草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

枝野幹事長と革マルとのウワサは本当なのか?

2010年07月17日 | 政局

 日本の政党はどこもかしこもいかがわしい人物ばかりのようだ。スパイ防止法もないわけだから、外国の手先になっても、よほどでない限り、お縄になる心配はないのでる。国内で活動する極左の関係者が、与党の幹部になっていても、防ぐ手だてなどはないのである。民主党政権が誕生したことで、警察の警備あたりは、やきもきしているのではなかろうか。由々しき事態が起こりかねないからだ。枝野幸男民主党幹事長が革マル派と目される人物と、覚書を交わしていたことが判明した。17日発売の月刊誌「新潮45」で詳しく報じている。革マル派というのは、反帝、反スタで知られているが、黒田寛一を教祖とする極左のグループであり、それこそ、中核派や解放派などと血を血で洗う殺し合いを繰り広げた。自分たちの理論的な優越性を信じていたこともあり、他の党派を暴力的に粉砕することを、「赤子の尻をたたくようなこと」と評したのだった。学生戦線では、街頭至上主義の中核派と比べると華々しくはなかったが、動労に拠点をつくり、労働運動では侮れない勢力を保ってきたのである。枝野幹事長は、革マル派とのことが明らかになったことで、極左の他のグループから狙われる危険性がある。セクト間の対立は解消されていないからだ。そして、もし枝野幹事長のことが本当であれば、日本の権力の中枢を握っている者が、仮面をかぶっていたことになり、薄気味悪いことこの上ない。日本の治安を守る者たちは、一体に何をしていたのだろうか。カルト的な政治勢力に乗っ取られてもいいのだろうか。危機意識が乏しいように思えてならない。それと同時に、枝野幹事長も、あらぬ疑いをかけられたのであれば、記者会見をして、きちんと弁明をすべきだろう。

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少数派の言論活動を圧殺していいのか?

2010年07月17日 | 思想家

 国会議員がいる政党には莫大な税金が投じられるのに、それ以外の政治活動は、それこそボランティアで行われている。いくら頑張っても、最初から限界があるのだ。日本の保守運動が活発になってきてはいるが、今一つなのは、資金不足があるのではなかろうか。天皇の名の下に戒厳令を布いて、国家改造を目論んだ北一輝も、経済的には財閥からの援助を受けていた。汚い金をもらっていたことになるが、それがなければ後世に名を残すことはなかっただろう。大正や昭和始めのアナーキストにとっては、金持ちから巻き上げるというのは、あたりまえのことであった。しかし、平成の世にあっては、企業や金持ちは自己防衛に走っている。右であれ、左であれ、「危険思想」の持主に近づかないようにしているからだ。警察の指導もあるのだろうが、暴力団と同じような扱いを受けているのである。もう廃刊になってしまった月刊誌に「現代の眼」があった。経営者は総会屋の大物ということもあり、よく陰口をたたかれたが、日本のラディカリズムにとっては、貴重な言論活動の場であった。国のかたちを守ろうとする保守運動は、ネットが中心になっているだけに、情報発信の経費は少なくてすむとは思うが、街宣活動費はべらぼうにかかるはずである。現在の政治的な閉塞感を打破するためにも、企業や個人がカンパしやすいような優遇措置を講じるべきだろう。少数派にも言論活動を保証することが、民主主義の前提であるからだ。企業が政治団体の雑誌を講読すれば、結果的に暴力団の資金源になるというのは、あまりにも一面的な見方である。それよりも、少数派を孤立に追い込むことの方が、よっぽど危険ではなかろうか。権力者を批判する勢力が根絶やしにされるような社会は、民主主義とは無縁であるからだ。

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