中島みゆきさんの「友情」という歌があります。
悲しみばかり見えるから この目をつぶすナイフがほしい
そしたら闇の中から 明日が見えるだろうか
限り知れない痛みの中で 友情だけが見えるだろうか
企みばかり響くから この耳ふさぐ海へ帰るよ
言葉を忘れた魚たち 笑えよ私の言葉を
終わり知れない寒さの中で 友情さえも失っている
この世見据えて笑うほど 冷たい悟りもまだ持てず
この世望んで走るほど 心の荷物は軽くない
救われない魂は 傷ついた自分のことじゃなく
救われない魂は 傷つけ返そうとしている自分だ
かなり昔の曲で、東京へ行った姉が、同じ寮に住んでいる同僚がノートに書いていた詩を見かけて、その内容に憤慨しているという趣旨の手紙を書いてきました。姉はそれが中島みゆきさんの歌詞だとは知らず、同僚女性が書いた詩だと思い込んだようです。こんな自分勝手な詩を書く人はと、姉はその同僚のことを強く非難していました。
一方、姉の手紙を読んだ私は、姉の非難はともかく、その詩を読んで、物凄い才能の持ち主だと思い、手紙の返事に「その人は公務員なんかすぐに辞めて詩人になったほうがいいと思う」と書きました。
後日になって、その詩が中島みゆきさんの歌の歌詞であることを知りました。 姉にはそのことは話していません。中島みゆきさんの詞の真意が理解できないと思うからです。
この姉というのが、かなりのクレーマーで、運送会社のトラックがアイドリングしているのを見かけると、そのトラックのナンバープレートを記録して、運送会社に「お宅の会社のトラックがアイドリングをしている。環境にまったく配慮していない」などとクレームの電話を入れたりします。そしてその運転手が何らかのペナルティを与えられればいいと思っている。
もしかしたらその運転手には、やむをえない状況があったかもしれません。火事の現場を発見して初期消火に向かったかもしれないし、暴行を受けている子供を助けようとしたのかもしれない。そんな状況を一切考えもしないで、ただ自分の正義感から運送会社に電話をしてしまう。
中島みゆきさんの「怜子」という歌には、「ひとの不幸を祈るようにだけはなりたくないと願ってきたが」という一節があります。ひとの不幸を望むのは「正義の味方」の大きな特徴でもあります。
私の姉に限らず、こういう人が最近増えました。
震災の後に”「正義の味方」は困る”という記事を書きました。
http://blog.goo.ne.jp/hyperion88/e/384a783c2ec72b2f626a3de3ab6ca4d2
断片的な情報をもとに中国や韓国を非難する族(やから)がいます。そういう人は自分と同じようにヒステリックな安倍政権が好きなようで、一緒になって戦争法案に賛成しますが、かつての戦争のときも、ヒステリックになった国民が「正義の味方」になって、国を戦争へと押し進めました。戦争に反対した、物事を立体的に考えることのできた人たちは「非国民」として処刑されました。それは時の政権がやったことではなく、時の国民がやったことなのです。そしていままた同じことを繰り返そうとしています。
日本の「正義の味方」たちの精神構造は、100年経っても変わりません。日本は本当に救いようのない国です。