いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

地震で壊れたもの I; 素焼きの器

2011年06月07日 19時51分02秒 | インド

3/11の地震で壊滅したおいらの部屋(愚記事; 筑波山麓で受けたM8.8の地の波の結果について、おいらの見たこと)で壊れたもの、インドから持って帰ってきた素焼きの器;

壊れる前の姿⇒愚記事;インド:素焼きの器:あるいは持続可能性  。 うーん、もう7年前だ。

持続しなかったよ。インドの素焼きの器。大好きだったのに。

 

■先日、本屋に行って立ち読みしてたら、スピヴァクセンセの家庭は、チャンドラ・ボースの家庭と付き合いがあったとのこと。『ナショナリズムと想像力』Amazon

そのAmazonのお品書きにはこう書いてある;「母国インドの解放・独立に沸く幼年時の高揚した記憶をもとに」....。

スピヴァクセンセは、うちはチャンドラボースのおうちとは家族ぐるみのお付き合いだったと、"母国インドの解放・独立に沸く幼年時の高揚した記憶"を、旧枢軸国であったブルガリアで語る。そんなスピヴァクセンセは、1942年(昭和17年!)のお生まれ(知らない人のために、スピヴァクってこんな人⇒wiki)。当のチャンドラボース様は陥落したシンガポールでインド国民軍の創設に"高揚"していた(⇒愚記事;Chalo Delhi! INA :インド国民軍  )。その後、チャンドラボースは故郷のベンガルは、カルカッタ/コルカタには帰ってないはずなので、スピヴァクセンセは、残念ながら、チャンドラボース様の御尊顔には拝してないわけだ。でも、チャンドラ・ボースに言及せずして、"母国インドの解放・独立に沸く幼年時の高揚した記憶"は呼びもどせない。

 

"悪の化身に他ならない(⇒愚記事;アルカイーダ→ポチ・相転移 )"枢軸国と虎穴に入らずんば虎児を得ず!の冒険を犯したチャンドラボースは、日の丸を背にした;

(わずかに見える、スバス・チャン、はスバス・チャンドラボースの一部である)

愚記事;ラールキラー 新展示  。

資本と技術とグローバリゼーションの渦に巻き込まれて(愚記事:技術も資本も人間にとって不気味なもの)

さて、おいらが、7年前に素焼きの器にインドで出会ったのは、バイト先のお使いでインドに行ったからである。バイトは、資本と技術とグローバリゼーションの渦の真っただ中に巻き込まれたものであった。インドではIIT出のお兄ちゃんたちと仕事をした(⇒愚記事; IITの諸君; インドの衝撃 )。そのうち何人かはベンガルの出身であった。チャンドラ・ボースの話で意気投合。仕事そっちのけで、(ブルジョアさま、ごめんなさい。)仕事も一生懸命やったが、チャンドラ・ボースの顕彰に時間を捧げた。その時の模様が上記愚記事(ラールキラー 新展示)である。ベンガリ(ベンガル人)にとって、チャンドラ・ボースは、日本人にとっての"聖徳太子"みたいなものだ。その証拠に、会ってもいない、スピヴァクセンセも、チャンドラ・ボースとの心理的距離の近さを誇示して、"母国インドの解放・独立に沸く幼年時の高揚した記憶"を、語っているではないか!

 

それにしても、スピヴァクの師匠は、ポール・ド・マンだ......、枢軸・ファシスト....。うーん、やはり、おいらは、いい筋しているのではないだろうか.....。