いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

おけいはんが教えてくれた、札幌・茨木移民の幻

2016年03月03日 06時29分40秒 | 札幌

大阪・京都に行った。飛行機で行った。京都のホテルと羽田―伊丹の航空券のパックで格安だったのだ。

伊丹空港からモノレールに乗り、そして、京阪線に、南茨木駅で乗り換えた。

南茨木駅。

思いだした。

北茨木駅。

札幌郊外に澄川という場所がある。地下鉄澄川駅がある。この札幌地下鉄南北線は、旧定山渓鉄道が走っていた経路と重なる。

旧定山渓鉄道(関連愚記事)の時代、この澄川駅の場所にあった駅は、北茨木駅と云った。

北茨木。

もちろん、おいらは、実際に、行ったこともなければ、見たこともねぇ。

おいらの同世代の札幌っ子で、澄川=北茨木という知識をもつ奴は1%未満だろう。

おいらは、がきんちょの頃から、どうでもいいことを、知っていたのだ。

おいらががきんちょの頃、澄川っていうのは元々北茨木という地名で、大阪の茨木からの移民の入植地だった。だから、北茨木。

これは広島からの移民が入植した北広島と同じだ、と聞いた。

デマだった。

昨日、ネットでググって、知ったのだ。

北茨木の茨木とは、地主、茨木与八郎が駅の土地を提供したことい由来する(根拠)らしい。

そして、茨木与八郎は小樽のニシン漁の長者(大金持ち)で、元々山形の出身(根拠)。

大阪の茨木と札幌に昔あった北茨木駅とは、何の関係もないのだ。