民主党も自民党もわけがわからなくなってきた。政界再編に向けて、すでに走り出してしまっているからだ。こうなれば、もはやそれを押しとどめるすべはないのである。しかし、草莽の志士であるべき者たちは、今こそ腹を据えてかからなければならない。財政規律派であるかどうかを問題視する見方があるが、それはたいしたことではない。この国のかたちをどうするかが一大争点なのである。墓場から死者を復活させるかのように、アジア主義を叫ぶ連中がいるが、それはとんでもない時代錯誤である。京都学派を論じてみたり、大川周明や岡倉天心が書き残したことを引っ張り出して、アジア回帰を煽り立てたいのだろうが、歴史から学ばないから、そんなことを口にするのである。日本の大陸浪人や右翼がアジア主義を唱えたのは、万世一系の日本という国家に対して、揺るぎない信頼があったためだ。だからこそ、日本は、後れたアジアを目覚めさすために、大国ロシアを撃退したのであり、米国との無謀とも思える戦争にも突入したのだ。しかし、戦後の日本においては、その歴史は闇に葬り去られ、忘却の彼方に追いやられてしまった。かえってアジアを侵略したという汚名だけが残った。ユーラシア大陸東方の島国である日本は、「アジアであっても、アジアとは別である」という現実と直面させられたのだ。米国もまた、日本を敵対視するあまり、徹底的に中国に肩入れした。その結果、中国共産党を増長させることになった。日米両国の判断ミスが、多くの悲劇を生んだのである。しかも、今のアジア主義という主張は、日本人が国民主権を否定し、中国共産党に膝を屈することである。そんな亡霊がさ迷い歩くのを、どうして笑って見過ごせるだろうか。
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