京都で2泊した。初日は土曜日。週末ということでどこの飲食店も混んでいる。
泊まった場所は、五条室町。近くの西班牙料理屋で晩御飯を食べることを考え、店に行った。
19:30頃。
見た目はテーブルは空いていたが、やはり、週末ということで、予約で一杯とのこと。
別に、そもそも予約もしていなし、週末で混んでいるんだろうということで、次の店を探そうとした。
そうすると、店員が「30分待てば空きますよ」という。そして、連絡先、携帯番号を教えよという。
まあ、散歩もしたかったし、30分待つことにして、携帯番号を教えた。店員は筆記した。
店をを出て三歩歩いて、気づいた。
あぁ~、これは「京しぐさ」ではないか!
「京しぐさ」とはおいらの勝手な命名だ。
「京しぐさ」とは、拒否表現の婉曲性が、欺瞞的なまでに肥大したもの。 典型例として;
例えば、他人の家に長居した時、「ぶぶ漬けは、いかがどすか?」=「もう遅いから、お茶漬けでも食べていけば?!」 (googel)があるとされる (ただし、都市伝説という”都市伝説”があるようなstereo type)。
つまり、⇒⇒ 真意 ⇒⇒ 「あんた、いつまでいる気や!!??、さっさと帰らんかい!!!」。
この「京しぐさ」の法則を今回の件に適用すると;
京都のお店の店員が「30分待てば空きますよ」は、
⇒⇒ 真意 ⇒⇒ 「お客はん、東京からどすか? そうですか。 でも、京都いうたらお店で席が欲しかったら、前もって予約せなあきまひん。 お客はん、東京からですよね? そもそも、一見さんじゃありませんか。 こまりますねん。 そういう不作法なこと。 これだから東夷(あずまえびす)は、こまりますねん!」
であろうことに考え、妄想???が飛んだ。 店をを出て三歩歩いて、気づいた。
すぐに次の別の店を探せばいいのだが、もしかして30分後に電話が本当に来たら困るしなぁ~と思い、散歩。
果たして、1時間たっても電話は来なかった。
やはり、「京しぐさ」なのだ。
そして、次の店を、情報本で見つけ、電話した。 20:30頃。
そうすると、電話に出た若い女性は、これまた、「30分待てば空きますよ」とお答え。
恐るべき、「京しぐさ」!
このとき、「京しぐさ」のいい振りこき性に激怒しておいらは、主旨として次のこと携帯電話ごしに言った。
あなたたち京都の人の「30分待てば空きますよ」とは一体どういう意味なんだ? もう席がないならないとはっきり言えばいいじゃないか!
これを見ていた<荊の簪を挿した御方>は、かたはらいたし、であったと後述。
そうすると、その店の電話に出た若い女性は、今テーブルにいるお客様は予定より長めにいらっしゃるようですが、30分待てば空くに違いありません、とのお答え。この時点で、まだおいらは、「30分待てば空きますよ」の京しぐさの欺瞞性を拭いきれなかったが、また「騙されれば」、むしろ、ブログのネタにしてやろうと、四条河原町から五条室町近くの仏蘭西料理屋に歩いていった。
店はあった。入った。店のまえには本日のコースは売り切れ・終了しましたとの黒板。 果たして、席はあり、晩御飯にありつけた。21:00. 先ほどのおいらの言動を恥じた。
ごめんよ、京都、横諏訪の仏蘭西料理屋 Asperge Blanche 。
ごはんは、シェフが決めるコースを頼んだ。メインは、黒毛和牛ホホ肉の赤ワイン煮込み、だった。
お店には Foujita のポスターがあり、2月でまだ寒かったこの夜、電熱線のストーブが光を放っていた。
そして、メインも食べ終わった頃、22:30.携帯がなった。かの西班牙料理屋からであった。
「今、御席をご案内できます」
おいらは、鄭重にお断り申し上げますた。
律儀なんだろうか? あるいは、実は、このフォロー電話もいい振りこきの「京しぐさ」だったのではないかと今少し、考え付いた。歪んでるな、おいらの京都人観。
後述; いい振りこき は、北海道 放言 方言 と今知った。 google [いい振りこき]