草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

ポピュリズムに賛同するのは非エリートの民衆

2010年07月20日 | 思想家

 日本もポピュリズムに蝕まれているとよく言われるが、ヨーロッパ以上に深刻になってきているようだ。大嶽秀夫は『日本型ポピュリズム』のなかで、ポピュリズムの定義をしている。「ポピュリズムとは、普通の人々とエリート、善玉と悪玉、味方と敵の二元論を前提として、リーダーが普通の人々の一員であることを強調すると同時に、普通の人々の側に立って彼らをリードし、敵に向かって戦いを挑むヒーローの役割を演じてみせる、劇場型政治スタイルである」と書いている。昨今の日本でも、みんなの党の渡辺喜美代表などは、見事にその役をこなしていないか。エリートはイコール官僚であり、国民にとっては許すべからざる存在であると糾弾し、攻撃のターゲットとしたからだ。フランスの国民戦線のルペン党首は、既存の政治に関係するエリート層をシステム側と位置づけ、民衆はその犠牲となっていると訴えたのだった。だからこそ、極右といわれながらも、一定程度の支持を獲得したのである。自民党も民主党も、大嶽が述べているようなポピュリズムとはほど遠い。人気投票のレベルにとどまっているからだ。これから登場するのが、本当の意味での真打なのではなかろうか。朝日新聞記者の国末憲人は、フランス社会を論じながら、「民主主義なき民衆は、民主主義を逆手にとって、民衆なき民主主義に復讐しているのかもしれない」(『ポピュリズムに蝕まれるフランス』)との見方を示した。学者やジャーナリストが口にする民主主義は、民衆の考えを代弁していないというので、エリートでない者たちが、フランスでは異議申し立てをしているのである。そのエネルギーを爆発させることで、ポピュリズムは大きな力を手にするのである。国末は、国民戦線と自民党の右派を同レベルに置いているが、自民党は官僚に支えられたエリートの党であり、それはルベラルなインテリに支えられた民主党と大差はない。どちらもシステム側なのである。そうでなくて、民衆の先頭に立つのは、もっと別な政治勢力ではなかろうか。政治を思いのままに操ってきた者たちへの批判の声は、日本の国内にも充満しており、それを爆発させるのがポピュリズムなのである。革命というよりも、それは下克上という言葉があてはまるのではなかろうか。

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闇法案を撤回して民自大連立を実現せよ!

2010年07月20日 | 政局

 民主党が今すべきことは、日本の国のかたちを否定するような闇法案を、さっさと引っ込めることだろう。そうすれば、民自大連立の道が拓かれ、政局も安定するからだ。あくまでも民主党が、永住外国人の地方参政権の付与法案などの成立にこだわるのであれば、保守派から徹底的に攻撃されることになるだろう。全ては菅直人首相の決断にかかっているのである。民主党政権では、この国を切り盛りすることが難しいのは、誰の目にもはっきりしてきた。野党暮らしが長かったために、統治能力が身についていないからだ。政権獲得にあたって民主党は、大衆迎合的なバラマキをマニフェストに掲げたことも、禍根を残すことになった。できもしないことを並べ立てて、首を絞めることになったからだ。国民の暮らしも悪くなる一方である。バラマキが優先されることで、雇用を生み出すのが難しくなっているからだ。働き口がなければ、人々は投げやりになってしまう。治安の維持も困難になるはずだ。政権交代によってもたらされた負の部分が、日本国民に暗い影を落しているのだ。菅首相は、これまでの行きがかりを捨て、自民党との大連立に踏み切るべきだろう。それによって、民主党から追い出されてもよいのではなかろうか。日本の危機を救うのが第一であるわけだから。

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