いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

すれすれ; アンダルシアのバス

2011年06月26日 16時03分42秒 | 欧州紀行、事情

- キチガイっていうから、キチガイになった、 ikagenki -

 

  

 

■― 太陽は、わたしの頭の中を思想のかわりをする鉛で満たすと同時に、わたしの頭を空っぼにした。アンダルシアは美しく、暑く、そして不毛だった。わたしはこのアンダルシアをその隅々まで跋渉し尽した。 -

― わたしたちがこうしてアンダルシアの道々を歩き回ったのは一九三四年の夏だった。どこかの村でいくらかの小銭を恵んでもらった後、わたしたちは夜も田舎道を歩きつづけ、道端の畦道の中で眠った。わたしたちはきまって犬に嗅ぎつけられた ―わたしの臭気までもわたしを他の者とは異なる存在にしていたのだ ― 、犬どもはわたしたちが農家をあとにするたびに、そして農家に近づくたびに吠えかかった。
「入ってみようか?それともよそうか?」と、わたしは、石灰の塗られた土塀に囲まれた白い家のそばを通りながら自問する。

 ジャン・ジュネ、『泥棒日記』(朝吹三吉訳)

 

*1;野暮な註釈をすると、一九三四年の夏とは、20世紀中~後半を象徴づける革命と戦争、そして冷戦への一里塚、つまりはアカ(共産主義)とクロ(ファシズム)の相克のミニチュア的縮図であったスペイン内戦(wiki)の始まる直前である。

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