いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

中国26 大連港; 満州国への入り口

2005年11月10日 20時06分14秒 | 中国出張/遊興/中国事情




旧大連埠頭事務所。1926年竣工、日本支配時代の建物。 現在大連港務局。

解説

◆おいらががきんちょの頃、英国でサッチャリズムが吹き荒れていた頃、つまり今でいうネオ・リベの嵐が英国を洗っていた頃、(その頃は「英国病」という言葉が頻繁にきかれたが昨今はとんと聞かない・つまり克服したのだろう)、NHKで英国の現状報告をやっていた。サッチャリズムで何がどう変わったかということのレポートであった。その中で、今でもなぜか記憶に残っているのは、没落する中産階級の一部がニュージーランドやオーストラリアに「移民」する姿であった。

■さて、日帝にも「中産階級の小春日和」といわれる時期があった。大正デモクラシーの時代にほかならない。その後訪れる昭和恐慌。おいらは、戦後「進歩」的といわれる御仁の一代記(私本)を見た。彼は成り上がりのいんてりゲンちゃんだったが、昭和恐慌に直面。しかし、満州でいんてりゲンちゃんポストを得る。戦後もいんてりゲンちゃんとして、高度成長のなか、生き延びた。もう90歳をこえるはずだが、訃報は未だ聞かず。

彼もこの大連港にその第一歩を踏んだにちがいない。ちなみに、満鉄調査部にいた岡崎次郎センセではありません。

岡崎次郎 満鉄調査部

●現在日本の、ネオリベ大洪水状況において、英帝・サッチャーレジームや日帝・昭和恐慌記との大違いは、「満州国」の不在である。

ああ!我が「満州」は、いずこ!? なんちって。




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