリやメジロムサシも挑戦しましたが、着外に終わりました。つまりエルコンドルパサー以外の5頭はみんな惨敗している訳です。コースは同じなのに年毎に勝ちタイムが大きく違うという、天候やペースに左右されるかなりタフなレースなので、日本での競馬よりもずっと、スピード、スタミナ、精神力、パワー、切れ味が要求されるのでしょう。スタートして深い芝にスタミナを削られながら、縦長だったり団子だったりする展開に対応して、最後の直線では相当な瞬発力を発揮してゴールまで真っ直ぐに走り切ることができないと、勝つのは難しい。ダンシングブレーブは大川慶次郎さんも絶賛の凄まじい末脚を披露してくれました。日本の馬にあの芸当はどうでしょうか。それでもディープインパクトならあるいは、と期待するところがありますね。心配なのはやはり体格ですね。負担重量は天皇賞よりもさらに重い59.5㎏になるでしょうから、天皇賞のときの馬体重442キログラムに対して13.46%となってしまうので、これはきつい。凱旋門賞までに少しでも馬体重が増えてほしいと思います。


宝塚記念 馬券

2006年06月25日 | 競馬
 宝塚記念があと1時間くらいで発走しますが、そろそろ馬券を決めようと思います。
 一昨日6月23日の段階では、ディープインパクトから穴馬で三連単をというつもりでしたが、普通に予想すると、

 前走で1秒以上負けた馬
   トウカイカムカム
   ハットトリック
   ナリタセンチュリー
   カンパニー
   シルクフェイマス
   ファストタテヤマ
   チャクラ
   バランスオブゲーム

 となって残るは5頭ですが、

 ダイワメジャーは2000m以上で来たのは皐月賞だけ。その後は短い距離専門ですから、久しぶりの長距離がどうか。
 コスモバルクは外国遠征で帰国時の検疫のゴタゴタがどう響くか分からない。

 ということで残るは
   ディープインパクト
   リンカーン
   アイポッパー
 の3頭となってしまいました。

 消した馬の中では安田記念でまあまあのレースをしたダイワメジャーと3連勝後に天皇賞に挑戦、リンカーンから1.1秒の5着に来たトウカイカムカム、あとは海外で勝ったコスモバルクの3頭ですが、三連単だからあまり手を広げると買い目が一気に多くなってしまうので、上記3頭で勝負します。

 馬券は三連単でディープインパクト1着固定のリンカーンとアイポッパーが相手。3万円ずつの2点買いにします。いくら人気でも三連単だから10倍以上はつくでしょう。あとは結果を祈るのみ。


宝塚記念

2006年06月23日 | 競馬
今回は競馬の話です。

 今週末は宝塚記念で、巷間ではディープインパクトがどんな勝ち方をするかが見どころということらしい。今回の宝塚は阪神コースが改装中ということで京都コースで行われますが、京都での宝塚記念というとすぐに思い出すのが'95年のライスシャワーです。このときはダンツシアトルがレコード勝ちしたんですが、レース結果よりも、3コーナー過ぎで故障を発生し落馬競争中止となったライスシャワーに全国の競馬ファンの注目が集まりました。そしてほぼみんなの心配した通りに予後不良となってしまい、小柄な体に驚異的なスタミナを秘めた稀代の競走馬は、リアルシャダイの後継馬としての期待に応える前に突然いなくなってしまいました。馬券のことも忘れて、ただただ残念な思いが残ったレースでした。

 そのときのライスシャワーの馬体重が438kg。競馬ファンならたいてい頭に浮かぶと思いますが、ディープインパクトの前回天皇賞時の馬体重が同じく438kgでした。だから春の天皇賞の馬体重が発表されたときすぐにライスシャワーのことを思い出して一瞬不安が脳裏をよぎりました。幸い、杞憂に終わってホッとしましたけど。

「カンカン泣き」という競馬用語があって、負担重量に弱い馬のことですが、カンカン泣きするのはどうしても大型馬よりも小型馬に多い。負担重量の体重に対する割合に由来するのかもしれません。ところが中には大型馬なのにカンカン泣きする馬や小型馬なのに重く背負わされても走ってしまう馬がいます。ライスシャワーやディープインパクトは後者に当たるのでしょう。しかし、いくらカンカン泣きしないからといって、負担重量が重ければ馬体に与える物理的な負担はカンカン泣きする馬と同じなわけで、無理に走ってしまう分、四肢に受けるダメージも大きいでしょうから、負担重量の馬体重に対する割合が小さくなる大型馬のほうが一般的には有利ということになります。亡くなった大川慶次郎さんも競走馬は古馬になったら500kgくらいあったほうがいい、と仰っていました。天皇賞は定量だから58kgの負担重量で出走しますが、馬体重500kgの馬だと、体重の11.6%なのに対し、ディープインパクトは13.24%となって、かなりの負担差があったように思います。
 
「肉屋じゃないんだから馬の体重なんて気にすることはないんだよ」とフランスのホースメンは言った、といった内容のことを、亡くなった野平祐二さんが書いておられました。確かにそうかもしれませんが、予想するデータの豊富な日本式の競馬のほうが馴染みやすく感じます。凱旋門賞では馬体重の計量はないでしょうが、今後のディープインパクトはやはり大川慶次郎さんの言うとおり、もうちょっと体重が増したほうが安心感が出るような気がします。21年前の無敗の三冠馬シンボリルドルフも馬体重は470kgから490kgくらいで出走していました。無事是名馬とかつての名物馬主菊池寛は言いましたが、ディープインパクトは引退まで無事に走ってほしいものです。

 馬券は2,3着を薄めに狙った三連単で勝負しようかなと思いますが、何よりもディープインパクトが無事に1着でゴールインするのが先決です。もう有馬記念の二の舞はなしでお願いしたい。ということで、ディープを信じてその上で穴馬はどれかもう少し考えます。


ニート・引きこもり

2006年06月21日 | 政治・社会・会社

 相当に前の話になりますが、大学の先生の浅田彰さんという方が書かれた「逃走論」という本について競馬評論家の井崎脩五郎さんがご自身の著書の中で解説しているのを読んだ記憶があります。それによると、人間はパラノ型とスキゾ型に分けることができ、パラノ型は言うまでもなくパラノイア(偏執狂)ですなわち、結婚し家を建て子供を生産しその子供がまた同じように結婚し家を建て子供を生産していくという「パラノドライブ」によって「やめられない、とまらない」とばかりに走り続けるもので、人類は主にそうやって発展してきた。対してスキゾ方はこれも同じように心理学で言うスキゾフレニー(分裂症)ですなわち、一定の考え方によらず従来の価値観からとにかく逃げるというもので、浅田彰さんはパラノ型からスキゾ型への転換を進めておりその理由は「そのほうが面白いから」というものである・・・・そういった感じの内容でした。
 実は「逃走論」自体を読んでいないので正確でなくて申し訳ないのですが、井崎的「逃走論」を読んだ限りでは、人類の歴史は大多数のパラノ型の庶民によって地道に維持され、少数のスキゾ型の天才たちによって文化文明の飛躍的な発展がもたらされた、ということが言いたいような印象を受けました。パラノ型=多数派、保守的、建設的、スキゾ型=少数派、革新的、破壊的、といった分類になるのでしょうか。そうすると〝少数の革新的エリートが新しい価値観をもたらして人類を発展させ同時に社会歴史をリードしていく〟のを理想とするような考え方の人たちと似ているのかもしれません。
 それはともかく、なにかと話題のタイゾー君が国会で取り上げたニートや引きこもりなんてのはスキゾ・パラノ論で言うとスキゾ型に分類されるのでしょうね。新しい価値観をもたらすかどうかは不明ですがとにかく既成の価値観に縛られることなく社会から「逃走」しているように見えますし、「パラノドライブ」に乗っからずに(あるいは乗ることができずに)スキゾ的な生活をしています。浅田彰さんも想像できなかった「スキゾ型」なんじゃないでしょうか。それでなにが問題かというとパラノ型の人間からみるとニートなんてものの存在自体が問題であるという点が問題なんですね。別に強盗や殺人を犯しているわけじゃないんだからニートや引きこもりが直ちに解決されなければならない大問題というのではないけれども、ニートや引きこもりの割合が多くなっていくと共同体全体の「パラノドライブ」が維持できなくなる、という危機感があるのでしょう。しかしその危機感は必要でしょうか?
 もちろん強盗や殺人の犯人の中にニートや引きこもりもいるのでしょうが、だからといってニートや引きこもりの全員が強盗や殺人を犯すわけではない、当たり前ですね。だからニート対策は緊急の課題ではない。しかし仕事をしない人間が多くなってしまうと社会全体のサービスの低下を招くので、それはなんとしても防がねばならない、そう考える人は多いでしょう。コンビニが役所みたいに土日休みで午後5時に閉まったら困るわけです。しかし逆に、一つの共同体全員が異常に前向きなのも、気持ち悪い。よく「社員一同一丸となって目標に邁進する」というふうな訓示を垂れる社長さんがいます。企業の場合はそれでいいかもしれませんが、国家となるとこれはもう、危険な香りがプンプンしてきます。パラノイアここに極まれりって感じですか。その反対がニートや引きこもりになる気もします。共同体のバランスとしてはニートや引きこもりの存在もあながち悪くはないかもしれません。
 知り合いで飲食店の店長をしている人がいますが、これがまあ、ほとんど休まずに働く働く。朝は8時半くらいに出勤してそれからはもうランチの準備と掃除→ランチ→後片づけと掃除買い物事務仕事料理の仕込み→ディナー、ときどき掃除→後片づけと掃除→ときどき徹夜で掃除というのをほぼ毎日やって帰宅はたいてい夜中の12時半くらいでときどきは帰れないという生活をしていますが、それでも給料は下げられときどきは社長にこっぴどく殴られて、殴られながら「過労死されると困るから体には気をつけろよ」と言われています。どうして辞めないのかなんて聞くまでもありませんよね、経費削減で人は減らされる反面、売上目標は下がらないから仕事の負担は増大するがにもかかわらず給料は下げられるけれども、それでもやっぱり生きていかなきゃならないから仕事も選んでいられないし辞めて簡単に次の仕事が見つかるわけでもない、ということです。人間はパンのためにだけ生きるのではないのかもしれないが、パンを与えられれば喜んで自由を投げ出すと、「カラマーゾフの兄弟」に書いてありました。あるアメリカの作家によれば「仕事とは人格がスポイルされること」だそうです。みんな苦しい。苦しいから結婚もしないし子供も作らないし人によってはニートになったり引きこもったり自殺したりするということになる。たいていは後ろ向きなんだけど、人前では前向きの顔をする。後ろ向きは社会から否定されていますから、生きていくためには前向きの顔をしなければならない。もともと前向きな人も前向きな顔をしているだけの人も「がんばります、一生懸命やります」
 何のために?


バイオハザードコードベロニカをクリア!

2006年06月18日 | アニメ・コミック・ゲーム
 やっとのことでコードベロニカをクリアしました。3時間54分かかりましたが、なんとかSランクで、次回のNewGameから無限ロケットランチャーが使用可能になりました。で、早速使ってみましたが・・・・なんと言いますか、これがまた水平にはどこまでも飛んで行きそうな雰囲気なんだけど、足元の犬や這いずり回るゾンビには対処の使用がないのね。ま、実際のRPG7やなんかのロケットランチャー(バズーカ砲)を足元に向けてぶっ放す奴はおらんからな。とはいえ水平に至近距離でぶっ放すのも、自分も爆発の衝撃を食らうという点ではあまり変わらないような気がしますけど。とにかくそういう仕様なわけで、別の武器を併用するかまたは足元系の敵からはとりあえず逃げる作戦をとるかしなければなりません。別の武器と言えば、クリアして気がついたんですが、火薬付きの矢をセットしたボーガンがすべての敵に対してかなり有効なんですね。連射速度が速いのでラスボスでさえもあっという間にリニアランチャーのステージに辿り着きました。後編のクリスに交代してすぐのボス戦もあっという間でした。どうやら登場人物によって武器のイメージが固定化されてしまう部分があるようで、ボーガンを使うクリスというのがどうも違和感があってこれまではその組み合わせは考えませんでした。FF12のバルフレアの武器をいつも銃、フランの武器をいつも弓、といった具合にしていたのと同じですね。しかし実際にいろいろな組み合わせをやってみると別の面白さや有効な方法なんかが見えてきます。

 それから、バイオハザード系のゲームをするといつもなんですが、ゲームをクリアした時点で弾薬や回復薬が大量に余っています。なぜそうなるかというと、初めてそのゲームをしたときにはやたらに敵がたくさん出てくるように感じて、片っ端から殺しまくるわけなんですね。そうすると当然弾が足りなくなる。だから落ちている弾は全部拾いまくってしまうわけで、そうするとせっかく手に入れたショットガンなんかの強い武器を最後まで使わずじまいになったりするという、どうにも貧乏性な結果になります。回復は必要な数だけとればいい、武器は押しまずどんどん使って大丈夫、と思ってはいるんですけど。ゲームが上達しない点はそんなところにあるのかも。

 もしかして生活が向上しないのも同じ理由か?


バイオハザードコードベロニカの恐怖

2006年06月18日 | アニメ・コミック・ゲーム
 5日ほど前ツタヤで買ってきたPS2のソフト「バイオハザードコードベロニカ完全版」を攻略するのにホームページを見ていたら、やはりクリアランクというものがあるようで、これはバイオハザード2をプレイしたときに経験済みなので、あるだろうとは思いましたが、Sランクを取るのに、バイオ2がたしかノーセーブ2時間以内だったのに対して、ベロニカはノーセーブ5時間以内で、マップがかなり複雑だし、途中で出てくるボス戦は難易度が高いし、画面はぼんやりして見にくいし、間に合わずに石の下敷きで死んでしまうような情けない場面もあったりで、前半から後半へ移るときにセーブできるとはいえ、Sランクでクリアできる人はかなりすごい。

 いわゆるゲーマーさんたちのクリア結果を調べるとわずか2時間程度で前後編ともにクリアしているような強者もいますが、もちろんそんな雲の上のレベルは臨むべくもありませんので、なんとか5時間ぎりぎりでいいからノーセーブでクリアしたいものだなと、そういう考えで何度もトライしてきましたが、前半の最後のボス戦で5回ほど死にました。約2.5時間×5回で12.5時間がムダに。そして後半のノスフェラトゥ戦でスナイパーライフルがまったくもって当たらない。照準が動くのが遅い上に、標的の動きが早くて、あれを簡単に当てられる人はやっぱりゲーマーさんたち以外にはいないでしょう。それでもって、なんとかそこをクリアしても、石が落ちてくるトラップにどうしても引っかかる。登場人物の17歳の女の子が大きな石の下でペチャンコになってしまうんです。これがまた申し訳なくて、ゴメンネ、下手なばっかりに下敷きにされちゃって、ゴメンネ、と思わず謝ってしまうくらいです。その場面になるたびに思わず大きく深呼吸してしまうくらい緊張します。さすがカプコンさん、よくこんな怖いゲームを造ったものだなと感心しますね。

 この春にはたいていのゲーム好きの方々と同様にFF12をやっていました。150時間くらいかかってクリアしましたが、「最強の矛」だとか「トウルヌソル」だとか「リボン」だとか、とにかくレアアイテムを入手するのに時間がかかって、そうこうしているうちにレベルが上がりすぎたみたいでラスボスが異常に弱いという結果になり、全体としてぬるいゲームのような印象になってしまいました。決して面白くなかったわけじゃありませんけど。

 対してバイオハザードのシリーズはクリア特典で出てくる無限武器を除けば弾薬にも限りがあるし敵は強いしで、かなりの緊張感を強いられるゲームとなっておりまして、FFシリーズのホンワカしたゲームとでは好みが分かれるところなんですが、ゲーム好きの私はどっちもわりと好き、というなんともしまらない本音になってしまうんですな。

 で、実はいまだにベロニカをSランクでクリアできておりません。無限ロケットランチャーも面白そうですが、ま、バイオ4のシカゴほどではないだろうと自分に言い聞かせるように、半ばあきらめ気味です。

 バイオ4と言えば、それまでのバイオハザードのシリーズとはかなり違ったもので、特に映像がきれい。CDからDVDになるとこうまで違うのか、と感動しましたね。周囲を360度見渡すレオンを見て、まさにこれこれ、バイオにかけていた視点はこの視線だと。それはディスクだけではもちろんなくて、ディスクと動かすハードの性能が格段に向上したから、ということなんでしょうけれども、PS3が今年の秋か冬くらいに発売されるような噂があって、無論さらに性能がアップしているんでしょうから、それに引っ張られるようにしてソフトの質も向上して、もしかするとFF12のオープニングムービーのようなすごい映像がそのままゲームの映像として使われるようなことにもなるかもしれません。大容量のディスクと大きなメモリとハイスピードのプロセッサしかも軽量コンパクト、USBだのLANだののインターフェースもずらっと並んで・・・・となるとほぼパソコンに等しいわけで、ならばパソコンにゲームのコントローラーを取り付ければいいということにもなる。あ、どうもその方がよさそう。ソフトは買いに行かずともダウンロードすればいいし、言語入力系のゲームではキーボードがそのまま利用できるし、DVDよりはもちろんHDDのほうが速いだろうし、快適なプレイが楽しめそうなんだけど、どうしてメーカーはそうしないのかというと、まあ、いろいろな関係があるんだろうねえ。

 ということで、ベロニカをあきらめて今やっているのは「天誅参」です。やっぱり3Dゲームは周囲と上下を見渡せるのが本当によろしい。前の「天誅」に比べて、崖などから落ちにくくなっているのも助かる。前のゲームでは、崖のそばで必殺を決めると、必殺ムービー中に決めポーズを取ったらそこには地面がなくてムービーが終わると同時に転落、ゲームオーバーになることがしばしばあって、あきれていました。あれはギャグのつもりだったんでしょうか。

 すべてのステージで忍術皆伝が目標ですが、一度にできるのはせいぜい2ステージくらいなので(疲れますから)時間がかかりそう。あ、もちろん小説も書いていますよ。近々発表しますからね。では。


天誅参とバイオハザード

2006年06月13日 | アニメ・コミック・ゲーム
 近所のツタヤで中古のゲームを買ってきてやり始めました。ここ1年半ほど病んでいる坐骨神経痛が今年の初めからそれはそれはひどくなってとうとう動けなくなってしまい、仕事を休むことに。その後は毎日が日曜日。少なくなる貯蓄のことや将来のことも気になるし不安で一杯だが、日本に未来があるのかどうかわからない時代だし、自分のことなんて考えてもしょーがないかな、ケセラセラ・・・・と、それでヒマでヒマでどうもならん日常をなんとかうっちゃるためにゲームでもやろうかなって感じですね。

 で、買ったゲームはバイオハザードコードベロニカ完全版、天誅参とバイオハザードアウトブレイクファイル2の3本。ファイル2を最初にやってみたら、どうも動きが遅すぎるような感じで、これはパス。次にやったのがコードベロニカ。これは以前ドリームキャストのときにやったことがあって、もともとバイオハザード好きなんで、それに今回の「完全版」の意味がドリームキャスト版には出なかったウェスカーが登場ということで即決で買いました。ゲームは昔ながらのバイオハザードの動きで、懐かしくてしかもやっぱり怖い。これだね。バイオハザードは昨年末に出た4もなかなか操作がスムーズでこれまでのバイオシリーズと違って思いっきり3Dだし、やってみて感動したが、昔のも、画面の外のゾンビに近づくとつかまれちゃうから見えないままに撃たなきゃならなかったりしてやりづらいところはあるけど、それはそれでなかなか悪くないものですな。

 しかしやっぱりバイオハザードは難しいね。こんなに難しいゲームだったかな、と思いつつ、セーブなしでやっていたら、前半の最後のボス戦でやられてしまった。こういうのはアボーンなんていうのかな?

 ということですぐには再チャレンジする気もなくなったので、天誅参に挑戦。天誅と天誅忍凱旋は前にやったことがあるので、ゲームはわりとスムーズ。しかし力丸の何番目かな、墓場の任務、十六夜再生のステージでは、装備しているだけでmax100の体力が毎秒1ずつ減っていく村正を否応なしに装備しなきゃいけない上に、途中で強制的なザコ多数戦があって、その場面がなかなかクリアできない。化け物がやたらに強いしね。かれこれ、6回目の挑戦でやっとクリア。6回もやれば途中も慎重になるし、忍術皆伝はまあ当然でしょうが、それにしても回復を使いすぎのような気が。バイオハザードだったらSランクは無理、なんて考えながらやってたね。

 九字を眺めていると、兵と闘いに臨む者は皆、陣列の前に在る、なんて語呂合わせができたので、そのまま覚えてしまったが、よく考えてみると、これでは戦略も戦術もあったものじゃない。ちょっと調べたら九字は伊賀忍法の呪文のようなものらしい。唱えることで自然や環境が味方してくれるようになるという結構なもの。

 前の天誅や天誅忍凱旋に比べると画像が格段によくなっているし、その後の制作会社サイドのゴタゴタの噂なんかも思い出したけど、まったく影響なくうまくできたゲームになっている。力丸と彩女の容姿もずいぶんと向上していて、買ってよかったかな。

 一昨日のエプソムカップはパスしたので次回は多分宝塚記念の馬券を買うことになるけど、アノ馬で堅そうだから馬券はなんとかなるかな。では。


三無主義って?

2006年06月06日 | 日記・エッセイ・コラム

 ブログのタイトルなんですが、実はブログの開設をパソコン上で申し込みながら咄嗟に思い出したものなんです。

 以前、どこかの学校の文化祭か何かで「三無主義をぶっ飛ばせ」という一文がテーマになっているのを見かけました。その三無主義の「三無」の内容は、「無知、無関心、無感動」だったと記憶しております。この内容はその学校独自の解釈らしく、なかなか面白い発想だなと感じました。それを思い出したんですね。

 三無主義の「三無」については諸説あるようで、無気力、無関心、無責任とするものが多いようですが、これといった定義はないみたいです。

 いずれの場合にも当てはまるのが、とにかく三無主義はいけない、そこから何とかして脱却しなければならない、そのためにはどうすればいいのか、という方向にしか話が発展しない点です。

 別に開き直っているわけではありませんが、三無主義のどこがいけないのか?

 実はこれは、数年前に話題となった、「人を殺すのがどうしていけないのか?」というフレーズとも共通しておりまして、要するに、共同体が維持できなくなるから、というのが根本的な理由なわけです。

 倫理とか道徳というのは庶民からは決して生まれない。時の支配者、治世者の側からの発想というか、必然的な考え方なんです。

 歴史は昔から自転車操業ですからね、うまく回らなくなると倒れてしまう。だからうまく回らなくなるような考え方、行為なんかを道徳や倫理で、時には法律で禁じる必要があります。人を殺しちゃいけないよ、盗んじゃ駄目ですよ、汝姦淫するなかれ!!なんてね。最近では、愛国心、愛国心。

 しかしその前提をもう一度疑ってみるというのはいかがですか?

 曰く、どうして共同体が維持されなければならないのか?

 別に日本に(あるいは別の国でも)生まれたくて生まれてきたわけじゃありませんよね? サルトルじゃないけど、人間はペーパーナイフじゃないんだから用途を考えて作り出されたわけじゃない。何かをしなければならないなんて、生まれたときは何も決まっていないし、誰が決めるものでもない。

 将来大きくなったらお国のために命をかける立派な軍人になってほしい、なんて考える人もこのごろ増えてきているのかもしれませんが、それは多分、他人の子供のことで、自分の子供を戦地へ送り出したい親はあまりいない筈です。

 教科書に「愛国心」の文字を入れる、その背景はどうも世の中がうまく回らず倒れてしまいそうな危惧を持っている治世者のあせりなのかもしれませんよ。

 三無主義を礼賛する気は毛頭ありませんが、言下に否定するのもどうかと思います。少なくとも、今の時代は三無主義の時代です。

 実はいつの時代も三無主義の時代でありました。

 しかし徹底できない。何を? 三無主義をであります、上官殿。三無主義を徹底することはすぐさま餓死に繋がるわけで、衣食住に関しては誰もまったく無関心でいるわけにはいきません。

 したがって、実は「三無主義」なんてのは実体がまるでない、流行語のひとつなんですね。「今の若者」とほぼ同じようなものです。

 そういう傾向がある、そんなふうな感じがするということ、具体的には、関心が弱い、気力が感じられない、知識が不足している、情緒が乏しい、そういった外面の印象を「三無主義」という言葉でひとくくりにして、レッテル付けしているわけです。なんとも強引な話ですな。しかもレッテル付けしておいて、それを批判する、あるいは脱却を図るために会議をしたり指導したりする。どうにかして問題を作り出さずにいられない人がいるんですね。ご苦労様です。

 一息ついて、読みかけのダビンチコードを読むことにします。昨日は一日かけて安田記念の反省をしましたので、今日は競馬はお休み。


坐骨神経痛

2006年06月06日 | 健康・病気
紀貫之ではありませんが、みんながやっているから、という単純な理由でブログを始めることになりました。坐骨神経痛でしばらく仕事を休んでいてヒマな上に給料が途絶えて蓄えがだんだん少なくなってきて将来が心配でしかもこのところ社会ではろくな事件が起こらず明日の希望も感じられないし毎週やっている競馬も外れっぱなしというのが主な理由でしょうか。ワイドショーなんかでやっているろくでもない出来事に対するしょーもない雑感などを自分勝手に書いていきたいと思います。これがはじめなので少し緊張気味な文章になりました。本題は次回から。