梅棹忠夫の死を聞いて、文庫本の『文明の生態史観』を読み返してみた。日本人がアジア人だと思い込んでいることについて、梅棹は「アジアの諸国は、それぞれ特殊性があるが、とりわけ日本は特殊である」と明確に言い切っている。今の民主党政権は、アジアは一つという文句に促されて、誤った選択をしようとしているが、梅棹は、その危険性を説いたのである。「日本はアジアの孤児である」というのは、冷酷な事実なのだという。だからこそ、中国や韓国と付き合うにあたって、漠然たる一体感や、アジア的連帯感をあてにすると、かえっていがみ合うことになるのだ。東洋、西洋といった分け方を梅棹はしない。アジア、ヨーロッパ、北アフリカを含む旧世界を、第一地域と第二地域とに区分するのだ。西ヨーロッパや日本が第一地域に属する。その間に挟まれた大陸が第二地域なのである。第一地域は第二地域からの文明を導入した、野蛮の民としてスタートしたが、封建制、絶対主義、ブルジョア革命を経て、現代は資本主義の高度な文明を誇っている。これに対して、第二地域は、古代文明の発祥の地でありながらも、封建制を発展させることができず、専制帝国をつくり、第一地域の植民地となり、ようやく最近になって近代化を目指すにいたったというのだ。つまり、西ヨーロッパに日本は類似しているという説であった。大東亜共栄圏の失敗は、アジアとの異質性に、日本が気づかなかったことが原因なのである。お互いが異質だという前提で、付き合う以外にないのである。日本以外のアジアは、その多くが第二地域に含まれているからだ。「共生」という綺麗ごとを口にするだけでは、お互いの溝を埋めるのは難しいのである。そのことを教えてくれたのが梅棹であり、戦後の思想界に大きな衝撃を与えたのだった。
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